第3話【裏】「寝付けないと言ったら、伝説の暗殺者が可愛いスタンプを誤爆した件」
北方国境。
吹雪。
視界は白い。
雪を踏む音だけが、
静かに響いていた。
黒い外套の男が歩く。
影のように。
音もなく。
雪の上に、
足跡すら残さず。
男は、
端末を見ていた。
――
1 スレ主
最近
寒くて寝付けないです
――
指が止まる。
数秒。
沈黙。
それから。
男は、
ゆっくり顔を上げた。
吹雪の向こう。
巨大な影。
山ほどもある、
白銀の魔獣。
寒波魔獣。
北の冬を呼ぶ災害級。
男は短く呟く。
「……原因」
腰の短剣を抜く。
――
18 名無しの影
殺す
――
送信。
次の瞬間。
白い雪原から、
轟音が消えた。
――
王都。
騎士団詰所。
兄は端末を見ていた。
――
18 名無しの影
殺す
――
沈黙。
「誰だ」
低い声。
副官が震える。
「だ、団長?」
「北の方の殺気だ」
端末がまた光る。
――
20 名無しの掃除屋
……その口調
随分と懐かしいですね
――
兄の眉が動く。
「まさか」
副官だけが、
会話についていけない。
――
裏通り。
掃除屋の執務室。
葉巻の煙が揺れていた。
掃除屋は、
静かに笑う。
「まだ生きていましたか」
部下が首を傾げる。
「知り合いですか」
「古い凶器ですよ」
端末を置く。
「北の警戒網を開けなさい」
「通すのですか」
「止められません」
掃除屋は、
少しだけ肩を竦めた。
「それに」
――
27 スレ主
でもありがとう
ネットのお友達って頼もしいですね
――
空気が止まる。
掃除屋が、
ゆっくり目を閉じた。
「あーあ」
部下が呟く。
「落ちましたね」
「ええ」
「完全に」
「ええ」
――
北方雪原。
寒波魔獣の首が落ちる。
雪が赤く染まった。
影は返り血を浴びたまま、
端末を見ていた。
――
32 スレ主
【ふわふわ犬が毛布にくるまっているスタンプ】
――
男が止まる。
完全に止まる。
吹雪の中で。
魔獣の死骸の上で。
数秒。
動かない。
震える指が、
端末に触れた。
――
34 名無しの影
【黒い犬が尻尾を振っているスタンプ】
――
送信。
沈黙。
そして。
「…………」
男は、
自分の端末を見た。
部下が見た。
遠くの監視兵も見た。
全員、
見た。
――
騎士団詰所。
兄が顔を覆った。
「おい……」
副官が困惑する。
「団長?」
「いや、
見るな」
端末が止まらない。
――
37 名無しの掃除屋
可愛らしい趣味ですねえ
38 名無しの魔導師
保存した
――
兄は肩を震わせた。
「終わったな……」
――
妹の部屋。
薄暗い室内。
妹は無表情で、
スタンプを保存していた。
別名保存。
複製。
保管。
――
52 名無しの魔導師
記録更新
――
「消える前に確保」
小さく呟く。
――
北方雪原。
影は無言だった。
寒波魔獣の死体が、
山のように積み上がっている。
それでも。
男は動かない。
端末を見ている。
――
47 スレ主
影さん
犬好きなんですね
――
沈黙。
長い沈黙。
吹雪だけが鳴っている。
やがて。
男は、
小さく打ち込んだ。
――
48 名無しの影
……はい
――
数秒後。
王都のあちこちで、
静かな笑いが漏れた。
兄。
掃除屋。
妹。
全員。
少しだけ、
口元が緩んでいた。
――
その夜。
北の寒波は止んだ。
雪雲が消える。
王都の気温が、
少しだけ上がった。
翌朝。
侯爵家へ、
大量の毛布が運び込まれる。
最高級の魔獣毛皮。
北方王族仕様。
防寒術式付き。
使用人たちが慌てる。
「どこからですかこれ!?」
「差出人がありません!」
――
北方雪原。
影は、
最後の魔獣を見下ろしていた。
黒い刃から、
血が落ちる。
端末が光る。
――
101 スレ主
毛布が増えてました
ぬくぬくです
――
男は目を閉じた。
静かに。
本当に静かに。
息を吐く。
――
102 名無しの剣士
良かった
103 名無しの影
……
104 名無しの掃除屋
間に合いましたか
――
影は、
何も打たなかった。
ただ。
吹雪の止んだ空を、
静かに見上げていた。




