その二十一、婚約は新たな婚約で打ち消せる、から
今日は音楽祭四日目。
母が作ったスケジュール通りだったら、昼間はピクニックで楽しんで、夜のこの音楽祭で再びカートにご挨拶して談笑する、そんな流れであっただろう。
でも彼とは結婚出来ない私は部屋に閉じこもってピクニックを拒否したし、お母様達に婚約の不成立も願い出た。
婚約が成立もしていないのに婚約破棄など出来ないでしょう、という母の言葉に対しての、では不成立で、という私のお願いである。
しかし母は社交界の海を泳ぎ切っているどころか、支配だってしているかもしれない魔物である。クラゲどころかクラゲにもなれないプランクトン状態な私が、シロナガスクジラに太刀打ちできるはずなんて無いのだわ。
「ヘルマン王子のお顔を潰すおつもり?海軍の元帥はブラートフィッシュ侯爵様よ?エルンストおじ様って、あなたが大好きな方ではなくって?」
「お魚をお料理するのが得意なオジ様ってお父様が紹介して下さった、エルンストおじ様が海軍の元帥閣下様、だった?」
「お魚料理が得意?お名前のブラートフィッシュを誤解していたの?あなたはそんなお馬鹿さんだったの?」
「お父様がああ!!」
私は適当な冗談を言って娘を揶揄う父を恨むべきか、そんな父がどうして侯爵様なんだろうかとこの世を恨むべきなのか。
ああ、本当にどうして私は侯爵家の娘だったのだろう。
可愛がってくれた面々が、国のお偉いさんばかりだったではございませんか。
そして我が父も貴族院で有名な人物であるならば、私は父の為にこれ以上自分の結婚について騒ぎたてる事は出来ない。
よって私は今夜の出席を母に認めさせられ、母は娘を言いなりにした満足で自分自身を磨く旅に出た。私は私で地味な自分を着飾る苦行の中にいる。
「ああ!単にお金持ちの男の人だったらいいのに!どうして結婚したらパレードとかされそうな英雄なのよ!私は地味なの!性格はどうでも、見た目がバリバリに良い男の人に横に並ぶには、私は地味すぎるのよ!」
「お嬢様、結婚式はベールでお顔を隠せますし、パレードなんて遠目で顔なんかわかりませんことよ。沿道の庶民が注目するのは、英雄の方のハインリッヒ様にこそでしょうし、大丈夫ですわ」
私は壁にぶつけようと持ち上げた枕を、乳母のはずの意地悪女に投げつけようかと迷ったが、元通り枕をベッドに置き直すだけにした。
意地悪女に何かしたら後が怖い、それは幼き頃より身に染みている。
「……お出掛けしなくちゃ、だめ?」
「奥様とお約束されたのでしょう。奥様はお嬢様の昼間の我儘を受け入れられましたよ。今度はお嬢様が奥様のお気持ちを大事にする番では?」
「わかりました。ではドレスは、ええと、それじゃないのがいいわ」
母が指定した薄桃色のドレスは、実は私にとっても似合っている。
でも、今は赤系統のものは着たくない気持である。
デビュタントが着れる殆ど白に近い薄桃色だとしても、私をイチゴ鳥なんて揶揄って喜ぶ男をやっぱりイチゴだと思わせて喜ばせたくはない。
「お嬢様?ハインリッヒ様より条件がよろしい方を見繕えば、ハインリッヒ様との結婚は流さざる得ないのでは無いですか?奥様はお嬢様の気持こそ大事にするために、今回の音楽祭の参加を決めたのです。人に注目されている今ならば、お嬢様こそ男の方を選べる立場になれます!!」
やっぱり枕をぶつけちゃおうかしら。
いいえ、ぶつけるべきは自分の母親に、だわ。
「最初から私には社交界デビューも結婚相手探しも失敗するって思っていたのね。私が地味で普通だから」
「その考え方で適当な男に騙されそうだから、ですわ。お嬢様に足りないのは美貌ではなく、演技力です」
「演技力?」
「そうですわ。ご自分を女王様だと思いながら振舞って下さいな。そうすれば奥様のような素晴らしき貴婦人におなりになれます」
「すごい説得力だわ。では、やっぱりそのドレスは止めて、薄いブルーのドレスにして頂ける?」
「あれはお嬢様の顔色を悪く見せますわ」
「でも、シロナガスクジラの気持になれるわ!!」
「全く。英雄色を好むと言いますが、あの方が好むのはイロモノのイロなのかしら。名を成す人は変人って言いますものね」
それは、カートが私が変な子だから気に入っている、ということなのかしら。
確かに他と違うと気に入ってくれたことは喜ぶべきなのでしょうけれど、女性としては、他と違う魅力があるとかが良かったわ。
いいえ、いいのよ。
私はカートと結婚しないのだから、彼が私を何と見ていても。
いいえ、気にするべきだわ。
だってカート以外の男の人が望む女性像は?
「私が間違っていましたわ。シロイルカぐらいな気持ちにします」
「いえ。シロナガスクジラでようございます。シロイルカよりも優雅ですから。どうか今夜は昼間みたいにぴちぴち動き回らないでくださいませね。はあ」
キリアは思いっきり溜息を吐きながらクローゼットに向かい、そこから私の希望通りのシロナガスクジラドレスを取り出した。
私は美しいシルクの布をぼんやりと眺めながら、どうして自分に似合わないとわかっている色のドレスを作ったのかと思い出していた。
ああ、思い出してしまったわ。
私はそのドレスは止めるとキリアに言うべきだわ。
「お嬢様?」
「薄いブルーはお母様に良く似合うわ。いいえ、金髪で青い目のお人形みたいな方にこそ似合う色だわ。余計な色が入らないから、神秘的でとても素敵になる。そうなりたいなんて思うだけにすればよかったのに、私は本当に浅はかね」
「お嬢様?私に闘志を抱かせましたね」
「キリア?」
キリアは母と悪巧みをしている時の笑みを私に向けた。
単なる子爵令嬢でしか無かった母がエバンシュタイン侯爵婦人に成りあがれたのは、母の美貌だけでは無かったのだと初めて気が付いた。
私は女王様のようにくいっと顎を上げ、キリアが望むように演じてみる。
「私に似合わない色を私こその色にして頂ける?」
「お任せくださいませ。お嬢様。」




