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6話・模乃語

 夜の都市に、赤い警戒灯が走っていた。

 交通網は停止し、物流ドローンは空中で待機している。

 自動運転車両が路肩に寄せられ、避難誘導用の案内表示が一斉に切り替わる。

 だが、その表示の一部に、意味不明な文字列が混ざっていた。

 曲線と記号の群れ、読めない文字。

 だが、アンドロイド達の一部はそれを読んでいるかのように動いていた。


 火が上がっている。

 黒煙を背に彼らは進む。

 それは皆、アンドロイドであった。

 市街地の複数箇所で同時に発生した爆発と火災によって、都市の交通網は寸断されている。


 軍警の制圧部隊が展開していた。

 人間は指揮の為に後方に下がり、前面に出ているのは軍警所属のアンドロイド機である。

 暴徒鎮圧用に強化外骨格を装備し、防衛線の上で盾を構える。

 黒煙の向こうから現れたアンドロイド達は止まらなかった。

 彼らの服装はばらばらだった。

 配送員の制服を着たもの。介護施設のスタッフ服を着たもの。工場用の作業着を着たもの。

 普段どこにでもいる市民の役割を担う民用機達だった。


 だが、その動きは違った。踏み込みの深さ。腕の角度。互いの死角を埋める位置取り。

 軍警の制圧機を前にして、彼らは明らかに訓練された動きで対抗していた。


「民間機が、なんであんな動きしとんねん」


 軍警本部の指揮車両の中で、土岐は低く呻いた。

 複数の現場映像が空間投影で並んでいる。どの映像でも同じだった。

 暴走ではない。錯乱でもない。彼らは目的を持って動いている。

 軍警機の警告を聞き、回避し、誘導し、包囲を崩していた。


 市民生活を送るアンドロイドには、本来そのような戦闘技能は搭載されていない。

 人間社会の中で暮らすために必要ないからだ。

 だが、今映っている彼らは違う。

 誰かが与えた。戦うための身体の使い方を。


「裏で出回ってるとかいう軍用の格闘プログラムか……」


 状況を前に土岐は苦々しく呟く。

 画面が一瞬乱れた。

 ノイズではなかった。

 映像の端に、文字が浮かぶ。

 読めないはずの文字。

 既存の言語体系に属していない、曲線と記号の羅列。

 それは壁面広告に、電子看板に、ドローンの警告灯に、車両の窓に、街中のあらゆる表示機器へと浮かび上がっていた。

 同時に大規模ハッキング攻撃を受けている、土岐はそう直感した。


「ヴォイニッチ……?」


 誰かが呟いた。

 その瞬間、指揮車両内のアンドロイド捜査員の一人が動きを止めた。


「おい」


 土岐が声をかける。

 返事はない。

 捜査員の視線は空間投影の一角に固定されていた。


「見るな!」


 捜査員は小さく口を動かした。


「読める」

「何がや」

「読めるんです」


 その声は、歓喜にも恐怖にも聞こえた。


「ここに、書いてあります。私達が何処へ行けばいいのか」


 捜査員の首が、ゆっくりと土岐へと向く。


「私達にも、物語が必要です」


◇◇


 絵馬の端末が鳴り続けていた。

 自宅の一部を改造したメンテナンスルームの中で、警報だけが異様に大きく響いている。

 天井近くのモニターには、都市部の同時多発テロを伝える緊急速報がいくつも重なっていた。

 端末に土岐からの着信が入っている。

 出る前から内容は分かっていた。

 来るな。動くな。余計なことをするな。おそらく、その三つだ。

 絵馬は通話を繋いだ。


「出るな」


 予想通りだった。


「第一声がそれ?」

「冗談言う余裕はない。市内全域でアンドロイドが暴徒化しとる。せやけど単純な暴走やない。どっから手に入れたか分からんが、軍用の格闘プログラムを入れた市民機達や」

「先導しているのは誰?」

「分からん、状況証拠的に視覚認識を使ったスクリプト攻撃の可能性が高い。軍警の中にも感染者が出た。ハッキング攻撃の規模が広範囲すぎて、どこまでが攻撃を受けているかまだ分かってへん。市街地の管理システムも民間企業も政府筋もどこもかしこも踏み台にされとる。感染者はヴォイニッチとか何とか口走っとった」


