2. よくある物語のエピローグ
螺旋階段の上から見下ろしていた国王が厳かに告げると、ユリシーズが水分を失った青菜のようにうなだれた。
こほんという咳払いが聞こえて彼が顔を上げると、国王が苦笑していた。
国の為政者のような冷徹な眼差しではなく、息子を慈しむ眼差しを見て、クレアは眉根を寄せる。次の展開が読めず、固唾を呑んで次の言葉を待った。
「――と言いたいところだが、まぁ、そなたの気持ちもわからなくもない」
「え?」
「…………私が最初に見初めたのは後ろ盾も何もない男爵の娘だった。彼女は王太子妃になる未来に怯え、最終的に平民の男の手を取った。私が王太子でなかったら、と考えたことは一度や二度ではない」
ユリシーズだけでなく、フィリスでさえも言葉を失っている。
(国王陛下もままならない恋心を抱えて、思い悩んだ時期があったなんて……。だけど、王族の結婚ともなれば、身分差ばかりはどうにもならない。本来、男爵令嬢であるわたしがユリシーズ殿下の婚約者になることはあり得なかった)
彼らの歯車が狂ってしまったのは、クレアが聖女になってしまったから。
それだけ聖女という存在は大きい。
「幸い、そなたには血を分けた弟がいる。国王の名において、王太子には第二王子のジュリアンを指名する。そして、王太子には聖女クレアと婚約してもらう。……宰相もそれでよいな?」
「陛下の御心のままに」
クレアの心は置いてきぼりのまま、話は進んでいく。
本物の愛があれば、逃れられない運命でも覆せる。
そんな嘘のような出来事が目の前で起こった。よくある物語のエピローグと同じ結末に、頭の理解が追いつかなかった。
(嘘でしょう……? 運命は、変えられないんじゃないの……?)
聖女は王族と婚姻する習わし──その話をクレアが初めて知ったのは一ヶ月前だ。
古来より、聖女は各地に赴いて浄化魔法で土地を癒やし、傷ついた人を治す。ただひたすらに与えられた役割だけをこなす。
だが、その旅もやがては終わりが来る。
国中に広がる瘴気と魔物増加による憂いもなくなり、平和が戻った王国はクレアを王宮に閉じ込めた。聖女らしい振る舞いを身に付けるために始まった淑女教育では、第一王子と会う回数がやけに多いなとは思っていたが、彼との婚約話が水面下で進んでいる噂を聞いて合点がいった。
先代聖女が現れた際も、保護という名目で聖女を王家に取り込んだらしい。すべては聖女を自国に留めるために。
ユリシーズとの政略結婚は、聖女を他国に取られないための足枷だ。
そうだとわかっていても、クレアは異議を唱えることすら許されない。王族に嫁ぐことが聖女の務めというならば、望まぬ結婚でも粛々と従うよりほかない。すべては家族を守るため。
とはいえ、罪悪感は常にあった。本当はこんなことはしたくなかったのだから。
(ユリシーズ殿下はわたしとは違う。運命に抗って、自分の未来を勝ち取った。わたしは結局、周りに流されていただけだった……)
ユリシーズとフィリスを祝福する声を聞きながら、クレアはそっと目を伏せた。
◆◆◆
国王陛下の名の下に、クレアの次の婚約者は第二王子になった。
隣国に留学中の今年十四歳になるという、クレアより二歳年下の王子様。まだ顔合わせはしていないが、このたびの騒動を受けて急遽帰国することになったらしい。
第一王子との婚約は回避できたが、今度こそ逃げられない。もう誰もこの婚姻を止める者などいない。
奇跡は、二度も起こらない。
(どうしてかしら。今になって、とっくに決めたはずの覚悟が揺るぎそうで、こわい……)
第二王子との顔合わせのことを考えると、心が沈んでいく。相手は王族。それなりの振る舞いが求められる。そして、今度は初めから婚約者として接しなければならない。
考えるだけで憂鬱になり、自然と視線は大理石の床に移る。
丁寧に磨き上げられた神殿の床は塵一つなく清められ、どこも手入れが行き届いている。神殿には下働きの者がたくさんいる。そして、彼らの上に立つのが聖女だ。
たった一人の聖女に、皆がかしずく。
けれども、クレアはもともと貧乏男爵令嬢だ。しかも、中身はほとんど庶民である。国民から敬われるような価値が本当に自分にあるのだろうか。
治癒術は使えても、クレア自身が特に変わったわけではない。でも周囲は違う。クレアの行動に意味を見いだし、さすが聖女だと褒め称える。貴族たちは手のひらを返したように媚びへつらい、その態度の一変にいっそ感心したものだ。
聖女は孤独だ。同じ立場で、気持ちを分かち合える友達は誰一人いない。
あなたは聖女だからと、誰もが一歩後ろに下がり、壁を作る。その壁は薄いようで、どれもおそろしく頑丈だ。当然ながら、壁を壊してこちらに踏み込んでくる者などいない。
(わたしは一人で生きていかないといけない。これからもずっと……)
決意を新たにしていると、扉の向こうでクレアを呼ぶ神官の声が聞こえてきた。
「聖女様。お勤めのお時間でございます」
「――ただいま、参ります」
うつむいていた顔を上げる。
鏡には、聖女らしい控えめな笑みをはりつけた聖女が映っていた。
(わたしは聖女クレア。それ以上でもそれ以下でもない)
結婚相手が誰であれ、自分に課せられた役目は変わらない。王族に嫁ぐことは決定事項で、今回は相手が変わっただけだ。
少なくとも、そのときのクレアはそう思っていた。





