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その二十四、君は危険に飛び込む小鳥さん

 ボックス席の扉は締め切られた。

 私は信じられない気持ちで、閉じ切った扉を見つめるしか無かった。


 私には優しいばかりのお父様が、一般的に恐れられて尊敬されている侯爵様であるように、伯爵様であるポール・コンラート様も純朴な人なだけでは無かったというの?

 本当はとっても怖い人だった?


 彼を信じた私は何も考えずに彼に従い、気が付けばお母様と引き離されている状態で彼のボックス席に閉じ込められてしまったのである。


 けれども、舞台を見るためのボックス席ならば密室ではない。

 私の考えすぎではないの?

 いいえ。

 考えて怖くなったのではなくて、勝手に怖い気持ちになっているだけ。

 真夜中に目覚めた時に、大事なお人形が急に怖くなって泣いてしまった、そんな幼い時に感じた気持ちに近いわ。


「あの」


「どうしたのかな?ミゼルカ?オペラと違いオペラッタは大衆芸能だ。歌と踊りに楽しく騒いで笑うものだよ。君達がいつも座る中央桟敷席というロイヤル席では、貴婦人らしく気取りかえっていなきゃいけないんだ。それじゃあ君が楽しめないと思ったんだけど、余計なおせっかいだったかな?」


 なんて私は物知らずだったことか。

 そうよ、ポール様はカートと違って優しさだけで出来ているお人なのよ!!


「そ、そうでしたの!ポール様って本当にお優しいのね!知らなかったわ!ボックス席は騒いでも良い席だったなんて!!」


 私から一瞬で怖い気持ちなど消え、今やワクワクした気持ちばかりだ。

 そこに勝手に脅えた罪悪感もあったので、私はポールに促されるままに早速という風に舞台を見渡せる手すりの方へと歩きだした。


 しかし、二歩も歩く事が出来なかった。

 私の腰に誰かの腕が回されたのである。

 そして、そのままぐいっと力強く後ろへと引き戻された。


「!!」


 私を今腕に抱いている人は、この場にいないはずの人だった。

 会場前のホールを睨みだけで制圧していた悪魔。

 黒い艶やかな髪を形の良い額を見せつけるようにして後ろに流し、そのせいでエメラルドのような瞳をさらに際立たせているという、恐ろしい男である。


「カート!いつの間に!!」


 怖い男に拘束されてしまった私はポールへと助けを求めて、……求めて見れば、……ポールが前後不覚になっていた事に気が付いただけだった。


 アラン・パドゥー狂言殺人のあの日を再現した様にして、アランの代りにポールが死体役となって床に倒れているのである。


「こ、今回こそ殺しちゃった?」


「眠って貰っただけだ」


「眠ってって、あ、あなたは」

「この大馬鹿者が!!」


「ひゃあ!!怒鳴るなんて!!」


「では静かに言おう。馬鹿者が」


「ば、馬鹿者って、酷いわ」


「馬鹿者でなければなんだというのだ?――いや、君だけのせいでは無いな。君が純粋なだけなのは誰もが知っていることなのだから」


 カートは私を叱りつけたが、途中で出した呆れ声による罵りは私への非難では無いようだった。

 その証拠であるという様に、彼は私を幼児にするように抱き直したのである。

 お父様が幼い私を抱き上げた時のように、よ。


 でも、私のお尻の下にカートの腕を感じるのはちょっと。


「あの、あなたの腕に座らせられる抱き方って、あの」


「大人しくしてくれ?俺は君のお尻を叩きたくて堪らない」


 私は口をきゅっと閉じると、この暴力的な男の首に両手を回した。

 お父様に抱き上げられた時に、私がお父様にしがみ付いた時のようにして。

 するとカートは私の動きを合図にしたようにして、ボックス席から外へとずかずかと歩きだしたではないか。


 背が高い彼は歩幅も大きく、廊下の風景がどんどんと動いていく。

 カートに運ばれていく私が囚われた気持ち、これはポールのボックス席で感じた恐怖と違う恐怖だ。

 ところどころで立つ会場職員が次々に頭を下げるけれど、誰もこの無礼極まるカートの行為を諫める人がいないのだもの。


「ど、どこに連れて行くおつもり?」


「君のママの所だよ?お嬢ちゃん?」


「お、降ろしてくださる?お母様の所ならば自分で歩いて行けますわ」


 ピタッとカートは動きを止めた。

 彼は私を眇め見ている?睨んでいる?


「あ、あの」


「君は俺に別の場所に連れて行って欲しかったのか?」


「ち、違います!!ロイヤル席ならばたくさんの目があるわ。こんな格好でいるところを見咎められたら大変だわ」


「俺は構わないな。時間をかけて見守ろうと考えた矢先に、君は出会った最初の男とウエディングベルを鳴らすつもりときた」


「そ、そんなつもりなどありません!!」


 カートは両目をぐるっと回し、呆れかえったような大きな溜息を吐いた。

 それから鬱陶しい言い方で、さも私への当てつけのようにぼやくでは無いか。


「あああ全く。ボックス席が何たるものか知らない生き物がここにいるとは。どうして誰もこの小鳥に危険を教えないんだ」


 私は憎らしいカートの肩を右手で叩き、知っていますと声を上げていた。

 カートは小馬鹿にするような顔つきで私を見返してきたが、その眼つきは教師が簡単な問題も答えられない生徒に向けるようなものである。


「嘘はいけないよ?お嬢ちゃん?」


「嘘ではありませんわ。存じております。ボックス席は面白おかしく舞台を鑑賞できる特等席ですわ。わって、きゃあ!!」


 カートは私の返答を聞くや、私をぽんと放り上げた。

 私は反射的にカートにしがみ付き直す。

 私にしがみ付かれた男は喉を鳴らした笑い声を立て、私は自分を脅えさせた男の耳を引っ張ってやりたいと思いながら睨みつけた。


「君への説得は言葉よりも体に覚えさせた方が良いようだな」


「え、ええ!!」


 私の抱き方を変えたカートは進行方向を変えた。

 えええ、私に何をするおつもりなの?

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