その二十二、シロナガスクジラの女王となって
「わお!わお!わ~お!!」
「お嬢様、そのお声は下品です。私をがっかりさせないでくださいな」
私はキリアが望む深窓の令嬢らしい仕草で、ガサツこの上ない叫び声をあげてしまった口元を両手で覆い隠した。
けれども私の目玉は、私の意思だけで大人しくするどころではない。
鏡に映し出された自分自身から、私は目が離せないのだ。
目を離したらきっと視界から外れた場所から、魔法が解けるかもしれないわ。
そんな風に思った私は、何度も何度もぐるぐる目玉を動かして、上から下へと必死に今の自分自身の姿を確認しているのである。
私が身に纏っている薄い水色のドレスは、私には似合わないはずだった。
自分には似合わない色でも美しいと惚れこんだその布で、私が母のような外見だったらと夢想しながら作り上げたものなのである。
華奢な首筋を際立たせるオフショルダーに、美しい顔こそ際立たせれば良いと考えたシンプル過ぎる身ごろ。
さらに、ドレスの裾はカーラの花を逆さにしたような、しかし、カーラとは違って繊細で薄い花びらで出来ているかのような仕立てにしてある。
華奢な体に月の光のようなブロンドの母が着れば、きっと月夜の妖精にしか見えないぐらいに美しくなるだろう。
それなのに、その母の娘なのに、私は華やかさは無く華奢でもない。
だから、そのドレスでは私は墓場の幽霊にしか見えなくなるはずだった。
それが、それが。
キリアは魔法使いだったのか?
「たった髪型一つでこんなに変わるなんて!!」
キリアはふふんという風に鼻をツンと上げた。
今日の私の髪型は、いつものものどころか、未婚女性が夜会でする人気の髪型でもなかったのである。
人気の髪型は、全部の髪の毛を一回後ろでまとめて結い、余らせた毛先を全部縦ロールにして顔の側面から垂らす、というものだ。
そして私のいつものは、毛先など余らせないで後ろでまとめてお終いだ。
だって人気の髪型を私がすると、私が華奢に見えるどころかもっさりするばかりで、全くもって似合わないのだもの。
まるで、可愛い髪型のカツラを被っただけのゴリラみたいになるのよ。
キリアは考え過ぎと笑うけれど、すっきりした髪型にまとめることに何の意義も無いならば、やっぱり似合っていないと彼女こそ思ったはずなのよ。
そんなキリアが、今夜に限ってアレンジを思いついたのよ!!
キリアが髪結いのメイドに指示した髪型は、人気の髪型をダイナミックに変形させたものだった。
一瞬髪を短く切ってしまったのかと錯覚するようなもので、自分の真っ直ぐな毛先がそのフェイクを作っている。
またそのフェイクを乱さない様に塗られた髪油が艶めいて、私の薄茶色の髪の毛をお父様が大好きなお酒かお母様の宝石箱に入っている琥珀、それらを彷彿とさせるようにこってりと輝いているのだ。
さらに、キリアが私の髪と胸元に飾ってくれた飾り、淡いピンクのバラで作った飾りが、私の顔色を華やかに生き生きと際立たせている。
「だめ。声が出ちゃう。私がとってもきれいだわ!!」
「お嬢様は!!お嬢様はいつもおきれいですよ。大人しく椅子に座っていらっしゃったり、静かに真っ直ぐに立っていらっしゃる時は、とってもお綺麗です」
「もう!!揶揄ってばかり!!でも、いいわ。あなたが作ってくれた今日の私、このきれいになった私を保つように静かにすると誓いますわ」
「ようございました。ええ、ええ。今晩のお嬢様はシロナガスクジラですわよ。決してシャチやイルカになってぴちぴちしてはいけませんよ」
私はシロナガスクジラの女王様どころか小さな頃に戻って、魔法使いだったキリアに何でも言う事を聞くなんて約束してしまっていた。
そのことは後悔していない。
だって、私とお母様が連れ立って会場入りした所で、ぶわっと若き独身男性達四人に囲まれてしまったのだから。
こんなの、私人生で初めての経験じゃない?
自分がどこぞの次男坊のアンゼルムと名乗った金髪の青年が、私ではなく母に腰を落とす礼をした後に母の手を恭しく取った。
「美しき、エバンシュタイン侯爵夫人様。願わくば、わたくしめにお嬢様へのご挨拶を賜る栄光を授けていただけませんか?」
最初は母親に挨拶するものだものね、と私は笑みを作る。
母もにっこりとどこぞのアンゼルムに微笑む。
「僕はロッシのベンジャミンです。アンゼルムがお嬢様のエスコートをするならば、僕にあなたのお相手をする栄光を頂けませんか?」
なんと~。
やっぱり金髪の若者ベンジャミンが、アンゼルムを押しのけるようにして母に迫ったのである。
僕の目的は、奥様、あなた様ですよ、そんな風にして!!
そして、次の展開として、やはりあとの二人、ブルーノとカスパーと名乗った青年二人、こちらは焦げ茶色の髪と栗色の髪の青年だが、彼らも着飾った私ではなく母の方を取り囲んでしまった、とは。
……確かに今夜の母は妖精どころか女神のように美しかった。
真っ青のドレスがなんてお似合いになるの。
「ウフフ。チェストは可哀想ね」
「そこにあるだけの置物ですものねえ」
「あなた達、可哀想よ。その通りだけど」
ケイトリン達が私に嫌味を言いながら、ついでという風にしてそれぞれが、私の体に次々と体をぶつけながら通り過ぎて行ったのだ。
「うわ、ええっと、きゃ」
三人にぶつかられる度に、私の体はくるくると回転することになった。
最後にはバランスを大きく崩し、私の踵は床を滑った。
「あっ」
「大丈夫かな、麗しの君?」
私の両肩を気安く支えたのは、ええ!!
私は目を見張りながら動きを凍らせてしまった。
恐らく、私を突き飛ばしちゃったケイトリン達こそであろう。
失敗したって思ったはず。
だってこの方は――。
「ポール・コンラート、さま!!」
前夜祭の時と違い、金色に近い薄茶色の髪を後ろに流して額を出しているお顔は、柔らかい顔立ちも相まって王子様みたい、いいえ、水色の綺麗な瞳のせいで天使様みたいだわ。
そんな人が地味で家具みたいな私に微笑んでいらっしゃるのよ。