その三十六、彼の大船とは
カートは物凄い殺人者だ。
私は完全に彼に殺されてしまった。
比喩だけど、私の評判は粉々、じゃない?
「でも、いいかな」
このバスタブがあるバスルームは、私の部屋のバスルームじゃない。
カートの部屋のバスルームだ。
下着姿で毛布にくるまれただけの私を自室に返すわけに行かない、と、カートは私を自室へと連れ込み、ついでに、彼の部屋のバスタブに私を漬け込んでしまったという次第なのである。
私はなんだかやり切ったという変な高揚感のまま、バスタブから突き出した自分の足先を見つめる。
カートに銃を手渡され相棒のように扱われた、それがなんだかとても気持ちが良かったのだ。
「おふろ、ほかほか」
最初はお湯につかることを脅えていたリュイもであるが、今は私の腕の中で安心しきった風にだらけ、眠そうな顔付きでうつらうつらとしている。
私は空いた手でリュイの頬を撫でた。
煤や泥で汚れた髪や体の汚れを落とせば、白い肌に綺麗な金髪となり、泣いていたばかりの瞳から赤味が消えれば、そこには晴れた青空が顔を出す。
リュイは女の子だった、それも、空から落ちてた天使みたいに可愛らしい子だ。
「うひゃああああ」
「ふふ。リュイったら」
「ふふ。カートが。うひゃあああ」
私はリュイのお陰で、三十分くらい前のことを思い出した。
リュイが女の子だと知ったカートの振る舞いったら!!
最初は彼女が男の子だとばかり考えていたから、私をバスルームに放り込んだカートは、自分が彼女の着替えか何かを担当しようとしていたのだ。
リュイの汚れて濡れた服を脱がせた時、悲鳴をあげたのはカートだった。
あのカートが、うひゃあ、なんて情けない声をあげてバスルームに飛び込んで、バスタブを跨いでいたその瞬間の私を見て、さらに悲鳴をあげたのだ。
空気が抜けたような、声にならない悲鳴を。
でも、普通は裸を見られた私こそが悲鳴を上げるものじゃない?
「わ、忘れてくれ!!無作法だった!!」
「そうね。あなたこそ忘れて下さる?」
半裸のリュイを掲げて顔を背けている大男は、真っ赤な顔に動揺した仕草そのものだったのに、一瞬で真顔になって私を見返した、と思い出す。
そう、ここで私は殺されたのだ。
自分を取り戻したらしき男は、女性達が扇をぱたぱたしてしまうぐらいに逆上せてしまうあの微笑みだけになった。
それから、まるで夫が幼い娘を妻に託すようにして私へとリュイを差し出し、私の頬に彼の頬がくっつくぐらいに顔を寄せて囁いてきたのである。
ゾクゾクってしてしまうぐらい、とっても素敵な低い声で。
「さらに素晴らしき光景を俺に捧げてくれるならば」
「え?」
カートの物言いに頭が真っ白になった私は、気が付けば哀れなリュイを自分の腕に受け取っていた。
「君はとても美しい」
素晴らしきエメラルドの瞳は、まっすぐに私を射抜く。
私に否定を許さないと言う風に。
「飛び跳ねる小鹿よりも君は可愛らしい」
「小鳥から小鹿になれたことは喜ぶべき?」
「え?」
カートは再び真顔に戻り、私を見返し、見返して、再び真っ赤に顔を染めた。
そして、カートはバスルームから逃げた、のである。
バラクがバビューンって駆け出していくようにして。
「てて、リュイ、しわしわ」
「あ、そうね。ぼんやりしちゃってごめんなさいね。でも、ああ、着替えをどうしましょうか?」
トントン。
丁度良くバスルームのドアが叩かれた。
私が、カート、と声をあげる前に、ドアは勝手に開かれた。
それはドアをノックした彼女達が、私の意思などどうでも良いと考えているからだろうか。
カートの姉達が好意的な笑顔とタオルや着換えを持って現れた。
まるで私の侍女みたいにして。
「さあ身支度の時間よ。急いでお部屋に戻らないと大変じゃなくて?」
私は母とキリアに躾けられた貴婦人の笑みを顔に貼り付けると、リュイを抱いたままバスタブの中から立ち上がる。
それからカートの姉が広げているタオルを受け取り、リュイと自分を拭きながらバスルームを出る。
とても無礼な行動をしている気がするが、なんだかついさっきまでの楽しい魔法が溶けてしまった気がするのだ。
楽しかった冒険はお終い。
結果として彼女達の手を借りなければいけなくなったが、彼女達が私を大人として認めていないのは変えられないし、私もカートと結婚する気は無い。
カートこそ。
アルとリュイを救出して雨に降られて有耶無耶になっちゃったけれど、私達は互いに不利益の無い婚約不成立を叶える目的のために行動していたのだもの。
バスルームから出た私は、私が考えていた通りのことをカートがしていた結果を目にしていた。
私の部屋のクローゼットから取って来たであろう私の着替えと、服の無いリュイに着せるためのカートのシャツだ。
幼い子供の柔らかな皮膚のためにと、柔らかな生地のものだからと高級なものだって差し出せるなんて、なんて高潔で優しい人なんだろう。
「子供のことは心配なさらないで。私達が育てますし、匿いますわ」
私は三美神達に振り返る。
彼女達は朝食の席で出会った時と同じ表情で私を見返していた。
大人で世間を知っていると自負する女が、デビューしたての女を世間知らずだと憐れみながら見守ろうとする笑顔だ。
つまり、対等な人間と私を認めていない。
私なんか子供と一緒、同じ立ち位置にいない、と宣言しているも同じなのだ。
「あなたの優しさは弟から聞いたわ。私は感激しましたし、そのお気持ちを大事にしたいと思いますの。ですから、子供達のことは安心して私達に任せて」
ぱし。
私は私を慰めるように手を伸ばしたアレクシアの手を跳ねのけていた。
リュイもアルも犬猫じゃない。
だから、私の我儘だけで彼等の人生を乱しちゃいけないってわかっている。
でも、でも。
「安心なさって。カートがリュイ達のことを引き受けたのよ。それで私達が頼まれたの。さあ、まずは服を着ましょう。幼子に風邪をひかせるおつもり?」
「子供は余計な事を考えるな。君達は既に俺の保護下だ。大船に乗った気でいろ」
カートのあのセリフは心強かった。
思い出した今は忌々しい。
彼の大船には私は乗っていなかったようだから。
そうよ、今さら何を勘違いしていたの、私は。
婚約不成立は他人でいましょうってことじゃないの。




