いたいよ、くるしいよ
あの日から、1ヶ月が経った。
会社はすっかり『今まで』を取り戻したようだった。少なくともパッと見た限りは。
「八城くん、企業さんからのお電話、取ってくれたんだって? ありがとね」
「あぁ、いえいえ! 気にしないで下さい」
「高丘さん。資料、机の上に置いておいたからね」
「片桐くん、ありがとう! 後は任せて! 今日明日中に上げて見せるから!」
「うん。宜しくね」
わたしの噂のせいで酷く傷つけてしまった2人も、前の雰囲気を取り戻しつつある。
静海はちょっと立ち直りが早過ぎる気もするけど。
噂はその中心人物であった深谷さんが死んでしまってからすっかり語られなくなった。
彼氏であった静海が事情聴取されることもあったけど、目撃証言から事件でもなく、遺書も見つからなかったので恐らく自殺でもないだろうと、警察もあっという間に居なくなってしまった。
……そしてわたしは、深谷さんのことを考えながら毎日を過ごしている。
幸せな日々を過ごしていた筈なのに。心ない噂で酷く責められて
そして不慮の事故なのか、自殺なのかも曖昧なまま命を片付けられて
同僚も、彼氏すらからも、あっという間に過去の存在にされていってしまう
まるで面白可笑しく踊らされて捨てられたピエロの様だった。
そして、そのピエロを作り出した犯人すらも、その事実を胸に隠したまま、のうのうと過ごしてのだから。報われないにも程があるじゃないか。
「……あぁ、ほんと」
「どーしたんですか? 先輩」
たまらず口を出た独り言が聞こえてしまったようで、八城くんがわたしに声を掛けてきた。
相変わらず彼は本当にいい子だった。そんな彼を傷つけてしまったんだと思うと、もうどうしようもない気持ちになる。
「んー? あぁ、こんなに皆頑張ってるんだし、なんかご馳走でもしたいなって思ってさ」
「先輩、それってデートのお誘いですか?」
「皆っていってるでしょ、み・ん・な!」
「ちぇ、バレちゃいましたか」
「ほらほら、デスクに戻りなさい。頑張ったらなんか奢ってあげるから」
そう言って彼を追い返した。
溜息を喉の奥に押し込んで、これで良かったんだと自分に言い聞かせて。
わたしは「よし、集中しよ」と呟いてパソコンと向き直った。
と、その瞬間である。
ガシャン! と大きな物音が響いた。
「わ、なんか凄い音が出たけど大丈……ぶ……?」
音の方向に振り向くと、そこには静海がひっくり返って倒れていた。
「……静海!?」
会社だと言うことも忘れて、大声で彼の名前を叫ぶ。
駆け寄り、静海の手を取る。
「え」
静海の手を取った瞬間、捲れた袖口から嫌なものが見えた。
が、しっかりと確認する前に振り払われてしまう。
「貧血だから、大丈夫」
彼は心配する周りを置いて立ち上がると、倒れたはずみで落とした書類を集め、去って行った。
でもわたしは見てしまった。
袖口から見える包帯と、それでも隠しきれない傷が。
「あ、ぁ……」
平然とした顔で、静海はこんなにも苦しんでいた。
きっと包帯の下はもっともっと傷付いていて、彼の心を表しているんだろう。
「ぁ、し、静海、待って」
声が震えた。足が立たない。
……わたしのせいだ。わたしが追い詰めたんだ。
痛くて、苦しくて
辛いと言ってくれない静海が悲しかった。
「しず、か」
「先輩。大丈夫ですか」
伸ばしたわたしの手を取ったのは、八城くんだった。
「ちょっと休みましょう。先輩」
◇
「らしくないです。先輩。あんなに取り乱して、どうしたんですか」
屋上で2人。八城くんが買ってくれた缶コーヒーを手に、わたしは俯いた。
「先輩。確かに先輩は凄い人ですけど、たまには後輩を頼って下さいよ。
……片桐先輩と、なんかあったんですよね?」
あぁ、情けないなぁ。後輩にこんなに見抜かれて。
会社でこんな姿を晒して。
完璧じゃない姿を出してみたいと思った時もあったけど、今はもう全員の記憶を消してしまいたいくらいだった。
「……なんかあったんですね?」
わたしが無言でいたことに、八城くんの声が低くなる。
はっと顔を上げると、彼は眉間に皺を寄せ、険しい表情でドアの方向に歩き出そうとしていた。
「ちょっと片桐先輩に一言、言ってきます。こんな時まで自分勝手に振舞いやがって」
八城くんが怒っている。
何故なのかは分からないけれど、確かに怒っていた。
噂の引き合いに出されていたからなのか、わたしの姿に驚いたからなのか、彼の心情は分からなかったけれど、確かに彼は怒っていた。
「ま、待って八城くん! 違うから!」
慌てて呼び止める。
仕方なく、先程見てしまった静海の手首に見た傷のことを彼に伝えた。
「……深谷さんのことで、相当追い詰められてるみたいなの。それを知って、頭が真っ白になっちゃって」
「でも、高丘先輩が思いつめることじゃないと思います。先輩は優し過ぎます」
優しくないよ。だってわたしが犯人なんだから。
なんて、言えるはずもなくって。
「でも、幼馴染だから。心配で」
「……そうですか」
わたしの言葉に、八城くんは唇を噛んだ。
「……先輩は、片桐先輩をどうしたいんですか?」
「ど、どうって?」
「言葉のまんまです。オレ、力になりますから」
真剣な瞳で、八城君はわたしを見つめた。
質問以外の返答は認めない、とでも言うかのように。
「……静海にリストカットをやめさせたい。前のようにいかなくてもいい。立ち直って欲しい」
本心だった。願いはそれだけだった。
絞り出す様に伝えると、八城くんは「分かりました」とだけ答えた。
「ねぇ、八城くん」
「多分、口で言っても聞かないですよ。片桐先輩」
「え、うん。そうだね」
「もう家に押し入るしかないと思うんですよ。そんで、まずは本心を洗いざらい喋ってもらって」
酒の力でね。と八城くんは笑った。
「これからは出来るだけ一緒に居て、新しい思い出で上書きしてくしかないんじゃないかって思うんですよね」
「……新しい思い出で」
「そういうものじゃないですか? ほら、過去の恋人が新しく誰かを好きになった途端にどうでもよくなるみたいなことありません?」
そういうものなのかなぁ、と言うと、彼は「そういうものですって」と、答えた。
「先輩、片桐先輩の今住んでるとこ知ってますよね? じゃ、今日決行で!」
「きょ、きょう!?」
「善は急げってやつですよ!」
八城くんに引っ張られるかのように屋上を後にする。
「待って待って八城くん! コーヒー! 零れちゃうから!!」
嵐のような彼に振り回されているうちに、いつの間にかわたしの不安は消え去っていた。
12月20日の誕生花『クリスマスローズ』
花言葉は主に5つあるらしいです。
『私の不安を和らげて』




