第1話【表】「婚約破棄されたので掲示板に愚痴ったら家族が全員いた件」
短編版を連載用に改版しています。
【1話【表】】
婚約破棄されたので掲示板に愚痴ったら家族が全員いた件
1 スレ主
貴族です
今日、婚約破棄されました
愚痴っていいですか
2 名無しの大黒柱
どうぞ
3 名無しの剣士
聞く
4 名無しの魔導師
大丈夫?
――
魔導掲示板を開くのは、いつも夜だ。
名前はいらない。
家名もいらない。
顔も知られない。
だから、
少しだけ楽だった。
貴族は面倒だ。
言葉を選ぶ。
空気を読む。
笑顔を作る。
でもここでは、
何もしなくていい。
だから私は、
眠れない夜だけここへ来る。
……今夜みたいに。
――
5 スレ主
婚約者に
「愛がない」
と言われました
6 名無しの淑女
まあ
7 名無しの剣士
理由は
8 スレ主
浮気相手もいました
最近ずっと変だったので
たぶんそうなんだろうなって
9 名無しの大黒柱
変化はいつ頃からだ
10 スレ主
え
11 名無しの大黒柱
態度が変わった時期だ
――
なんだろう。
急に空気が変わった。
普段はもっとゆるい。
「それは辛いね」
「相手が悪い」
「甘い物でも食べな」
そういう掲示板なのに。
今日は違う。
やけに真剣だった。
――
12 スレ主
先月くらいです
13 名無しの魔導師
確認した
14 名無しの淑女
なるほど
15 名無しの剣士
把握した
――
把握って、
何を。
私は少し首を傾げた。
でも。
返信があるだけ、
ありがたかった。
今は、
一人でいたくなかったから。
――
16 スレ主
別に婚約自体は
どうでもよかったんです
面倒でしたし
17 名無しの大黒柱
嘘だな
18 スレ主
え
19 名無しの淑女
傷つきましたね?
――
指が止まった。
傷ついた。
……たぶん。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
舞踏会の真ん中で。
みんなに見られながら。
『愛がない』
そう言われた時。
胸が、
少しだけ痛かった。
――
20 スレ主
ちょっとだけ
――
ぴたり。
掲示板が止まった。
誰も返信しない。
珍しい。
なんだろう。
通信でも切れたのかな。
そう思った頃。
一つだけ、
通知が光った。
――
21 名無しの剣士
そうか
22 名無しの大黒柱
もう大丈夫だ
23 名無しの淑女
暖かくして休みなさいね
24 名無しの魔導師
結界、強化した
25 名無しの剣士
後は任せろ
――
後は任せろって、
何を。
私は少し笑ってしまった。
でも。
不思議だった。
重かった胸が、
少し軽い。
知らない誰かに、
大丈夫と言われただけなのに。
――
26 スレ主
ありがとうございます
なんか少し楽になりました
27 名無しの淑女
それなら良かったですわ
28 名無しの大黒柱
眠れそうか
29 スレ主
はい
眠いので寝ます
30 名無しの剣士
おやすみ
31 名無しの魔導師
良い夢を
32 名無しの大黒柱
安心して眠れ
――
私は端末を閉じた。
布団に潜る。
暖かい。
少しだけ安心した。
……たぶん。
今日は疲れていたのだと思う。
だから、
少し優しくされただけで。
泣きそうになった。
――翌朝――
51 名無しの魔導師
確認完了
52 名無しの大黒柱
情報は揃った
53 名無しの剣士
動く
54 名無しの淑女
ふふ
――
……え?
私は寝ぼけたまま、
掲示板を見る。
何が?
と思ったけれど。
なんとなく、
聞かない方がいい気がした。
――
61 名無しの大黒柱
学園側にも共有済み
62 名無しの魔導師
問題なし
63 名無しの剣士
来るぞ
――
怖い。
なんか怖い。
でも、
怖いって書き込むのも怖い。
――昼――
授業が終わった頃。
掲示板がまた動いた。
――
74 名無しの剣士
来たな
75 名無しの大黒柱
予想通りだ
――
来た?
