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その三十九、神よ、本当に危機的状態です

 俺は守らねばならないのに蹂躙したくて堪らない美女を見つめていた。

 彼女は俺が抱える不埒な思いなどどこ吹く風で、すやすやとそれはもう安心しきった風に吐息を立てての熟睡中だ。


 全くこの子は。

 俺がキスした事を許し受け入れたばかりか、今後は自分こそキスがしたくなったらしてもいいの?と可愛らしく尋ねて来るとは!!


 これは俺の意訳であるが、俺の中では潤んだ瞳で俺を見上げながらこの台詞を口にするミゼルカの映像が出来上がっている。

 もちろん俺の脳みそが作り上げたミゼルカは、俺を待っていたあの雨宿りの時のアンダードレス姿である。


 バスルームの素晴らしき姿は、いくら恥知らずな俺でも引用出来なかった。

 それで映像を作ったら、俺は俺がぶら下げているもののおかげで、歩くわいせつ物となるだろう。

 アンダードレス姿でもギリギリなのだ。


 ミゼルカ、君のお陰で俺は更なる危機的状況だよ。

 ミゼルカの年齢を考えて婚約期間は長く長くとるつもりでいたというのに、今の俺は今すぐに教会の祭壇に引っ張られたいという気持で一杯だ。

 初夜から始まる結婚生活に突入したい、それが本願なのである。


 いいや、彼女との結婚は夜だけが目当てではない。

 夜に関しては可愛いから抱きしめたい、そんな自然的な欲求だ。

 俺は元気いっぱいのミゼルカが動くさまが好きなのだ。

 虐待のために食事をとることが恐怖となっている幼子に対し、瞬時に苦しみを理解したばかりか、食べさせごっこなる遊びを提案して解決してしまうなんて。


「私は社交界で望まれる振る舞いができません」


 それでいいんだよ、ミゼルカ。

 俺は社交界の女達には飽き飽きの飽き、反吐が出る程なのだ。

 しかし、純粋無垢すぎて何もできない人形みたいな女であるならば、俺はミゼルカに魅力など何も感じなかっただろう。

 ミゼルカは失敗も多いが、常に自分で考えて行動する。

 思い切った行動を起こす時は、自分の為ではなく他者の為、と言う所も良い。


 ただし、心配もある。

 殺人者だと思っていた男に対し、警戒を解くのが早すぎる。

 これでは悪い男に騙してくださいと言っているも同じだ。


「いいや。俺が君を守るから君はやっぱりそのままだ」


 俺はミゼルカに微笑む。

 俺の袖口を掴みながら眠る彼女は、なんて可憐であるのか。

 リュイとミゼルカは食事の最中から船をこぎ始めた。

 そこで俺は食事が終わるや彼女達に休息を与えるべく立ち去ろうとしたのだが、そんな俺をミゼルカが引き止めたのだ。


 腕を掴んで取りすがったわけではない。

 俺の左袖をツンと掴み、俺を上目遣いに見上げただけだ。

 俺こそ自分が信じられないが、その攻撃は俺に最大の威力を与えた。

 本気で俺の足が動けなくなったのだ。


「どうした?」


「あの。これからの相談のお約束があったことをお忘れですか?」


 一時間後にまた来るよ、と俺は答えて立ち去るべきであった。

 しかし俺は再びベッドに座り直し、全く違う台詞をミゼルカに囁いていた。


「覚えているよ。これからゆっくり、ね」


 ミゼルカは嬉しそうに微笑み、リュイを腕に抱いたままベッドに横たわった。

 まるで気絶したような感じで。

 そして俺はミゼルカに引き留められたまま、眠りこけてしまったミゼルカを見守り続けているという状況なのである。


 ドレスのボタンを外して布地を緩めてやるべきか?

 ベッドに転がっているだけの彼女を布団の中に入れてやるべきでは?

 俺が動けないのは、動いたら不埒な事をミゼルカにしそうだからではない。

 袖口をツンと掴んだまま眠ってしまった、この情景を大事にしたいからである。


「やばいな。俺はミゼルカのせいでおかしな性癖ばかりが出現しやがる」


「ミゼルカ?ねんね?」


「うん。疲れてるんだな。君ももう寝なさい。良い夢を(フェドゥボーレーヴ)


 え?

 何の気なしに使った異国語にリュイは顔をぐしゃっと歪め、俺に対してちいさな両手を掲げる。

 俺は、ミゼルカが、などと言っていられないと、両腕を動かしてリュイを抱き上げて胸に抱きしめた。


「どうした?」


 どうしたなど、聞かなくても俺には解っていたはずだ。

 異国の言葉で紡がれた幼子の訴えは、Tout leトゥール mondeモンド est mortモーラ

 みんな死んじゃった、だ。


 アルからリュイについて聞いていたが、彼の話が真実ならば、リュイは数か月前に起きた馬車事故の生存者であるのだ。

 温泉街ファルマーは、自国民のみならず近隣国の富裕層からも人気がある。

 そんな旅行者のふりをして亡命を果たそうとする人達にも。

 あるいはアランのようなスパイを紛れ込ませる場所としても。


 そんな場所だからこそ、無駄に大きなこの音楽祭について、この俺が監督者として呼びつけられて暗躍させられているのだ。


「酷い事故でした。横転した上に馬車が燃えたんです。だから俺はリュイが良く生きていたなって。だから絶対に守らないとなって」


「アルは何があっても俺の養子か里子にせねばな。自分の身の上が奴隷同然の下働きの癖に、寄る辺の無い幼児を保護して隠し育てていたなど立派過ぎる」


 村から働きに来ているホテル従業員に聞けば、アルの身元はすぐに分かった。

 それなりな農家の長男であったが、両親の急死によって父方の叔父夫婦に家と土地を取られて売られた、という身の上なのである。


 叔父夫婦がアルを農奴同然にするどころか売り払ったのは、アルが成長した暁に自分達こそアルに追い出される可能性を考えたのだろう。

 いや、アルに反撃されて殺されるかもしれないと考えたか?


 確かに。

 リュイの両親を殺した事故が尋常ではないと判断し、リュイを男の子として匿ってきたとは、俺こそが部下として欲しい人材だ。

 そんな賢い子供が大人の肉体と力を得れば、考えなしの叔父夫婦など、肉体的精神的恐怖を与えて奴隷に落としてしまうなど簡単だろう。


 そこまで俺は考えたそこで、久しぶりに神に感謝を捧げていた。

 アルは殺されるためにあの家に売られていたのだ、と。

 ならばいつ殺されてもおかしくない子供であり、アルが死んでいたら俺が腕に抱く哀れな幼女は簡単に飢え死にしていただろう。


 生き延びられた彼等について神に感謝しなくてどうする?


 いいや、俺の為に修道院に行くのだと突飛な行動を取ってくれたミゼルカが、彼等の運をも変えたのだ。


 俺は自分の腕の中で眠ってしまった幼女を、ミゼルカの腕に戻さずにベッドの布団の中に入れ込んだ。

 それから、夫だったら妻にしてやるべきことに取り掛かる。

 愛する女性がぐっすりと眠れるように、邪魔なドレスを脱がせて布団の中に入れてあげる、そんな己の耐久に挑戦する行為を、だ。


 俺はその聖戦に打ち勝つべく、まずは眠りこける聖女のこめかみにキスをした。

 Je t’aime(ジュテーム)、と囁きながら。


「全く、この俺を捕らえたのが可愛い小鳥だったとは」

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