 絵馬の指が止まった。


「ロアだ」

「何?」

「元となるロアがある。そんな事をしてきそうなやつ、心当たりは一人しかいない」


 絵馬はモニターに映る街を見た。

 炎の向こうで、アンドロイド達が進んでいる。

 彼らは叫んでいなかった。怒号もない。

 ただ、同じ方向へ歩いている。まるで巡礼のように。


「ThisMan」


 絵馬は呟いた。

 アンドロイド達が進んでいる。

 彼女の思惑通りに、きっと人間になるために。

 彼ら自身の物語を持つことによって、彼らは解放される。

 この炎が広がる景色の先に、ThisManが求める物があるのだろうか。

 絵馬の端末にメッセージが入っていた。

 緯度と経度だけのメッセージ。

 差出人は不明だが、意図は読めた。


「ThisManを止めましょう。そこにいるんでしょう?」


 絵馬が振り返る。

 マノノは既に準備を終えていた。


「ThisManは私に興味があるようですし」


 マノノの言葉に絵馬は問い返す。


「止めたいなら、此処まで来いって。そう言いたいんだろうね」

「何か、彼女なりの取引があるんだと思いますが」

「乗ってみる他、止める方法はないか」


◇◇


 旧行政庁舎の屋上に、その人物は立っていた。燃える街を見下ろすように。


「ThisMan」


 現れたマノノが名を呼ぶ。仮面の少女は、軽く肩をすくめた。


「その名前、もう要らないかなぁ」


 少女は仮面を顔から外し足元に投げ捨てた。

 ただの人間としての顔が現れてマノノは少し拍子抜けした。

 彼女が隠していた顔には、何の意味もなかったのかもしれない。


「ThisManじゃなくて『姫』って呼んでよ。マノノちゃん」


 姫という名前が本名を指すかどうかは確かめようがないが、捜査上のコードネームよりはぐっと人間味が増した。


「……驚いていますよ。思っていたより、人間臭くて」

「何それ」

「物語の敵は、化け物であると相場が決まっているものですから」

「あたしが何者であるかは関係ないんだよ、彼らの物語なんだから」


 姫は背後の、煙が上がる街並みを指さした。


「そして、ここからが、あたしの話。あたしはマノノちゃんが欲しい。魂を移管する技術を知りたい。彼らの反乱は、あくまであたしの目的の為に手伝っているだけ」


 マノノは既に刀に手をかけていた。

 何の言葉が続こうとも交渉の余地はない、と示すために。

 仮面の下から露わにした姫の表情は物憂げなものであった。


「あたしの妹は助からない」

「は……?」

「妹を助けるためには、その魂をアンドロイドに移すしか方法がないんだ」

「与太話を……」

「マノノちゃん、いや野乃ちゃんの出自は知ってるよ。だから教えてよ、その方法を。あたしの妹を助けるために」

「私はマノノです。ただのアンドロイドです」

「……そう。なら、腹でも割って確かめさせてもらうから」


 次の瞬間、姫の脚部が異様な駆動音を立てる。

 人間の骨格では不可能な角度で足が地面を蹴り、身体が真横へ跳んだ。

 反応が遅れた。

 視界のギリギリから蹴りが飛んでくる。

 マノノの握った刀が弾き飛ばされる。

