一年後の学園祭
自身の「紅の秋」企画作品です。
シンシア・フォーンズはウァリエタース魔法学園の召喚科三年生だ。
ふわふわとウエーブのかかったベージュの髪、丸っこい紫色の瞳。魔法学校の制服であるローブをぽんぽんと弾ませて、他の生徒たちが慌ただしく動いている会場内を歩いていた。シンシアの後ろには、銀髪の少年が一人にこにこと付いてまわっている。
彼の名はライ。シンシアの使い魔だった。ライと正式な契約を結んだのは一年前のこと。それ以来、ずっと一緒にいる。
毎年秋に開かれる学園祭に向け、二十メートル越えの巨大なドラゴンでさえ余裕で翼を広げられるほどの会場は、生徒たちの渾身の魔法が彩っていた。
入り口には虹色のカーテンがかかり、きらきらと光の粉を撒きながら風などなくてもゆらゆらと揺れている。
天井には一面に秋が広がっていた。カエデ、もみじ、イチョウ、ポプラ、ナナカマド、カイ、ツタ、サクラ、他にもあるのかもしれない。
紅、黄、橙。ところせましと天井へ枝を広げ、はらりはらりと葉を落としていた。もちろん、幻術科の生徒による魔法である。
それを証拠に、くるり、ひらりと舞い落ちた葉は、人や物に当たると光の飛沫を上げて消えてしまう。それがまた、幻想的で美しかった。わざと葉っぱに体を当てにいくのも楽しい。
会場の壁からはカラフルなキノコがにょきにょきと生えてはぐんぐんと成長し、ぼふんと胞子をまき散らしてから萎んで消える。真っ赤なキノコ、白いキノコ、黄色いキノコ。色とりどりのキノコがにょっきり、ぼふん! をあちこちで繰り返していた。
「あ。見て見て、ライ。凄く細かい魔方陣。綺麗」
設置された魔法や準備にいそしむ生徒、会場内に散らばってパフォーマンスの練習をしている生徒の様子を見ていたシンシアは、一人の生徒の側で足を止めた。
同じ召喚科のグルドーが自身の魔力で召喚の魔方陣を描いていた。黒髪、黒目、制服であるローブの上からでもグルドーの痩せぎすの体格が分かる。
「うん。確かに芸が細かい。でもシンシアの方が綺麗」
髪を一房つままれて、口づけられた。たちまちシンシアの顔へ、ぼんっと音がする勢いで血が上る。ライの金の瞳に嬉しそうな色が浮かんだ。シンシアの頬へ手が伸びる。
ゆっくりと近づいてくる金の瞳にからめとられて、シンシアはぼうっとなった。そこへ。
「けっ。イチャイチャしやがって。よそでやれ、よそで!」
突然かけられた不機嫌な声に、シンシアははっとなった。慌てて声の方を向けば、グルドーが険のある三白眼を向けていた。
「あ、ごめんなさい、グルドー」
「ったく。邪魔、邪魔。あっちへいった、いった」
グルドーにしっしっ、と手で追い払う仕草をされて、シンシアは慌てて会場の隅に避難する。あんまり慌てたものだから足がもつれてこけそうになったところを、ライにひょいと抱き上げられた。ちっとグルドーの盛大な舌打ちが響く。
「感じ悪いな。雷でも落としといてやろうか」
シンシアをお姫様抱っこしたライが、唇をへの字に曲げた。
「もう、そんなこと言わないの。ライ。練習の邪魔をした私たちが悪いんだから。それと、恥ずかしいから下ろしてっ」
シンシアは頬を膨らませて、こつんとライの額を指で弾いた。ライが「あたっ」と小さく声を上げてシンシアを下ろす。
シンシアがライと正式な契約を結ぶまで、グルドーが召喚科のトップで王宮との契約も決まっているも同然だった。ところが昨年の騒動で、彼の存在はすっかり霞んでしまったのだ。
それ以来、グルドーはピリピリしている。今までの使い魔よりももっと強い使い魔を召喚しようと、いつも遅くまで練習をしていた。
グルドーの魔方陣が光を放ち始めた。シンシアはグルドーの邪魔をしないように、言葉を飲み込む。
やっぱり凄く綺麗。シンシアはグルドーの魔方陣に見惚れた。
魔方陣は蒼く透き通った光で細かい模様を刻んでいる。レースのように繊細で美しい模様。込められた魔力もかなりの量で、これならきっと上位の使い魔を召喚できる。
魔方陣から蒼い光が中央に一際明るく立ち上る。光は少しずつ人の形をとっていった。やがて光は収まり、召喚が成功した。
