その三十八、こんなおいしい食事はないね
「リュイ?」
カートはふうとリュイの髪の毛に息を吹きかける。
それでも身を固くしているリュイは動かない。
するとカートは、とっても気さくそうな声をあげてリュイをくすぐり始めた。
「これは君のご飯だぞう。抵抗するならもっとくすぐりの刑だ!!」
「きゃあ!」
リュイはパッと目を開けたが、彼女のその両目は楽しさを現わすどころか、脅えしか浮かんでいない。
どうして脅えているの?
リュイの脅えに私こそ不安を感じたそこで、彼女は私に両手を伸ばす。
もちろん、私は彼女をカートから奪うようにして持ち上げ抱きしめた。
食べ物を見て喜ばないどころか脅えるばかりな幼児は初めてなので、カートのおふざけが怖かったのかとカートに咎める視線を向ける。
カートこそ傷ついた顔?
「カート?」
「ああ。すまない。俺が人に威圧感を与えるってことを忘れていた。君こそ俺に脅えて逃げ回っていたものな」
殺人者、と私に自分を勘違いさせていた事を忘れたのであろうか。
あなたが威圧感無い優男だったとしても、殺人者だと思ったら私は必死に逃げ回りますことよ?
「くすぐりが嫌がられただけではありませんの?」
「そうだな。俺にくすぐられたい女性ばっかりだっから、俺は勘違いしていたかもな。リュイについては君を基本に考えるべきだった。君は俺が嫌だと俺に相談一つしてくれないものな」
「私についてそんな考察されていた癖に、あなたは私をすぐに抱き上げなさるし、抱いたまま持ち運びされるばかりではないですか」
「どの事案も緊急事態だ。すべて君を守るためじゃないか」
「キスはどんな緊急事態だったのですか」
「一番の緊急事態だ!!君が嫌かもしれないって気を回せないぐらいに君が可愛かった。仕方がないだろう!!」
忌々しそうに言い捨てた彼の顔は、ずっと年上の人と言うよりも、少し年上の従兄が親に叱られた時に見せてきた顔付に似ていた。
それでとても気安い気持ちになってしまったからか、私はカートからされたキスについて自分こそ嫌だと全く思っていなかった事実を自分に認めた。
それだけでなく、幸せな気持ちでもある。
自然に私はくすくす笑いを始めてしまっていた。
英雄で天才的戦術家と噂のカート様が、考え無しになってしまうぐらいに私が可愛かった、と、たった今私に申されましたのよ。
「確かに仕方がありませんわね」
「ああ。仕方がないぐらいに危機的状況を引き起こす。君には今後は危機を受け入れ耐えてもらわねば。いや、危機を楽しみ愛してもらえるとありがたい」
それって、まだまだ私にキスをするとおっしゃっているの?
私が可愛いから?
あなたは私をそんなにも可愛く感じて下さっているの?
それで、ええと、あなたとのキスを楽しんで欲しいと?
「その危機はあなたの一方的なものですの?私が感じてそれについて私から対処しようとするのはいけない事ですか?」
あ、カートが咽た?
けれどすぐに彼は顔を私に向けた。
私の心臓が口から出そうな、素敵な笑顔で。
カートの微笑みは勝利宣言者のそれであり、彼のその表情は私が作ったものだ。
そうよね。
「対処相手を俺に限定してくれるならば、全く問題はない。俺は更なる危機に襲われた事を喜び、君が望む限り誠心誠意応えさせてもらうだろう事は確実だ」
まあ!!
私は胸に沸いた誇らしさでカートへとキスをしたいなんて思ったが、ああ、カートこそ目を輝かしているけれど、私はまだまだ私でしか無かった。
カートの唇に自分から触れるなんて出来ないわ。
ぐう。
リュイのお腹が鳴った音に、見つめ合っていただけの私達は微笑みあう。
私は可愛い子供の為に、美味しそうなチーズパンを籠から取り上げる。
「お腹が空いちゃったわね」
しかしリュイはパンを受け取るどころかさらに身を固くし、口なんて平べったくして絶対に食べるものかと耐えている。
「嫌いなものだったかしら?」
リュイはプルプルと首を振る。
なのに両目を瞑ったまま、口だって開ける気配など無い。
「キッシュの方が良かった?」
リュイはやっぱり首を振る。
どうしたのかと、私はカートを見返す。
カートこそ一瞬前の不機嫌顔ではなく、どうしたものか、という思案顔である。
「どうしたんだ?もしかして君は歯が痛いのかな?」
リュイは違うという風に首を横に振る。
ただし、さらに私に身を寄せて小さくなってしまった。
「どうしたの?あなたは?」
「ものほしそなかおはダメ。やくたたずはごはんなし。かってにたべた。ばしばし。アルがリュイの代りにいっぱいばしばし」
私はリュイが食べ物を前に身を固くする意味がわかった。
私こそ、あの家の女主人を叩きに行きたいわ!!
リュイとアルを虐めていた人達を大声で罵ってやりたい気持をグッと抑え、私は再び籠の中のパンを掴んだ。
「カート、さあ口を開けて。さあ齧って。齧らないと私が叩くわよ」
カートは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに喉を鳴らして笑い、私が望むようにして私が差し出したパンを齧った。
それから彼も籠の中のチーズパンを掴み上げると、そのパンをリュイに向けた。
「さあ齧って。君がパンを齧らないとミゼルカに俺が叩かれるルールだ。さあ可哀想な俺を助けるために齧ってくれ」
リュイは私がカートにパンを差し出した所から目を開けている。
そして、このゲームの意味が解らないまま、たぶん彼女はアルが叩かれないように我慢していたからこそ、カートが私に叩かれないためにカートの言いなりになったのだ。
彼女は小さな口でパンをパクっと齧った。
「いい子だ。美味しいだろ?美味しいものは大事な誰かに食べさせたくなるね。そうじゃないかな?」
リュイは小さな体で籠へと両手を伸ばす。
そして掴んだチーズパンを私に差し出す。
私はそのパンにかぶりつく。
犬のようにリュイの手からパンを奪い、犬のようにそのパンを手も使わずにむしゃむしゃと齧って食べきり、呆気にとられたリュイに笑って見せた。
「ああ!本当に美味しいパンだわ!!リュイ、ありがとう!!」
リュイはうふっと笑い、すると彼女は飛びつくようにしてカートが差し出すパンに齧りついた。
なんだかリュイの動作が最初よりも野性的なかぶりつきになったようだけど、それはたった今の私のせいかしら?
ぐいっとパンを掴む私の手が引っ張られた。
カートも私が差し出したパンにさらに齧りついたのだ。
それだけでなく、この不埒な男は、私の指先も軽くしゃぶった。
ご飯を食べても誰も誰かを叩かない、そんなルール開催中のこの時に!!
「ああ。こんなにおいしいパンにありつけたのはリュイのお陰だな」
カートは瞬時に黙った。
今度はキッシュを口に突っ込まれたから。
ただし、彼はキッシュを咥えながらも私に片目を瞑って見せたのだ。
だって、そう言えばカートには空いた手があったのだもの。
彼はリュイに差し出していない左手で私の右手を掴み、私を捕らえてしまったのである。
いいえ。
カートが左手の指先でキッシュを持つ私の右手の手の甲をそっとなぞっただけ。
それだけなのに、私が動けなくなっただなんて。
私にこそ危機が訪れちゃったみたいだわ!!