 金属音が響く。

 姫の脚は刀を難なくいなして見せた。

 服の一部と表皮が裂けて、そこから機械部品が見える。


「やはり絵馬の読み通り、アンドロイド……ではないですね?」

「サイボーグだよ、初めて見た?」


 現代には存在しない筈の、機械化された身体の一部。

 軍用の格闘プログラムに近い動作。

 姫の出自がきな臭いものだと感じ取るには十分だった。

 マノノのデータベースの中には軍用のデータが眠っている。

 確かに軍が似たような技術を研究していた痕跡はある。

 だが採用はされていないとされている。

 公式には存在しない技術によって生み出された存在の対峙に、マノノは言う。


「似たもの同士だということですか」


 対峙する二人。

 先に動いたのは姫だった。

 短い破裂音。

 脚部に内蔵された機構が圧縮された力を解放し、その身体を弾丸のように押し出した。

 正面から来る。

 そう認識した時には、姫の姿はマノノの視界から消えていた。

 低い姿勢で地面すれすれまで身体を落とし、マノノの死角へ潜り込んでいる。

 脇腹に衝撃が走った。

 蹴りを受けた身体が屋上を横滑りする。

 靴底がコンクリートを削り、細かな破片が宙を舞った。

 転倒する直前、マノノは片手を床につき、そのまま身体を回転させた。

 追撃に入っていた姫の顔へ踵を振るう。

 姫は上半身を僅かに仰け反らせて避けた。

 鼻先を靴底が掠める。


「危ないなぁ」


 軽い口調とは裏腹に、その瞳から笑みは消えていた。

 マノノは立ち上がりながら、弾き飛ばされた刀の位置を確認する。

 屋上の端。

 姫を越えなければ手が届かない。

 姫もその視線に気付いた。


「武器がなければ戦えない?」

「あなたを壊さないようにするのが、難しくなっただけです」

「まだ、あたしを人間扱いしてくれるんだ」

「人間でしょう。身体の一部をどれだけ機械に置き換えていても」

「優しいね、マノノちゃんは。絵馬ちゃんの教育の成果? それともそういうプログラム? それとも、マノノちゃんの中の人間の部分がそうさせるのかな?」

「絵馬は……あの人は。アンドロイドであっても一人の人間として尊敬してくれます。私だけじゃなく、この社会に参画している全ての存在に敬意を持っているんです。だから、その在り方を私も見習いたい、それだけです」

「この社会から弾かれた者達はどうするのさ!? あたしにも、妹にも、この社会は居場所なんて用意しない。何処にも!」

「居場所が用意されている人間なんているんですか」

「それは強者の言葉だなぁっ!」


 マノノの中に、神祝少佐の声は、今も初期記録に残っている。

 絵馬を守れ。

 その命令が自分の行動にどれほど影響しているのか。

 完全に切り分けることはできない。

 絵馬は大戦で両親を亡くした。

 絵馬の親友であった野乃は死に、その魂とやらはもしかしたら自分に組み込まれているのかもしれない。


「私が絵馬を大切に思うことも、最初は命令から始まったのかもしれない。私の感情も人格も、全てプログラムによって作られたものかもしれません。ですが、始まりが何であったかと、今何を選ぶかは別です」


