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2-00【老卿】―シャルロットSIDE―(※推敲済)


 落日の最後の余光が消失して、教皇庁アレシャイムに夜が堕ちる。

 教皇ウェルティス・フォン=バレル三世の死は、西大陸全土に衝撃と動揺を齎した。 それは教皇庁儀典室から公にされた内容が、ひどく限定的であったこともにも起因する。 教皇の死因は老衰や病死ではなく、教会転覆の陰謀に巻き込まれて命を落としたとされていた。 そして、その断片的な事実は聖アルジャベータ公会にとって、甚だ芳しくないものであった。 教皇殺害の首謀者として挙げられた人物が、聖公会の中枢に名を連ねていたからである。


 ―――ミルフィーナ・ド・グラドユニオン


 彼女はアダマストルでも有数の名門貴族、グラドユニオン家の一人娘であり、聖女を守護するガーディアンの団長を務める人物であった。 同家は古派のひとつである聖アルジャベータ公会に多大な影響力を誇り、アダマストル王室とも縁深い。 故に此度の問題は宗教世界のみならず、メナディエル教圏の国家間に様々な軋轢を生んでいた。

 今や人々の尊敬と信望を集めた娘子軍の名声は地に堕ちていた。


 ・

 ・

 ・


「先生、フィーナに会わせてくださいっ!」


 シャルロットの狼狽した声が、執務室の空気を震わせた。 少女の視線は、優雅な曲げ木を誂えた揺り椅子に座る人物へと向けられている。


「落ち着きなされ」


 白髪の老人が、手に持った書物から視線をあげて少女を嗜める。

 年輪じわの刻み込まれた彫りの深い顔を彩るのは、包み込むような深蒼の瞳に端厳な口元と長い顎鬚。 高い鼻筋に挟み込むようにのせられた眼鏡が印象的であった―――ヴィルヘルム・アンスバッハ首席枢機卿、その人である。

 ヴィルヘルムはランスロットからミルフィーナの言伝を聞くや否や、元老院の手がシャルロットに伸びる前に一計を講じたのだ。 彼はいち早く枢機卿団を召集すると、シャルロットを教皇殺害の重要参考人として召喚したのだった。 外面的には証人の監視と尋問となっているが、実際はシャルロットの身を守る為に体裁よく口実を並べているだけだ。 それが証拠に元老院の特使がシャルロットの身柄引き渡しを幾度となく求めてきたが、ヴィルヘルムはその要求の全てを突っ撥ねている。 最終的な破局には到っていないが、教皇庁内部の緊張も日々高まっていた。


「落ち着くなんて出来るわけがありませんわ! こうしている間にもフィーナは……」


 シャルロットが声を荒げる。 ヴィルヘルムの冷静な対応が逆に苛立ちを募らせてしまったようである。


「ミルフィーナ・ド・グラドユニオンは審問会での聖審を終えた後、近日中に贖罪の牢獄へと護送されるそうじゃ」


「そんな……」


 シャルロットは声まで青ざめて絶句する。

 贖罪の牢獄は教会の面子を守る為、表立って処罰できない高位聖職者や王侯貴族、異端者として認定するには不都合な人間を秘密裏に幽閉する寓居の類である。 嘗ては存在自体が根も葉もない噂と一笑に付されたが、十数年前のある事件がきっかけとなり、広く取り沙汰された。 もっとも、その在処は未だに秘匿されている為に真偽の程は定かではない。


「全ての命は女神が創りたもうたもの。 聖下亡き今、政務を司る元老院の意思は女神のご意思でもある」


 教皇の権威は唯一無二のものでなければならない。 それは使徒座空位期間に、教皇の権威を必要とする承認事項は成立しないことからも実証されている。 だが実情では、教会の実質的な支配者は元老院であるといっても過言ではなかった。 元老院は過去幾度となく傀儡の教皇を擁立することにより教会を影から操ってきた。 そして、対立する機関の権限を悉く縮小することによって、自己の発言力を高めていたのである。

 ヴィルヘルムは不心得にも女神の名を引き合いに、それを皮肉っているのだ。


「先生はフィーナではなく、元老院の詭弁を信じるおつもりですかっ!?」


 シャルロットが激昂する。 精神的なゆとりを著しく欠いた人間相手では逆効果であったようだ。 少女はヴィルヘルムに詰め寄ろうとするが、床上に乱雑に積み上げられた蔵書に足を取られよろめいてしまう。


「おっと」


 体勢を崩した少女の身体を、奇抜な衣装に身を包んだ青年が受け止める。 書架の陰から会話の成行きを見守っていたが、そうもいかなくなったのだろう。


「老卿の肝っ玉は図太いを通り越して鈍感なんですよ」


「エドゥアルト、お前は黙っておれ」


 偏屈の塊のようなヴィルヘルムが初めて取った直弟子―――エドゥアルト・ラガ・ディファル。 それがこの若者の名前だった。

 ヴィルヘルムに睨まれると、青年はそそくさと書斎の隅に退散する。 元から深入りするつもりはないようである。


「姫にはミルフィーナ・ド・グラドユニオンを無実たらしめる確証がおありか?」


 ヴィルヘルムはアダマストル公国の出身である。 嘗ては王家の教育係を勤めていたこともあり、娘子軍の面々とも知己である。 故にガーディアンの女団長が信用に足る人物であることは十分心得ていた。 だが、相識であったからこそ、その危うさも同時に理解していた。 ミルフィーナがシャルロットへと示す忠誠は、守護騎士としての職務の範疇を超えたところにあると、ヴィルヘルムの目には映っていた。


「それは……」


 シャルロットは無意識に首元へと手を添える。 首元を隠すように幾重にも巻かれた真紅の絹布。 そこには聖アルジャベータ騎士団の紋章が縫いこまれていた。 それは常日頃、ミルフィーナが愛用していた手巾帯である。


「きっと、フィーナは私を護るために……。 そ、それに……聖下は―――」


 人間ではない……そう続けようとして、シャルロットは言葉を呑み込む。

 教皇が屍族との間に“夜の契約”をしていた真実を明かせば、自分に聖女の資質がないという事実までも公になるかもしれない。 いや、そもそもそのような突拍子もない話など、気狂いじみた妄言と捨て置かれるのがおちである。


「焦っても事態が好転するとは限らぬ。 なにより、今下手に動いてはあの娘の心遣いを無駄にすることになるじゃろうて」


 ヴィルヘルムはシャルロットの苦悩を心得たように、諄々(じゅんじゅん)と諭し聞かせる。


「先生……」


 シャルロットはどこかやりきれない面持ちで下唇を噛む。


「それより一杯どうじゃな? そう頭に血が上っておっては、良案も浮かばぬからの」


 ヴィルヘルムはゆったりとした動作で立ち上がると、馴れた手つきで東方製の茶器で香草茶を蓋碗へと注ぐ。

 古書独特のかび臭い匂いに混じり芳しい香りが、シャルロットの鼻腔をくすぐった。


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