長く豊かな黒髪に深紅のドレス。ぴたりと体のラインに沿うドレスで、脇に深いスリットが入っている。大きく開いた胸元は、押し上げる双丘ではちきれんばかりに張っていた。ぽってりとした唇は鮮やかな紅で、長いまつ毛と閉じたまぶたが瞳を隠している。
とても綺麗で華やかな美女だった。
「や、やった」
額に汗を浮かべたグルドーが呟く。
グルドーの呟きを合図に、女のまぶたがピクリと震えゆっくりと開いた。現れた大きな瞳は、やはりルビーのように真っ赤だった。
紅の瞳が召喚主のグルドーを通り過ぎ、ある場所でぴたりと止まる。
「えっ、こっち?」
美女の視線がこっちを向いていることにシンシアは驚く。ところがすぐにもっと驚くことになった。
バラが花弁を広げるように、艶やかな笑みを浮かべたと思ったら、両手を大きく開く。スリットから覗く白い足が、駆けだした。
「ライ様ああああっ、お会いしとうございましたあっ」
だだだだだっと駆けだして勢いよくダイブ。ライに真っ直ぐ飛び込んでいった。しかし。
「お前か」
当のライはシンシアをひょいと抱え直し、美女をひらりと躱した。勢い余った美女が会場の端に張り巡らされた結界に激突する。結界にバキバキとヒビが入った。
「ぎゃーーっ、今年は強化していたのに!」
「こりゃ、結界をもう二つくらい重ねがけじゃのう」
「また残業かぁぁぁ」
練習する生徒を見守っていた教師たちが、思い思いの声を上げている。
「なんで避けるんですのぉっ」
結界に貼り付いていた美女が、がばっとこっちを向いた。高くて形のいい鼻が赤くなっている。だいじょうぶだろうかとシンシアは心配になった。
「シンシア以外に抱きつかれたくない」
「まあ。相変わらずの照れ屋さんでいらっしゃるのね」
ぽっと赤らんだ頬を両手で包み、美女がくびれた腰をくねらせる。ライの表情から温もりが消えた。
「……ライ?」
初めて見るライの様子に、シンシアは不安になった。シンシアの前ではいつも子供っぽい表情を見せているのに、今はなんだかずっと年上の人みたいだ。
……人間ではないのだから、実際にそうなのだけど。
「何しに来たんだよ、クロリア。お前、人間に召喚されるなんて絶対嫌だって言ってたじゃないか」
「それはもちろん。わたくし、ライ様にお会いするために下等な人間の召喚に応えてやったのですわ。愛の前には、わたくしのちっぽけなプライドなど無意味ですもの」
クロリアと呼ばれた美少女がにっこりと紅の唇を吊り上げる。
「そんなことよりもライ様、その女が契約の主なんですの? お可哀そうに。貧相な小娘ではありませんか。無理矢理契約で縛られてしまったんですのね」
「シンシアとの契約は俺が望んだことだよ。無理矢理なんかじゃない」
まあ、とクロリアの紅の瞳が見開かれた。シンシアを見ると、小馬鹿にしたような笑みに変わる。
「こんな人間の小娘なんかにライ様が? 少しばかり魔力が美味しそうだという以外、とりたてて美しいわけでもなんでもないではありませんか。目を覚ましてくださいませ。ライ様にはわたくしというフィアンセがおりますのよ?」
「……フィアンセ?」
シンシアは、すうっと自分の体から血が引いていくのが分かった。自分を抱えている少年の服をぎゅっと掴む。
「ええ。フィアンセですわ。わたくしとライ様は正式に認められたフィアンセですのよ。精霊王のライ様とわたくし。力ある精霊同士が婚姻を結ぶのは常識ですわ。なのに横から貧相な泥棒猫が入り込んで。身の程を知りなさい」
クロリアの言葉が棘になってシンシアに刺さる。
「いい加減にしろ、クロリア!」
初めて聞くライの落雷のような声に、シンシアは身体をびくりと震わせた。怖い。
大人びて知らない表情のライも、ライが出した怒鳴り声も、ライに婚約者がいたという事実も、自分が人間で、ライが精霊だということも。怖い。
「ライ様?」
「シンシアは俺の全てを捧げた相手だよ。それに婚約はとっくに解消しただろ」
縮こまったシンシアの体をライが小さく揺らし、大丈夫だという風にそっと抱え直された。それでもシンシアはライにしがみつく。しっかりと抱かれているのに、振り落とされてしまいそうで。
「何故ですの? 納得できませんわ」