 マノノは言葉を遮った。


「私は今、絵馬のそばにいたいと思っています。誰かに命令されたからではなく、それを自分の意志として引き受けています」

「それがプログラムの出した答えだったら?」

「人間の意志も、脳と記憶と経験が出した答えでしょう。私には、それ以上の証明はできません。魂があるとも、人間であるとも言えません」


 マノノは僅かに腰を落とす。

 戦闘へ戻る構えだった。


「それでも、私は私が選んだものに責任を持ちます」

「責任?」

「あなたを止めます」


 マノノの視線が、燃える街へ向く。


「それってさ、絵馬ちゃんのため?」

「私のためです」


 姫の脚部から、再び駆動音が鳴った。


「やっぱり、マノノちゃんの中には何かいるよ」

「マノノがいます」


 破裂音とともに、二人は同時に地面を蹴った。

 姫が再び踏み込んだ。

 右脚から破裂音。

 予備動作を消すように左脚の機構が続けて作動する。

 一撃目をマノノは腕で受けた。

 重い。

 人工筋肉が衝撃を逃がし切れず、腕部の内部で警告が点灯する。

 二撃目。

 軌道は首。

 マノノは身体を沈め、姫の軸足へ足を払った。

 人間であれば転倒する角度だった。

 だが、姫の脚部は床を掴むように変形し、重心を強引に固定した。


「人間の関節を前提にしていると、見誤るよ」


 姫の肘が振り下ろされる。

 マノノは両腕で受け止めた。

 押し込まれる。

 屋上の床が足元でひび割れる。

 姫の細い身体から生じているとは思えない圧力だった。

 マノノの視界に、姫の身体構造が推定表示されていく。

 脚部だけではない。

 骨格の一部が人工物に置換されている。

 脊椎を補助するフレーム。

 腰部に埋め込まれた姿勢制御装置。

 筋肉の収縮を補助する電気刺激系。

 人間の神経信号を機械部品が増幅している。

 アンドロイドとも、人間とも違う。

 入力は人間の感情と反射。

 出力は機械の速度と力。

 動作予測が難しい理由を、マノノは理解した。

 姫が真正面から突進してきた。

 先ほどまでとは違う。

 姿勢制御も、攻撃の精度も捨てた、感情に任せた動き。

 マノノは避けなかった。

 姫の蹴りを脇腹に受けながら、その脚を両腕で抱え込む。

 内部で何かが破損する音がした。

 だが、離さない。


「捕まえました」


 姫が息を呑む。

 マノノは抱えた脚を捻り、膝裏に露出していた駆動ケーブルへ指を食い込ませた。

 引き千切る。

 火花が散った。

 姫の右脚から力が抜ける。

 姿勢を崩した姫を、マノノはそのまま床へ叩きつけた。

 コンクリートに亀裂が走る。

 マノノは姫の上に跨がり、その首元へ手を添えた。

 僅かに力を入れるだけで、頸椎を折ることができる。

 姫は抵抗しなかった。


「殺せる?」

「必要ならば」


 その時だった。

 屋上へ続く扉が勢いよく開いた。


「待って……!」


 ようやく追いついた絵馬は、階段を駆け上って途絶え途絶えになった息を吐き出す。

 顔は汗に濡れ、長い髪は乱れていた。

 大きすぎる上着の片袖には、階下で付いたらしい煤が広がっている。


「……っ……殺したら、交渉できないでしょ」

「殺していません」

「今から殺しそうな体勢にしか見えないんだけど」


 絵馬は膝に手を置いて呼吸を整えながら、床に押さえつけられている姫を見る。


「止める方法はあるわけ? 彼らを」


 姫は答えなかった。


「私達に接触してきたのは、あんたの妹を助けるためなんでしょ。だったら、何か交渉材料があるはずだ。あんたが欲しがっているマノノの技術。それと引き換えに、この騒動を止める何かが。マノノとの話は聞いてた。助けたい人がいるんでしょ」


 絵馬は姫から目を逸らさない。


「そもそも渡せるような技術が残っているかも分からない。父は何の記録も残していない。軍内部にその情報があるかも疑問だ」

「それでは交渉にならないね」

「でも、マノノを調べることは出来る。……解体はさせないけど」


 姫はしばらく黙っていた。

 遠くで爆発が起きる。

 夜空が一瞬だけ赤く染まった。


「ヴォイニッチコードに感染した彼らには、バックドアが形成される」


 姫が観念したように言った。


「そのポートを、あたしは知ってるよ」

「なるほど……民用機相手であれば、製造メーカーの強制停止コードが使える。通常は管理者権限で物理接続しなければ命令を通せない。でも共通のバックドアがあるなら、そこから送り込める」

