3章・2夜明け
「起きろ、ヴィー」
繰り返されるその声と緩やかな揺さぶりに目が覚める。
薄暗い部屋。見覚えがない。どこだっけ?
「ヴィー、がんばれ起きろ」
アンディの声だ。
それに気づいたとたんに昨夜のことを思い出した。
ここは騎士団本部だ。
「起きたか?」
降ってくる声に顔をあげる。
昨日と同じ格好のまま、あたしはアンディにもたれかかって眠っていたようだ。
窓の外はわずかに明るい。
「…ごめん。重かったでしょ」
「騎士だぞ、俺は」
「そっか。ホープだもんね」
多分、長くは寝ていない。けれど深い眠りだったようだ。頭はすっきりしている。
「家人に気づかれないようにしたいなら、もう帰らないとまずい。どうする?」
「帰る。こっそり戻りたい」
アンディはそうかとうなずき立ち上がると、あたしの脇の下に手を添えてまるで子供のように立たせた。
「僕、子供じゃないよ」
「ずっと同じ態勢だったから、痛いだろう」
言われて気づいた。本当だ。お尻は痛いし膝は伸びない。
「悪いが俺はまだ勤務中だ。マッシモに送ってもらう」
「マッシモ?」
「副官。昨日お前を案内した男だ」
あの人か、と納得しかけたとき。
「おはよう」
と見知らぬ声がして、飛び上がった。
扉の近くにマッシモが立っていたのだ。
いつから?え、最初から?
アンディと自分しかいないと思っていたから、油断した。心臓がバクバク音を立てている。
「マッシモ・ジュリアーニだ」
アンディの紹介に、マッシモは頭を小さく下げた。
「同級生でフェルディナンドもよく知っている。信用できるヤツだ。こいつが馬で送るのが一番安全なんだが、それで大丈夫か?」
「うん。よろしくお願いします」
マッシモにペコリとすると、彼はほの暗さの中でもはっきりわかるほどに、破顔した。
「あのフェルディナンドと兄弟だとは思えないな」
『あの』って。フェルはどう思われているんだ。
…そういえばうちに来るフェルの友達ってアンディしかいなかったから、他に友達はいないんだと思っていた。だけどそれもきっと、あたしのせいで招けなかったんだ。
「今日の午後は休みだからな。久しぶりに美味いご飯を食べに街に出るか」
そんなことを言うアンディを見る。薄明の中でも疲れているのがわかる顔だ。
机の上には、昨夜の書類が乗っている。
「行かない。そんなことより、ゆっくり休んでほしいよ。…これで来月…もう今月か、本当に忙しくなくなるの?」
「なる。心配するな、ちゃんと遊んでやるから」
「そんな心配してないよ!身体を壊さないでほしいの」
「大丈夫」とマッシモが言う。「今月と来月はここまで忙しくはないから」
それはつまり、忙しくなくなるわけじゃないってことだ。それに。
「五月からはまたこんな状態ってこと?」
マッシモがアンディを見る。
あれ、変な雰囲気だ。
「ヴィー」とアンディ。「五月はまるまるいない。国境までペソア使節団の迎えに行く。その件でずっと忙しかったんだ」
「…一月もいないの?」
「…それまで沢山遊ぼうな」
一月なんて一年に比べれば短い。
短いけど。
やだな。
やだなって子供っぽく思っているのも、アンディには筒抜けなのかな。
頭にふわりと大きな手が降りてきて、わしゃわしゃと撫でてくれる。
いつも絶妙なタイミングなのも、あたしの気持ちがわかっているからなのか。
「…僕、アンディに頭を撫でてもらうの好き」
「どうした、唐突に」
「すごく安心する」
「そうか」
「無理して遊ばなくていい。でもうちにご飯は食べに来て。で、たくさん頭撫でてくれたらそれでいいよ。一月もいないのもガマンする」
ワガママなのか違うのかわからないなあと笑うアンディ。あたしの頭から下ろされた手。どこか違和感。
「…指輪!」
思わず叫んだ。アンディが必ずつけている、父君からもらった厄除けの指輪がない。
アンディは自分の手を見ると、ああ、と呟いた。
「なくした」
「本当に?」
アンディは父君とうまくいってない。そのせいではないの?
「外で手袋を外したときに落としたみたいでな。みつからないんだ」
騎士がする皮の手袋は、剣をしっかり握れるようにかなりぴったりした作りだ。確かに脱着は大変そうだから、そんなこともあるのかもしれない。
それれならいいのだけれど。
仲がますますこじれて、外さざるを得なかったのでなければ。
でも大事な厄除けだったのに…。
そうだ。今回のお礼に新しい指輪をプレゼントしよう。
ウォルフのお店が厄除け祈祷がされた銀製品を扱い始めたって話していた。装身具もあるという。
アンディに時間の余裕ができたら、一緒に見に行こう。
あたしも買っちゃおうかな。
そう考えると久しぶりに、明るい気分になれた。
◇◇
送ってもらうとき、マッシモと少しだけ話をした。
昨日より以前に、顔を合わせたことがあるという。遠足のときなどにいたそうだ。
それ以外でも、あたしを見かけたことは何度もあるらしい。あたしが王宮に遊びに行っているときとか、アンディと街歩きをしているときとか。
知らないところで見られていたのかと思うと恥ずかしい。
シュタイン邸に着いて別れ際、
「ヴィーは可愛いな」
とマッシモが言い出した。
「アンディやフェルが溺愛するのがわかる」
「ミリアムは僕よりもっと可愛いよ」
マッシモはそうか、と笑った。
「もう仲間内で伴侶がいないのはアンディだけなんだ」
「そうなの!?」
前世の感覚だと、23歳なんてまだまだ結婚する年齢じゃないのに。
マッシモは、仲間内はみな早婚でな、と言い添えた。
「あいつはきっと、このままだ」
マッシモは悲しげな目をしていた。絶縁のことを考えているのだろう。
マッシモも少年団に入っていたなら相当長い付き合いだ。胸を痛めないはずはない。
「ヴィー。あいつをよろしく頼むな」
そう言い残してマッシモは帰って行った。




