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2-01【籠姫】―シャルロットSIDE―(※推敲済)


「聖女に一服盛るとは、老卿も罰当りなことだ」


 エドゥアルトは腕の中の眠り姫を見下ろして苦笑する。

 ヴィルヘルムが差し出した香草茶に睡眠薬が混入されていたらしく、シャルロットは強制的に夢の中の住人であった。 青年は半ば呆気にとられながらも、師の指示に従い少女を隣室へと運び込む。


「では、良い眠りを―――おっと……」


 エドゥアルトがシャルロットを寝台に横たえると、傍らで控えていた若い侍女が二人の間に押し入る。


「おやすみの接吻がまだなのだが?」


「エドゥアルトさまのお役目はここまでです」


 ヴィルヘルムから予め吹き込まれているのだろう。 侍女の言葉は木枯らしの如く冷え切っており取り付く島もない。 この繊細な美貌を持つ青年が、聖宮の女官との浮名を馳せる色情狂だと存知しているようであった。 全て計算ずくとは、なかなかに用意周到である。


「この場合、ご褒美の一つや二つあって然るべきだと思うのだが?」


 エドゥアルトが仏頂面で抗議する。


「それは、ヴィルヘルムさまに頂くのが道理に適っていると思われます」


 二の句を継がせぬ筋の通った正論。 エドゥアルトも渋々ながら退散を余儀なくされた。

 そもそも自己の不徳が招いた風評なので、不満の行き場がない。 もっとも、エドゥアルトにも彼なりの言分があり、「色恋沙汰の方が懇意に近づいてくるのだから、それを拒む理由はない」などと持論を展開している。


「俺も大概に信用がないらしい」


 肩を竦めたエドゥアルトだったが、不意に真顔に戻ると、


「だが、幸か不幸か、あの如何にも頼りなげな姫君が、真に聖女の名を冠するに相応しい人物であるのなら、長い付き合いになるかもしれんな」


 予言めいた言葉を吐きつつ、鼻歌と共にその場を後にした。


 ・

 ・

 ・


 シャルロットは深い眠りの中にいた。


 ―――貴女は聖女ではない……


 ウェルティス・フォン=バレル三世の言葉。 胸の中に生まれた小さな棘が少女を苛む。 記憶に染み付いた闇はシャルロットの心底まで浸透して居座り続けていた。


『わたしはいったい何者なのだろう?』


 籠姫の聖女として忌避と同情の眼差しに晒される日々。 教会教義や信仰の象徴で在り続けなければならない重荷は、少女を呪縛する血鎖であった。 だが、それは同時にシャルロット・リュズレイという人間を象る礎でもあったのだ。 己が聖女ではないという事実は、少女が背負わざるを得なかった過去の全てを否定するものだった。


『ソフィアお義母様……』


 壊れかけた心が、苦痛と恐怖に軋みながら過去の記憶と融合していく。

 シャルロットに自分を生んだとされるエレシアム・リュズレイの記憶は殆ど無い。 幼少期に形式的な対面を果たしてはいたが、それも数えるほどだ。 母親は籠姫として後宮に幽閉された我が子に進んで会おうとはしなかったのである。 赤子時代のシャルロットの世話は乳母のサリマに任じられ、親族ですら聖女の名を継ぐ第一嫡女に近づくことはなかった。 幼い籠姫は、周囲の愛情から隔絶された空間にひとり取り残されていた。


 ―――そして、閉塞した後宮での生活が八年目に達したある日、母エレシアムの死がシャルロットへと伝えられる。


「そう」


 それが肉親の死に直面した八歳の少女が零した唯一の言葉だった。 それ以上でもそれ以下でもない。 シャルロットにとって、エレシアムとはそういった存在であった。 そして、時を同じくして、心を閉ざし周囲の全てを拒絶していた少女の前に、ひとりの女性が現れる。


「……っ!?」


 幼いシャルロットの双眸が僅かに見開かれる。 驚嘆すべきか、その人物は少女の記憶に残る母親の姿と瓜二つだった。


「誰?」


 だが、少女の抱いた感情は直に払拭される。 目の前の女性とエレシアムには、決定的な差異があったからである。

 笑顔―――シャルロットの記憶のなかの母親は決して笑うことはない。 しかし、目の前の女性はまだどこか少女を思わせる穏やかな微笑み浮かべていたのだった。


「私はソフィア。 アナタのお母様の双子の妹なのよ。 今日は、アナタとお友達になりたいと思ってやってきたのだけど……」


 ソフィア・リュズレイ―――エレシアムの死後間も無くシャルロットの父ルクサーの後妻として迎えられた女性である。 正妻を亡くし、その喪が明けきらぬ内に後妻を娶ったことは、国内でも様々な物議を醸した。 しかし、アダマストル公国が聖女の血脈を受け継ぐ女帝制であることを考慮すれば、必要不可欠な処置とも解釈できた。 次代の女王候補であるシャルロットが成人するまでの間、王権を担える血脈者がルクサーと婚姻することが、最も妥当な選択肢だったのである。