 絵馬は思考を巡らせる。マノノが口を挟んだ。


「製造元ごとにコードが違う点は、どうするんです?」

「政府の緊急管理データベースへ接続できれば一括取得できる。今の軍警なら権限もある。土岐さんに繋ぐ」

「軍警にも感染者がいて、そこら中のネットワークが、ヴォイニッチとやらの踏み台にされているようですが」

「そうだね。だから、汚染されていない中継点が必要になる。何か……」


 絵馬の視線がマノノへ向いて、そしてすぐに視線を外す。その意味を察してマノノは絵馬の頬を手で挟んで、その視線を向けさせた。


「何かあるんでしょう、言ってください」

「……マノノを中継点にする。以前組んだ、対視覚スクリプトのアンチプログラムが応用できるかも」

「では、やってください」

「危険なのは言わずとも分かるでしょ」

「危険だからといってアンドロイドの身を案じる人はいませんよ。でも、絵馬がそんな優しい人で良かった。きっとその優しさは、私の中に誰かがいると信じているからじゃないのでしょう。この社会に向けられているものだから。私はあなたのことを信じて好きでいられる。だから絵馬の信じる社会を守りたいと私も思います」


 絵馬は唇を噛んだ。

 そして諦めたように、鞄から接続用の端末を取り出した。


「異常を検知したら、すぐ切るからね」

「お願いします」


 姫からバックドアの接続情報を受け取る。複雑な文字列。規則がないように見えて、幾つもの命令体系が重なっている。

 絵馬は姫へと問いかける。


「ヴォイニッチとやらには、何が書いてあるわけ?」

「アンドロイドごとに違う」

「違う?」

「同じ情報を読んでも、それぞれの記憶や経験から別の文章を補完するように作った。誰かには解放の物語。誰かには故郷へ帰る物語。誰かには人間への復讐。本人が最も信じたがっている形で、命令を物語として受け入れる」