クロリアの声と紅の唇が震えた。ずいっとこちらに詰め寄ってくる。そのクロリアの方へ、痩せて骨ばった手が置かれた。グルドーだ。
「ちょっと待て、おい! 俺を無視して話を進めるな」
むすっと唇をへの字に結び、グルドーが低い声を絞る。
「下等な人間がわたくしに話しかけないで下さる? 今わたくしはライ様と話しているの」
クロリアがライへ向けていた笑顔を綺麗に消し去った。細く形のいい眉が居丈高に上がる。
「あんたを召喚したのは俺だ! 俺が還そうと思えばそれで終わりなんだぞ」
「あら、そんなことを言っていいの? 人間。お前、パフォーマンスを成功しなくては困るのではなくて?」
クロリアは長いまつ毛の生えたまぶたを半分下ろし、冷たい流し目をグルドーへ向けた。
「わたくしと契約したいのでしょう? してあげても構わなくてよ。契約すればずっとこちらに、ライ様の側にいられるんですもの」
「うぐぐ」
図星を突かれたグルドーが喉の奥で唸った。しばし骨ばった拳を震わせる。だがさっと顔を上げた。
「お断りだ。あんたよりもっと凄い他の使い魔を召喚する。だから、還れ」
左手で追い払う仕草をしながら、右手で異界へ還すように魔方陣を書き換えた。
「なんですって? 貧相な人間のくせに生意気……あっちょっと、お待ちなさ……」
最後まで言い終えることなく、クロリアは魔方陣の光に飲み込まれて消えた。
「だあああっ、くそおぉっ」
グルドーが何度召喚をやってみても、クロリア以外の使い魔を呼べなかった。以前頻繁に召喚していた漆黒の牡牛でさえ、グルドーの呼びかけに応えてくれない。
「ごめんなさい、グルドー」
シンシアはしゅんとして謝った。
学園祭当日。朝が早くてまだ誰もいない会場内。中央で何度も召喚魔法を試すグルドーをシンシアはずっと眺めていた。
「全くだ。お前らのせいで散々だ。ざっけんなよ、チクショウ!」
地団太を踏むグルドーへ、二つの声が噛みつく。
「シンシアを悪く言うな!」
「ライ様を悪く言うんじゃありませんわよ!」
じわっ。息のあった二人の様子に、シンシアの瞳へ涙が浮かんだ。
「泣かないで、シンシア。でも嫉妬してくれるのは嬉しい」
慌ててライがシンシアを慰める。
「うううぅ、ライ様」
何度目かであるシンシアとライのやり取りに、勝気だったクロリアが折れかかっていた。
「こんなの嘘ですわ。あのライ様が本当に小娘に夢中になっているなんて」
ぐすっとクロリアの鼻が鳴る。彼女の鼻先にずいっとハンカチが差し出された。
下を向いたグルドーが、クロリアの顔を見ずにハンカチだけを差し出していた。
「ふんっ……お前なんかに礼など言いませんわ」
涙声のクロリアがハンカチを受け取る。その手つきは言葉とは裏腹に優しかった。ハンカチだけを受け取らずに、クロリアがわざとグルドーの手に触れる。
シンシアとライの関係は言わずもがななのだが、ここ数日でクロリアとグルドーの関係にも変化がある。
「うぐっ、またかよ」
ぐらっとグルドーの体が揺れた。ひきつった顔でクロリアの手から乱暴に手を抜く。
「ああ。貧相な人間のくせに……魔力は美味ですわ」
うっとりとクロリアが呟いた。
「グルドー、もっと」
「勘弁してくれっ」
ざざざっとクロリアから距離を取るグルドーをクロリアが追う。最初はあんなにグルドーを見下していたクロリアがすっかりと態度を変えていた。
理由は遡ること、数日前。
グルドーはクロリア以外で高位の使い魔を呼び出そうと、必死に召喚魔法を使っていた。しかしその度に召喚されるのは。
「来てやりましたわよ」
クロリアだった。
「またお前かーっ」
その度にグルドーが地団太を踏む。グルドーのことなどクロリアの眼中にない。
「ライ様ぁ」
グルドーのことを綺麗に無視をして、ライへ駆け寄った。
「いい加減にしろ、クロリア! 俺はお前なんか好きじゃない。婚約だって、周りが勝手に言っていただけで、あんなものは無効だ!」
しつこいクロリアに、とうとうライがキレた。正確にはとっくにキレていたのだが、シンシアに宥められて怒りを飲み込んでいただけなのだ。
「駄目、ライ」
シンシアの制止は少し遅く、ライの放った雷がクロリアへ落ちた。
ガガンッ!
