1章の14-女子高生と運動会-
五月も半ばに差し掛かると、春は次第に熱量を増して初夏への橋渡しを図る。
炎天下と表現するには優しい日差しの下、工芸高校の広いグラウンドには若人たちの歓声が響いていた。
全校生徒が朱雀・白虎・青龍・黄鷲の四団に別れて競い合う、血沸き肉踊る筋肉の祭典。
つまりは運動会である。
「ま、好きな人は好きなんだろうけど」
とはいえ私はこの手の行事が壊滅的に苦手である。
よって午前中に出場する競技をそうそうに全消化した私はグラウンドの古城公園側、白虎団の陣地にて、応援用の団扇を片手にトラックを駆ける級友諸先輩らの奮闘をぐったりと眺めていた。
「私は好きだけどな、こういうの。おらーっ、がんばれー!」
隣に椅子を並べた親友、伊東衣子ことキヌちゃんは、私にニカっと笑ってからトラックで競う同胞にエールを投げた。今はちょうど、われらが委員長にして同じく白虎団である大場が1500m走に挑んでいる。なかなかの快走ぶりだ。
「キヌちゃん陸上得意だもんね。委員長も、あんなに足が速いって知らなかったわ……」
「男子は体育別だもんね」
「スキー大会とかなら、もっとテンションも上がるんだけどなあ……」
「冬にはちゃんとスキー実習あるらしいし、それまでの我慢だね」
キヌちゃんは手のかかる子供をあやすように私をあしらうと、応援に張り上げた声で荒れた喉を手持ちの水筒で潤す。額に汗を浮かべながらごくごくと喉を鳴らして飲み下す様は、彼女の性格由来の豪快さと少女特有の艶かしさが合わさって、なんだか色っぽい。まさにスポーツ少女、って感じだ。
私ものどが渇いてきた。
「そういえば、例のバイトはうまくいってんの?」
口元に運ぶ途中の水筒をピタリと止めて、いささか挙動不審にあたりを見回す。うん、誰も見てない聞いてない。
「声が大きいですぞキヌ殿」
「この歓声だもん、誰も聞いてないって。で、どうなん? 沙葺さんとは上手くいってんの?」
水を口に含んでいなくて助かった。非難めいた視線を向けると、キヌちゃんはにやにやといやらしい笑みを浮かべていた。
「あのねえ、別に私、沙葺さんと付き合ってるわけじゃないかんね」
「知ってる。からかってみただけ」
まったくもう、と口をとがらせる。「それはともかくとして」とキヌちゃんは追及の手を緩めない。
「どうなの、バイト。うまくいってる?」
「んー、まあ、ぼちぼち。聞いてたよりもちょっときつかったかなぁ」
言葉を選びながら答える。なんせ秘密を洩らしたら罰金5000円+記憶消去だ。財布にも健康にも、恐ろしいったら無い。
「え、でもあんた、ゲームかなんかのモニターだってんでしょ? 椅子に座ってるだけでいいんじゃないの?」
「それが実はさ、ゲームって言ってもテレビゲームじゃなくて、体を動かす系というか、何というか」
「モーションアクターみたいな?」
「そうそう、それ。ってキヌちゃん難しい言葉知ってんね」
「こないだテレビでやってた」
嘘の上塗りである。ちなみにキヌちゃんは「ふうん」と納得したようだった。キヌちゃんが納得してくれるんならそれでいいんだ。
「なに、あんた、もしかしていかがわしいポーズでも強要されたんじゃ……」
「や、そういうのはないから。キヌちゃんそっち方面に飛躍しすぎだよ」
心配してくれるのはありがたいけど、とりあえず落ち着けキヌちゃん。
そこで会話が一瞬途切れたので、私はようやく水筒に口をつけることができた。目の前のグラウンドでは長距離走の決着がついていて、委員長は惜しくも2位のゴールインであった。
「あー、委員長2位かー」
会場に響き渡る放送部員のアナウンスに、キヌちゃんが本当に悔しそうにつぶやいた。
「なんかマジだね、キヌちゃん」
「そりゃそうよ。あたし、運動会好きだもん。好きなもんマジになってやったほうが楽しいじゃん」
キヌちゃんが照りつける太陽とも見紛う強気な笑顔で言い切った。一瞬ホレるかと思った。
「一瞬ホレるかと思ったわ」
「あたしそういうケはないかんね。ホレても苦労するだけだぜ?」
へっへっへとキヌちゃんは不敵に笑った。
「なんか元気貰ったわ。きついっても今のバイト天職だと思うし、わたし頑張る」
「おうおう、その意気その意気」
「あんまりバイトバイト連呼するのはよろしくないと思うぞ」
私とキヌちゃんが友情を深めていると、割り込んできた声に背筋が凍える思いをした。
「い、委員長か」
「びっくりさせんでよね、もう」
私は胸をなでおろし、キヌちゃんは抗議しつつもどこかニヤついていた。まあそうよね。位置的にキヌちゃんは委員長が寄ってきてたの見えてるもんね。くっそ。
「まあ、学業に影響が出ない程度にな。あんまり成績が落ちるって結果が出てしまったら、僕が活動しにくくなるし」
「はいはい、心配してくれてアリガト。委員長は政治的取引を頑張ってね」
「もちろんだ」とだけ言って、委員長は自分の席へ戻っていった。……っていうか、結構席離れてんのに何でこっち寄ったんだろ。
「委員長ってさ、すみれに気があるんじゃない?」
「まっさかぁ」
キヌちゃんはいつもの調子でにししと笑った。いやあ、たぶんそれはないよ。うん。
後半の目玉である長距離走が終わって、いよいよ運動会も佳境だ。あとは花形の男女混合リレーを残すのみ。これにはキヌちゃんも出場するから、私も精いっぱい応援しなくっちゃね。あと委員長も出るらしい。
各団の得点数はいい感じに拮抗。この結果が優勝に直結する大切な一戦だ。会場の熱気が最高潮に達し、最後の熱戦の火ぶたが切って落とされようとしていた。
「私はとにかくお金がない。」第一章・完
お待たせしました。これにて第一章終了です。
二章開始はおそらく来年になりそうです。その前に一章を改稿したいんですけどね……(死亡フラグ
まあ、気長にお待ちください。今後とも「わたかね」(友人が略称を考えてくれました)をよろしくお願い致します。 永多真澄