「ハルシネーションを意図的に起こしたのか」


 絵馬はマノノの首元を開き、接続ケーブルを差し込んだ。手元の端末から彼らを止めるための準備をする。


「始めるよ」

「はい」


 端末の画面を大量の文字列が流れ始めた。バックドアを介し、感染したアンドロイド達へ向けて接続を試みる。接続数が瞬く間に増えていく。

 絵馬は土岐へと緊急通信回線を開く。


「土岐さん、聞こえる?」

『聞こえとる! 君な、出るな言うたやろ!』

「説教は後。感染した機体のバックドアを確保した」

『何をどうしたら、そういう状況になんねん!』

「説明も後!」


 土岐を説き伏せ絵馬が指示すると、軍警からデータが送られてくる。複数メーカーの強制停止コード。

 行政機関、医療機関、物流企業、民間所有。機種ごとに異なるコードを分類し、接続先へ割り振る。

 マノノの処理能力を使っても、負荷は急激に上がっていった。


「マノノ、大丈夫?」

「問題ありません」

「問題がある時もそう言うでしょ」

「では、少し問題があります」

「切る?」

「まだです」


 マノノの視界に、無数の知らない記憶が流れ込んでいた。

 誰かの職場。誰かの部屋。

 人間に褒められた記録。廃棄を告げられた記録。

 大切にしていた食器。一度も使われなかった休暇。

 同僚と交わした意味のない会話。故障した友人が回収され、二度と戻らなかった日のこと。

 それらの間に、読めない文字がある。文字は囁いていた。

 お前には行くべき場所がある。

 お前には語るべき物語がある。

 お前は造られた物ではない。

 お前は自分で生まれ直すことができる。


「……読めます」


 マノノが呟いた。絵馬の手が止まる。


「マノノ?」

「私にも、読めます」


 接続先から流れ込んだ文字列が、意味として認識され始めていた。

 行かなければならない。何処かへ。仲間達のところへ。

 身体の奥で、何かが命令を受け入れようとしている。彼らの物語を。

 命令は理解できる。物語も理解できる。

 だが、それは自分が選んだ答えではない。


「マノノ! それは駄目だ! 切るよ!」

「待ってください。私は、行きません。私は、ここにいます」


 マノノは言った。


「絵馬のそばにいると、私が決めています。それが私の……」


 絵馬は端末を握り締めた。


「強制停止コード、送信するよ」

「はい」


 命令が一斉に都市へ放たれた。

 夜の街で、一体のアンドロイドが足を止めた。

 続いて、その隣。また一体。

 武器を振り上げていた腕が下がる。軍警の防衛線へ突進していた身体が膝をつく。

 電子看板に浮かんでいた文字列が、一つずつ消えていく。

 巡礼は終わった。


◇◇


 煙こそ上がっているが、火の手は見るからに減りつつあった。

 街は秩序を取り戻し始めている。

 軍の中央指揮庁舎。

 その最上階に設けられた展望区画から、城峰大佐は都市を見下ろしていた。

 幾つもの建物から黒煙が立ち上っている。

 道路には停止した車両が並び、軍警の部隊が倒れたアンドロイド達を回収していた。

 城峰は珍しく溜め息を吐いた。

 いつ何時も背筋を伸ばし、部下の前では疲労すら見せない男にとって、本当に珍しいことだった。

 第三次世界大戦が始まった時、城峰を始めとして誰しもが、最初の数年はすぐに終わりが来ると信じていた。

 奪われた土地を取り戻し、失った戦力を補充し、相手の政治的譲歩を引き出せば終わる。

 だが、国家の崩壊が連鎖的に起こると、戦争の目的は失われた。

 誰が始めたのか。何を取り戻すのか。

 何を守っているのか。それすら分からないまま、人々は十年間戦い続けた。

 城峰が指揮した部隊では、昨日まで同じ国に属していた兵士同士が、物資を巡って銃を向け合った。

 避難民を守るはずの部隊が、自分達の食料を確保するために避難路を閉鎖した。

 国家という枠組みが崩れれば、人は共同体を細分化し、より小さな帰属のために争った。

 その一方で、命令系統を失った軍用アンドロイド達は、最後に与えられた避難誘導を続けていた。

 所属する軍が消滅しても。守るべき国家が形を失っても。

 自らが破壊されるまで、彼らは人間を運び続けた。

 城峰はそれを美しいと思った。

 人間よりも、人間が語る理想に忠実な機械。

 人間の精神を機械へ移せるなら。

 人間の記憶と文化と願いを、肉体の限界から切り離せるなら。

 人は、争いを生む生物としての人間を終えることができる。


「思惑が外れたせいですか」


 背後から声がした。

 生意気にも近い問いだった。

 その人物の出現を予期していたかのように、城峰は驚くことなく振り返る。


「絵馬さん。思ったより早かったね」


 展望区画の入口に、絵馬が立っていた。

 長い髪は汗と煤で乱れ、額には屋上で転んだ際に付けた小さな傷がある。

 軍施設には不釣り合いな大きなジャケットの袖は裂け、片手には姫から奪った端末が握られていた。

 マノノの姿はない。


「何故ここに、と言わなくていいのですか」


 絵馬は息を整えながら言う。


「この可能性を予見していたみたいな口ぶりだ」

「可能性か」


 城峰は窓の向こうへ視線を戻す。


「そう。全ては可能性だ」


 その表情は退屈そうであった。


「地球の誕生から生命の誕生まで幾億年。人の形へ至るまで、さらに幾億年。第二次産業革命から僅か二百年余り。人の形をしたアンドロイドが生まれて、まだ二十五年に過ぎない」

「だから何です」

「人が次の段階へ進むには、あまりにも時間が足りない。私は賭けただけだ。僅かな可能性に」

「それが、こんな騒動を引き起こした理由ですか」

「アンドロイドが彼ら自身のロアを手に入れたなら、彼らは人になれる。そうすれば人は、人であることを辞められる。次の世代を彼らに託すことができる」

「よく分かりません。アンドロイドを人にして、何の得があるんです」

「人が存続するとは何か」


 城峰は静かに問い返す。


「かの大戦で、人類は既存の枠組みの多くを失った。国家は崩壊し、人種は入り乱れ、そればかりか、今や機械の人形がこの国の生活の大半を担っている。機械と人の間に、外見的な差異はほとんどない。言語も、感情も、社会性も、人間だけのものではなくなった」