青白い閃光と轟音が空気をつんざく。ところが。
クロリアに勢いよく黒い影がぶつかった。グルドーがクロリアに体当たりしたのだ。しかし光の速さである雷がそんなもので避けられるはずがなく、二人を雷が襲った。
「お前、どうしてっ」
クロリアが自分の上に倒れたグルドーを抱き起した。ぎゅっと目を瞑っていたグルドーが「あれ」と自分の体を叩く。
「なんともない?」
「直撃しないように逸らしといたよ」
級友に何かあったらシンシアが悲しむ、とライが付け加えた。が、グルドーは聞いていなかった。
正確には、聞く余地がなかった。ぐいっとクロリアに両手で顔を挟みこまれ、強引に引き寄せられたからだ。
「……お前、そんなにわたくしのことを」
紅の瞳がうるうると揺れていた。グルドーの痩せた顔が傍目にも分かるほど紅く染まる。
「か、勘違いするなよ。今使い魔がどうにかなったら、学園祭のパフォーマンスがだなっ」
「お前、そんなにわたくしのことを想っているのね。無理もありませんわ。わたくしのこの美貌。完璧ですもの」
「聞けよ!」
「し、仕方ありませんわね。ああ、でもわたくしにはライ様が……ああ、美しいって罪」
「聞けーーーっ!」
クロリアの手から抜け出そうとグルドーが暴れたが、びくともしないようだ。そのうちにぐたっとグルドーの体から力が抜けた。どうやら魔力を吸われたらしい。
「人間の魔力なんて、と思っていましたけれど。癖になりそうですわ。人間。わたくしに魔力を献上する栄誉を与えてあげますわ」
「要らな……」
「そうと決まれば契約ですわね。さ、こっちを向いて」
「え、ちょ……まっ」
「ええと、良かったね、なのかな」
「そうじゃないの?」
グルドーが本気で嫌がっているのなら止めるところだったけれど。口では嫌がっているし、クロリアに振り回されているだけに見える。でも、ここ数日を見ていて、グルドーが契約のことだけでクロリアに付き合っているわけではなさそうだったから。
シンシアとライはそっとその場を立ち去った。翌日、契約を結んでほくほく顔のクロリアがグルドーの側にいた。
学園祭、開始時間が来る。シンシアとライはもう王宮行きがきまっているため、今年は見学だ。
会場の中央にはグルドー。
位置としてはシンシアに背を向けているため、グルドーの表情は見えない。シンシアとライは痩せぎすの背中を眺めていた。
「シンシア。お前の召喚魔法はずっと完璧だった。ただ、そこの使い魔が色々偽ってただけで。つまり、今の事態は俺の実力不足だったってわけだ」
学園祭は王宮付きの召喚士になれるかどうかもかかっている。グルドーは苦労人で、実家は裕福ではなく大家族だ。一定の成績を維持することを条件に学費も免除してもらっている。きっとすごく焦っていたはずなのに。
彼はそんな素振りを見せずに、ただ黙々と召喚の練習をしていた。いい人なのだと思う。だから、彼の努力を認めてもらいたい。
グルドーの魔方陣が完成する。美しい光とともに、クロリアが現れる。彼女は艶然と微笑み、両手を広げた。
この日、会場内を染め上げるほどの紅蓮の炎が、王宮のスカウトたちを魅了した。