1. そのとき、聖女は
「君を裏切りたくない」は第一王子視点、こちらは聖女視点の後日談です。前作未読(本編三話)でも支障なく読めますが、お時間があればそちらもぜひどうぞ。
金糸の髪に金色の瞳。それは建国の聖女を彷彿させる色だ。そして今は当代の聖女を示す色でもある。
姿見に映り込んだ己の姿を見つめ、クレアは息をついた。
(聖女なんて、なりたくてなったわけじゃないわ……)
それでも、聖女の道を選んだのは紛れもなく自分だ。後悔することはあっても、この気持ちを誰かに悟られてはならない。
どんな状況でも、完璧な聖女の仮面を被るのだ。民衆が望んでいるのは、聖女としての役割を果たす自分なのだから。彼らを失望させる言動や表情は慎まなければならない。
皮肉なことに、この半年で本音を隠すことにもすっかり慣れてしまった。
実家である貧乏男爵家への援助、その対価として王国に人生すべてを捧げる。それが自分の生き方だ。
たとえ愛する男女を引き裂く邪魔者の役でも、最後まで笑顔で演じてみせよう。
――――そう、思っていたのに。
◆◆◆
建国祭の夜会で、クレアは第一王子ユリシーズにエスコートされ、螺旋階段からゆっくりと下りていく。
ホールに並び立つと、貴族たちの好奇な目が一斉に集まるのを肌で感じる。ユリシーズは臆した様子もなく、一歩を踏み出す。それが合図のように、ざっと人波が左右に割れた。
濃い青のドレスに身を包んだ令嬢の前まで来ると、ユリシーズの体がこわばるのがわかった。クレアはユリシーズの腕からそっと手を離し、そのまま一歩下がる。
ユリシーズは後ろに控えるクレアを一瞥し、目の前の令嬢を見つめた。
彼の婚約者であるフィリスは、悲しむでも妬むでもなく、すべてを理解したように凜とした面差しで佇んでいる。
この場でユリシーズはフィリスとの婚約を解消し、聖女であるクレアを新たな婚約者として公表する手筈になっている。ユリシーズが深く息を吸い込む音がした。
「──フィリス・ベルラック公爵令嬢、君との婚約を……」
「はい」
「婚約破棄など、したくない!」
「…………え?」
クレアはとっさに自分の口を覆った。
けれど、先ほどの戸惑いの声はクレアではなく、フィリスのものだったらしい。彼女は瑠璃色の瞳を丸くし、ユリシーズを凝視している。
周囲の貴族からも困惑した空気が漂い始めた中、フィリスが冷静に返した。
「いえ、破棄してくださって結構です。引き際は弁えておりますので」
「……本気か?」
「もちろんです。聖女は魔物による大地の穢れを癒やす、唯一無二の存在。聖女が見つかったときは国で保護し、王族と婚姻する習わし。当代の聖女が現れた以上、わたくしとの婚約は白紙に戻すのが自然の流れでしょう」
「し……しかし、僕は君を妃に迎えると誓った。王族が約束を違えるなど……」
ユリシーズが慌てたように言い募るが、フィリスは昔の思い出を懐かしむように目を伏せた。
「もうよいのです。わたくしには、そのお気持ちだけで充分です。昔の約束を覚えてくださっていただけでも、本当に……」
「フィリス。僕の心は君に捧げる。――今も、あのときの気持ちと変わらない」
「殿下……」
「君を裏切りたくない」
その一言にフィリスが息を呑み、クレアも目を見開いた。
付き合いの短いクレアだってわかる。ユリシーズが誰を愛しているかなんて明白だったから。
(聖女は……なんて無力な存在なのかしら。いくら魔を払えたとしても、目の前で苦しんでいる人すら助けられない。誰かの心を癒やすどころか、悲しませる元凶になっているなんて)
これで「王国に光を照らす聖女」とは聞いて呆れる。
聖女の力は限られた用途でしか効力はない。どんなに願っても、すべての人を幸せにできることなんて不可能だ。
第一王子である彼は、聖女と結婚するために、愛する婚約者と婚約破棄しなければならない。そんな苦悩をにじませた横顔を何度も見るたび、クレアの胸は痛んだ。聖女である自分が何を言っても一時の慰めにもならず、彼をさらに絶望に突き落とすだけだ。
(……今のわたしが殿下にかけるべき言葉なんて、あるわけがない)
この結婚は自分が望んだことではないにせよ、結果として相思相愛の二人を引き裂く事実は変わらない。悪女と罵られても否定できない。
ユリシーズはフィリスを真剣な顔で見つめたまま、言葉を継ぐ。
「君と結婚できないなら、王位継承権も返上する。だから」
「…………」
「どうか、僕との恋を過去にしないでくれ」
「…………わ、わたくしは」
「うん」
「人と話すのが苦手で、引きこもり体質で、婚約者の務めからも逃げ出すような小賢しい娘で……到底、あなたの妃にはふさわしく、ありません」
「僕は君のものだ。他の誰の物にもならない。僕を好きにできるのは、フィリス。君だけだ」
「殿下……そ、それは」
フィリスが口を濁し、ユリシーズが優しく言葉の続きを促す。
「なんだい? フィリス」
「……お気持ちは大変嬉しいのですが、ちょっと……愛が重いです」
つかの間、沈黙が落ちた。
あまりにも素直すぎる感想に、クレアも言葉が思いつかない。
瞬きだけを繰り返すことしかできないでいると、羞恥で頬を染めたフィリスがちらりと視線を上に向けた。
「で、ですが……王位継承権の返上など、陛下や宰相がすぐにお許しになるとは……」
「到底、認められぬ」