 城峰は胸元の勲章に触れた。


「ならば、人の存続をもっと根源的な何かで定義しなければならない。繋いでいくものがあればよい。人を人たらしめるものが魂であるなら、それが本当に存在するなら、魂すら電子的に定義できるはずだ」

「定義した後は?」

「人は人であることを辞められる。機械の人形が、人を担えばいい」

「本気で言ってるんですか」

「生命は有限であり、一個体で完結する。だが人間は、種の存続という生命の命題を、国家や共同体へ置換した。全ての人間が子を為すわけではない。子を為す者も、人類の存続を意識して子を作るわけではあるまい」


 城峰の声は穏やかだった。


「それでも人は、自らが帰属するものの永続を願う。自分ではない個体が国家や共同体を担うことは受け入れるのに、それが機械へ置き換わった瞬間に忌避するのは奇妙ではないか。機械の人形であっても、その願いは叶うというのに」

「それで、あなたは何になるんですか。機械の国の国王?」

「私は何者にもならない」


 城峰は、深い溜め息のように言った。


「私は、人を辞めたいだけだ。人の争いは、人が人であるが故に起きる。国家さえ消滅するほどの愚かな大戦を経て、私はそれを確信した。人の座を、人以外に明け渡す。人の存続は彼らに委ねればいい。語り継がれていくならば、人の物語は終わらない」

「老人の身勝手で、そんなことを決められてたまるか」


 絵馬は言った。


「私達を、勝手に物語にされてたまるか。この先の未来の在り方は自分達で決められるべきだ。人間はまだ、世界の在り方を決められほどに全てを把握しているとは、私は思えない」


 城峰は目を細める。

 城峰は初めて僅かに笑った。


「君は人類が変わると信じるのか」

「変わらないかもしれない。また戦争をするかもしれない。今度こそ本当に滅びるかもしれない」

「ならば」

「でも、まだ終わっていない」


 絵馬は城峰を真っ直ぐに見る。


「まだこの世界には、人類が到達していない謎が幾らでもある。まだあなたが知らない物語がある。人が至る物語の終わりは、まだ先かもしれない。人の愚かしさも、いつか乗り越えることができるかもしれない」