「いらない」


 幼いシャルロットの返答は無機質で短かった。 ソフィアを正面から見据えて拒絶する様子は、他者の思惑に屈することを嫌う少女なりの意思表示であった。


「あら、残念。 でも、私は諦めが悪くて有名なのよ。 そのお陰でこうしてアナタに逢えているのだから」


 冗談めかして感情を濁すと、ソフィアは気にした素振りもなく微笑んだ。

 その言葉通りソフィアは見掛けによらず豪胆な性格の持ち主だった。 彼女は日ごと後宮を訪れると、乳母のサリマと共にシャルロットの身の回りの世話を献身的に始めたのだ。 籠姫の戒律を破ることも厭わずに、直向に尽瘁(じんすい)するその姿は、傍目から見ても常軌を逸しているように映った。

 一方、シャルロットは無関心を貫くことで、それらの干渉をやり過ごそうと考えた。 そうすることで、大概の人間の心は離れていくことを知っていたから。 しかし、ソフィアは諦めるどころか、足りない何かを補うように一層深い愛情をシャルロットへと注いだのだった。


「どうして……」


 ソフィアの一連の行動は、幼いシャルロットに苛立ちと戸惑いを抱かせた。 まるで腫れ物を扱うように接してくる血族たち。 忌避と畏敬の入り混じった視線を投掛けてくる貴族や聖職者。 煌びやかに彩られた虚構に満ちた少女の世界で、ソフィアという名の異物は無視できないものとなっていた。


「なんで……、なんで……ここに居るの? わたしは友達にもならないし……、あなたを母親だとも思わない!!」


 それは、シャルロットの心から溢れでた初めての激情だった。


「これ以上、わたしの世界に入ってこないでよ……」


 シャルロットはソフィアへと向けた視線を支えきれなくなると、その場にへたり込んでしまう。


「それは違うわ。 アナタ自身が望まない限り、他の誰も、喩え神様だってアナタの世界に入ることは適わない。 私を受け入れたくないのなら拒絶すればいいの。 でもね、アナタがどんなに拒んでも私のなかにはシャルロットが居る。 それを変えることもまた、私以外の何者にも出来ない」


 ソフィアはシャルロットの頬に手を添えて顔を上げさせた。


「怖かったの……」


 シャルロットの目から大粒の涙が零れ落ちる。 少女はそれを拭おうともせずに、震える声で話し続ける。


「わたしはわたしが嫌いだった……、認めたくなかった……。 でも、わたしがわたしでなければ、誰にも認めて貰えない……だから、だから―――」


 それは、壊れかけた心を守る為に、少女自身が己に課した呪縛だった。 シャルロットが恐れていたのは、他者に心を開く行為そのものではない。 誰よりも何よりも嫌悪する存在―――それは自分自身であり、そんな自己を受け入れてくれる人間が現れることを常に畏怖していた。 望まぬ自分が他人の世界に確立されることから逃げたかったのだ。


「シャルロット。 アナタがアナタであることを否定する必要はないのよ。 喩えアナタが聖女であろうとなかろうと、私の中のシャルロットは生まれた時からたった一人しかいないのだから」


 ソフィアという存在は灰色に塗り込められた少女の心に差した初めての色彩だった。 ともすれば、彼女の笑顔の中に求めて已まなかった母親の姿を重ね見ていただけなのかもしれない。 だが理由はどうあれ、シャルロットの時間はこの時から動きだしたのだった。


 ・

 ・

 ・


 紗幕の隙間から白々とした朝陽が差し込んでいた。

 シャルロットは寝台に横たわったまま、ぼんやりと窓の向こう側に視線を延ばす。 そこには澄み切った青い空が続いていた。


「いつからだろう、こうやって見上げる空が美しいと感じられるようになったのは……」


 シャルロットが漠然と独り言つ。

 幼き日に仰ぎ見た狭く切り取られた空と、今現在、視界を占めるこの空は、一体何が違ったのだろうか? そんな疑問がシャルロットの胸中を占めていた。


「そうだ……。 わたしに大切な人が出来る度に、無機質だった周囲の風景に、様々な感情が刻まれていった。 お義母様や婆やの中に在る自分自身を認めた時、あの風変わりな妹たちが突然に押しかけて来た時も、爺や先生に出会ったことも―――そしてフィーナ……少し頑固で恥ずかしがり屋な彼女は、わたしにとってはじめての友達だった」


 己の弱さすら甘受出来ずに逃げ続けていた幼き日の自分に、シャルロットは今更戻るわけにはいかなかった。


「お義母様のお言葉通りかもしれない……。 わたしは何を恐れていたのだろう。 事が公になれば、全てが壊れてしまうと思っていた。 大切な人達も、帰る場所も、何もかも失ってしまうかもしれないと―――でも違う、わたしはフィーナを信じている。 無実たる得る証拠なんてなくても、わたしはわたし自身の意志で行動すればいいのだから」


 シャルロットの双眸には揺るぎない決意の色が宿っていた。


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