誰が。
そう思った直後。
新しい書き込みが追加された。
――
81 名無しの魔法使い
俺は彼の友人だが
婚約は合意の上で解消したと聞いているぞ
――
……友人?
なんだろう。
急に嫌な感じがした。
――
82 名無しの大黒柱
ほう
具体的には?
83 名無しの魔法使い
彼女が感情的で話にならなかったらしい
家のために合理的判断をしただけだと聞いた
84 名無しの淑女
まあ
85 名無しの大黒柱
舞踏会でも取り乱していたと?
86 名無しの魔法使い
ああ
新しい婚約者は才女らしいし
比較すれば誰でも理解できるだろう
――
取り乱してない。
びっくりして、
固まっていただけだ。
というか。
なんでそんな詳しいの、
この人。
怖い。
――
87 名無しの魔導師
記録完了
88 名無しの剣士
後は任せろ
89 名無しの大黒柱
承知した
――
また。
ぴたりと。
掲示板が止まった。
完全な沈黙。
怖い。
何が起きてるの。
――
90 名無しの淑女
スレ主
91 名無しの淑女
今日はもう休みなさい
92 名無しの魔導師
端末、閉じて
93 名無しの大黒柱
もう大丈夫だ
――
私は。
言われるまま、
掲示板を閉じた。
なんとなく。
知らない方が、
いい気がしたから。
――翌朝――
食堂へ入ると。
父と母と兄と、
妹と祖父と祖母が揃っていた。
珍しい。
「おはようございます」
席につく。
全員が、
少しだけ視線を逸らした。
父は窓の外。
兄はパン。
母は紅茶。
妹はスープ。
祖母はジャム。
祖父だけが、
普通に食べている。
沈黙。
なんだろう。
怖い。
しばらくして。
父が静かに口を開いた。
「婚約者の件は片付いた」
「…………」
「そう、ですか」
また沈黙。
兄がパンを握り潰した。
妹が無言で頷く。
怖い。
「……何かあったんですか?」
誰も答えない。
祖父だけが、
ゆっくりスープを飲んでいた。
「お祖父様」
「うん?」
「何か知ってます?」
「飯がうまい」
「そうですか……」
絶対知ってる。
でも。
聞かない方がいい気がした。
私は新聞を開いた。
――
【速報】
某上級貴族家、
大規模不正発覚
関係者拘束へ
――
「…………」
私はゆっくり顔を上げた。
「早くないですか?」
家族全員が、
綺麗に視線を逸らした。
兄だけが、
小さく呟く。
「遅いくらいだ」
怖い。
でも。
テーブルには、
私の好きな焼き菓子が並んでいた。
紅茶も美味しい。
母が、
何も言わずにジャムを取ってくれる。
兄が、
焼きたてのパンを寄せてくれる。
父がお茶を淹れ直してくれる。
妹が、
黙って砂糖を追加する。
祖母がお皿を整える。
祖父が果物を剥いてくれる。
いつも通りだった。
ただ。
少しだけ。
みんな、
優しかった。
――
部屋へ戻る。
私は掲示板を開いた。
スレは閉鎖されていた。
最後の書き込みだけが残っている。
――
147 名無しの淑女
お疲れ様でした
――
誰が書いたんだろう。
そう思って。
やめた。
知らない方が、
たぶん幸せだから。
私は端末を閉じた。
それから。
少し考えて。
また新しいスレを立てた。
――
1 スレ主
最近
学園のランチが美味しくないです
2 名無しの剣士
……ほう
3 名無しの大黒柱
詳しく聞こうか
4 名無しの魔導師
原因調べる
――
「だからなんでそうなるの……」
私は少し笑った。
その日の夜。
王都の食品業界が、
静かに大混乱へ陥ったことを。
私はまだ知らない。




