その二十五、シロナガスクジラになりたい姫と小鳥を望む騎士
私は戦々恐々だ。
だって、カートは私の体に教えこむなんて、不穏当なセリフを吐いたのよ。
そして私を抱いたまま、彼はどこかへと向かっている。
「な、何をなさるおつもりなの?」
「言ったでしょう。教育的指導だ。君はちょっと無謀すぎる。好奇心どころか、ぽやっとして井戸に落ちて死んでしまう猫並みだ。いや。勝手に密航した上に船から落ちてサメの餌になる猫並みか?」
「し、失礼ですわ!!」
「そうかな。口を開けたサメに向かってダイブしたでしょ?全く。男が用意したボックス席にホイホイ連れ込まれるだなんて。暖炉に突進する赤ん坊と同じぐらいに危険な行為だよ」
「もう!酷いわ!ボックス席など単なる観劇席の一つでは無いですか。それに、教えていただきましたわ!ここは大騒ぎしても良い所だって。だから、あの、ボックス席って、お芝居をとっても楽しめるところだって、喜んで、あの」
私の台詞が尻すぼみになったのは、ポールがドアを閉めた時に感じた恐怖を思い出したからである。
怖いって思ったってことは、やっぱり自分は危険だったのかしら?って。
「ふう」
カートは私の髪の毛が吹き飛ぶぐらいの、大きな溜息を吐きだした。
次に彼は、以外にも優しい表情で私に片目を瞑って見せた。
「大声は出すなよ?指導教官達に失礼だ」
「え?」
なんと、私達は再び見慣れた扉の前にいた。
ドアの位置的にはポールの部屋では無いが、その扉がボックス席への扉であるのは間違いない。
それでもってカートは私の体に教えこむって言った。
「え、ちょっと!」
完全に脅えた私はカートの手から逃れようと身を捩ったが、彼がそのボックス席への扉を勢いよく開ける方が早かった。
ボックス席という芝居の為に室内に照明が無い部屋は、ドアを閉めれば舞台側からしか明かりが取れない造りとなる。
だから私は怖くなったのね。
ポールが扉を閉めたことで薄暗がりが出来たから。
薄暗がりにはお化けがいるもの、でしょう。
あるいは、口にしてはいけないことが行われている、とか。
私はカートの腕の中で硬直していた。
カチーンよ。
カートが私に何かしたのではない。
互いをまさぐり合いながら深いキスをしているカップルがそこにいたのだ。
「きゃあ!」
「なんだ君達は!!」
当たり前だが不幸なカップルは闖入者に驚き慄いた。
そして、この破廉恥なさまを私に見せる目的だったろくでなしは、私に流し目をした後、不幸な二人に対して軽く頭を下げた。
「お邪魔しました。社会勉強をありがとうございます」
カートはそのまましれっとした顔で、私を抱いたまま再び扉の外へと出た。
私が彼に何も言わないのは、今の私は口を動かすどころか、瞬きの仕方まで忘れてしまったからだわ!!
「学んだな」
私はカートに何か言い返すべきであるのに、私にできたことは首を上下にしてカートに追従する事だけだった。
衝撃が強かったせいでもあるけれど、私は本当に学んでしまったのだ。
ボックス席でポールに何もされなかったとしても、ボックス席にポールと仲良く座っている姿を皆に見られたらどうなっていたのかと思い当たったから。
きっとどころか確実に、私の評判は地に落ちていた。
「助けて下さり、ありがとうございました」
彼はふふんと鼻で笑うと、私をそっと床に下ろした。
そして自分の左腕を差し出した。
「俺に感謝するならば、君をエスコートできる栄誉を与えてくれ。イチゴ姫」
「またイチゴ。当て擦りばかり。私がシロナガスクジラのような女王様になれないことは分かっているわ。でも、騒々しい小鳥でしかないとわざわざ思い知らせられるのは辛いわ」
ぷ、くく。
カートは左腕を差し出したままだが、顔は私から背けて吹き出していた。
何て失礼な男!!
私をあざ笑う失礼な男を叩いてやろうと、私は両手を持ち上げた。
ぷちん。
これは私のどこかが切れた音だ。
カートに向けた怒りや緊張が一瞬で無くなった音である。
カートは私に微笑んでいた。
その笑顔は、どんな時でも私をお姫様扱いするお父様みたいな、優しいばかりの微笑みだったのである。
「カート」
「可愛いお姫様。俺は鈍重なクジラの女王様よりも、元気に飛び跳ねている小鳥の方が大好きなんですよ。紅雀はとっても小さくて可愛らしいのに、とっても勇ましい。俺の一番好きな小鳥です」
私はカートの左腕に自分の右腕を絡ませていた。
私の顔はたぶんイチゴ鳥みたいに真っ赤になっているはず。
結局シロナガスクジラになれないみたいだけど、私が私であるから好きだと言って貰えた気がして、悔しい気持ちにもならなかった。
ただ、私の心臓はどんどん激しく鼓動を打つばかりで、今にも小鳥みたいに胸から飛びだしてしまいそうになっている。
「俺に君を守らせてくれないかな?お姫様」
「よ、よろしくてよ」
カートは私の返答を聞くと、彼の腕に絡めていた私の右手を左手で上手に持ち上げ、なんと自分の口元に持っていくではないか。
「あ、あの」
「ありがとう、可愛い人」
カートは私の手の甲にキスをした。
手袋の上からの、それも唇もつけない音だけのキスでしかないのに、私は手の甲に小さな雷を受けた、気がした。
だから、続けてカートが私に差し出してきた言葉に対し、私は愚かにも、はい、だなんて答えてしまったのだわ。
彼からのキスの衝撃で、私の頭がぼうっとしていたから。
「受け入れてくれてうれしいよ、婚約成立だ」
ああ、私は本当にサメの口にダイブしちゃう猫並みだったわ。