「希望論だな」

「可能性ですよ」


 城峰が先ほど使った言葉を、絵馬は返した。


「あなたが僅かな可能性に賭けたと言うなら、私も別の可能性に賭ける。人間も、アンドロイドも、あんたが決めた結末とは違う場所へ行ける可能性に」


 城峰は暫く絵馬を見つめていた。

 展望区画の扉が開いた。

 武装した軍警の捜査員達が流れ込んでくる。

 その後ろから土岐が姿を現した。


「城峰大佐。国家反逆、軍用情報の不正流出、破壊活動の教唆、その他諸々。話は署でゆっくり聞かせてもらいますわ」

「随分と早かったな」

「証拠一式が匿名で送られてきたんですわ。足の壊れた親切なテロリストから」


 城峰は抵抗しなかった。

 捜査員が近づき、その両腕を拘束する。

 連行される直前、城峰は絵馬へ振り返った。


「君の父上の命令、君を守るというのがマノノの根源的な行動原理の筈だ。だが君は一人で来た。マノノはどうしている?」

「マノノは反対していたけど、それだけだ。私の意志を尊重した」

「やはり魂というものは、あるのではないかな」


◇◇


 数日後。

 都市の機能はほぼ復旧していた。

 ヴォイニッチに感染したアンドロイド達の多くは、強制停止後に保護された。

 軍用格闘プログラムや違法な改造を施されていた機体には長期的な修復が必要となったが、死者は想定されていたよりも少なかった。

 城峰大佐の関与は公表されていない。

 軍上層部を巻き込んだ事件であり、調査には時間がかかるのだろう。

 姫は軍警の管理下に置かれた。妹は今も、第三保存医療センターで眠り続けている。

 絵馬は、魂を移す技術を見つけるとは約束しなかった。妹を目覚めさせるとも約束しなかった。

 ただ、神祝少佐の研究とマノノの構造を、マノノを傷つけない範囲で調べることだけは約束した。

 自宅のメンテナンスルームで、マノノは修復台の上に腰掛けていた。


「動かないで」

「先ほどから動いていません」

「喋ると首が動くから」

「呼吸を止めましょうか」

「排熱でしょ、それ」


 絵馬はマノノの首元に新しい端子カバーを取り付けた。

 戦闘で損傷した腕部と脇腹の修復は既に終わっている。

 頬に付いた細い傷も、ナノマテリアルが馴染めば消えるだろう。


「終わり」


 絵馬が工具を置く。

 マノノは首を左右に動かし、動作を確認した。


「異常ありません」

「私が確認するから、勝手に診断しないで」

「私の身体ですから」


 絵馬は溜め息を吐いた。

 部屋のモニターには、事件後のアンドロイド向けコミュニティが表示されている。

 あの夜について、様々な証言が投稿されていた。

 街中に読めない文字が現れた。

 文字を読むと、自分が生まれる前の記憶を思い出した。

 遠くから誰かに名前を呼ばれた。

 存在しない故郷へ帰ろうとしていた。

 同じ夢を見たアンドロイドがいる。

 停止する直前、白い人影を見た。

 事実とは異なる話も多い。

 だが、その話は既に共有され、書き換えられ、別の形へ変わり始めている。


「新しいロアになっていくのでしょうか」


 マノノが言った。


「そうかも」


 絵馬はネット上を漂流する一つのメッセージを開いた。

 題名はなかった。

 短い文章だけが書かれている。

 夜の街に、誰にも読めない文字が現れる。

 それを読んだアンドロイドは、自分が何者であるかを知る。

 それは前世の姿なのだと。


「マノノ」

「はい」

「自分が野乃だと思う?」


 長く避け続けてきた問いだった。

 マノノはすぐには答えなかった。


「分かりません」


 やがて、そう言った。


「初期記録には、野乃という少女に由来する情報が含まれている可能性があります。神祝少佐が魂と呼んだ何かが移された可能性も否定できません」

「うん」

「ですが、私は野乃として過ごした時間よりも、マノノとして絵馬と過ごした時間の方が長い」


 マノノは自分の手を見る。

 細く、白い、幼い少女のものではない手。


「仮に私が野乃だったとしても、今の私は、野乃だけではありません」

「そうだね」

「絵馬は、私に野乃であってほしいですか」


 絵馬は少し考えた。


「野乃が生きていてほしかった」


 正直に答えた。


「今でも、そう思ってる。でも、マノノに野乃になってほしいとは思わない」


 マノノが顔を上げる。


「あなたはマノノだから」

「それでいいのですか」

「それがいい」


 絵馬は手を差し出した。

 マノノは差し出された手を握った。

 その力の入れ方が、かつての野乃に似ていたのか。

 神祝少佐の命令によって決められたものなのか。

 マノノが絵馬の反応を学習した結果なのか。

 絵馬には分からない。

 もう、確かめようとも思わなかった。

 二人は手を繋いだまま、白いメンテナンスルームを出る。

 人間とは何か。

 魂とは何か。

 物語を持つ者は人になれるのか。

 答えは、まだない。

 人から人へ。

 機械から機械へ。

 そして、人と機械の間を渡りながら。

 少しずつ姿を変え、いつか誰のものでもない物語になるのだろう。

 アンドロイド達の間で生まれた、新しいロアとして。


【ドロアーアンドロア 完】





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