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おいでよ神秘の森

あの不思議な体験、使徒襲来ならぬ妖精女王襲来からもう6日が経った。

 異世界の社宅に住むことを決めた私は、この6日間で色々なことを済ませた。いらない服の処分、部屋の掃除、この部屋の家具や家電類をフリーマーケットで売ったりもした。

 この世界のもの、例えば本やゲーム類など自分のお気に入りのものは異世界への持ち込みが許可されているらしいので、それら以外は処分することに決めたのだ。

 服は持っていけるが、異世界では浮いて注目されたりするらしいので却下、家具家電類は社宅にすでに用意されているらしいので持っていく必要はない。

 本は異世界でも普通に売られているから違和感はないし、ゲームは社宅内なら許可されているし、何より社長自身が既に持っているので特別注目されたりはしない。あと、なぜだかわからないけれど、入社当日の持ち物欄に『ケータイ』が含まれいたので、とりあえず本とゲームとスマホを持っていくことに決めたのだ。

 あと、日本円は異世界で換金できることを面接時に妖精女王ティターニアさんから教えてもらったが、その事をすっかり忘れていた私は、今日コンビニ弁当を買いに行くついでに、慌ててATMから貯金残高を全て引っ張り出してきた。大量の札束を出している私を見る周りの目線が痛かった……。

 帰り道、よく通る公園や商店街を見て『もうここには来られなくなるんだなぁ……』と私にしては珍しく感傷に浸っていた。

 そしていつの間にか、小さなアパートの2階の隅、私の暮らす小さな家に辿り着いた。今日がこの家で暮らす最後の日―――そう考えるとなぜかこみ上げてくるものがあった。この家で暮らしていたのは長いようで短く感じた。この家は私が大学卒業してから今までの6年間、ずっと過ごしてきたのだ。多分実家より思い入れが深いかもしれない。

 そんなことを思いながらドアノブに手をかけ、最後になる『ただいま』を、ベッドを売った後に久々に引っ張り出してきた布団、本、ゲーム類だけになった誰もいない部屋に向かっていった。

 本当に、我ながら質素な部屋になった。今まで愛用していたこたつでさえも売ってしまったんだから。

 3月の末でもまだ寒く、出かける際に羽織っていたコートを脱いで、買ってきたコンビニ弁当やヨーグルトを食べた。

 その後軽くシャワーを浴びて、部屋着に着替えた私は、明日の準備に取り掛かり、夜11時ごろに布団にもぐったが、明日の緊張の為か中々寝付けず布団の中でゴロゴロしていた。

 すると、先程まで気にしていなかった布団から出る、畳のような香りに気づいた。

 ―――そういえばこの布団、昔おばあちゃんにもらったやつだっけ。なんだかすごく懐かしいにおいがする……。

 そう―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――()()()()()()


『ジリリリリリリッ!!!』

 ―――朝8時。

 けたたましく鳴るスマホのアラームに起こされた私は、いつの間にか寝落ちして朝を迎えていたことに気づいた。なんだか懐かしい夢を見ていた気がする。この布団で寝たせいかな……。

 ―――あれ?

 私が入っている布団の中に、()()()()()()()()()ことに気づいた。

 え、だ、誰っ!?ストーカー!?不審者!?オバケっ!?ものすごく怖いんですけどっ!!

 頭の中で混乱する私は、意を決して勢いよく布団をめくってみた。

 すると出てきたのは、艶やかなサファイア色の長い髪、透き通るように白い肌、まるでミロのヴィーナスのように整った顔立ちと綺麗な裸体が私の目に映った。

 ―――なんということでしょう。社長の妖精女王ティターニアさんがが私の布団の中で寝ていたのだ。しかも全裸で。

「ホワアアアアアアアアアアアアアイッッッ!!?」

 どこぞのキノコのような叫び声を上げた私に気づいて、社長が眠そうに目を覚ました。

「まっ、またなんで勝手に私の部屋にっ!!?あと、なんで私の布団の中で寝てんですかっ!!しかも裸でっ!!!」

「ん?ふぁ~……。あら、お目覚めが早いのですね涼香リョーカさん……?」

「説明しろおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 この叫びの後お隣さんから壁ドンを食らった私は謝罪に行き、げっそりした顔で自分の家に戻った。布団の上では裸の女王様が座って待っていた。

「……んで、なんでまた勝手に私の家にいるんですか、妖精女王ティターニアさん?」

「うふふ、涼香リョーカさんを驚かせようと思ってサプライズをしに来ました。朝起きたら目の前に手料理があればびっくりするかと思って。……ただ涼香リョーカさんの家に来たはいいのですが、冷蔵庫もなくなってますし、何か作れそうな材料もなくて途方に暮れてましたの。そして、ふと涼香リョーカさんを見てみるととても気持ちよさそうに寝てましたので、それにつられて思わず潜り込んでしまって、気づいたら寝てしまいましたわ」

「はぁ~……。もうこの間の襲来で充分驚かされたんで、お腹いっぱいですよ……。あと、なんで素っ裸で寝てたんですか。まだこの季節の日本は寒いってのに」

「私、寝るときは全裸派なのです」

「聞きたくもねぇこと聞いちまった……」

 頭を抱えている私をすごく楽しそうに見つめている妖精女王。

 いや、それより―――

「早く、服着てください……。同性でもさすがに目のやり場に困るんで……」

 かくして魔法で優雅なドレスに着替え終わった妖精女王は、私の部屋を見回した。

「それにしても、本当にスッキリしましたわねえこのお部屋。以前来た時に置いてあったものがほとんどなくなっていて、私驚きましたわ」

「まぁ、今日からそっちの世界の社宅に住むことになってますし、そっちに持ち込むもの以外は全部売り払いましたよ……」

 私はそう答えながら、昨日コンビニで買っておいた500㎖の天然水入りペットボトルを妖精女王さんに手渡した。

 それを受け取った彼女は一口飲み、あることに気づいた。

「そういえば、朝ご飯はどうしましょうか?冷蔵庫もないですし、何か買ってくる必要はございませんか?」

 あ、忘れてた―――。そういえば朝ご飯用のコンビニ弁当は買ってなかった。どうしようか。朝ご飯を用意しに来てくれたってことは、多分妖精女王さんもまだ食べてないだろうし。

 だが、仮にも女王である彼女に対してコンビニ弁当を渡すっていうのも気が引ける……。

「あの、もしよかったら、近くにファミレスあるんでそこで朝ごはん食べませんか?」

「まあっ!良いのですかっ?」

「え、えぇ。これからお世話になる社長ですし、この前の面接とかパジャマパーティーのお礼というか。妖精女王ティターニアさんの口に合うといいんですけど……」

「えぇ、もう是非よろこんでっ!わたくし、観光に来た時にファミレスは言ったことがあるのですが、この時間のファミレスは初めてなので、凄く楽しみですわっ♪ではこちらの世界用の衣服に着替えますね」

 そう言いながら魔法で着替え始めた妖精女王ティターニアさんの服は、優雅なドレスから、厚手のコートと白いニットのタートルネック、黒のロングスカートに黒タイツといういで立ちに変わった。

 彼女の着替えも終わり、私たちはファミレスに向かった。道中商店街の人たちがこっちをチラチラ見てくることに気づいた。

 ―――私じゃなくて妖精女王ティターニアさんの方だが。

 長いサファイア色の髪というだけでも目立つが、それ以上に彼女の繊細な彫刻のような綺麗な顔立ちや体型に、老若男女問わず周りの目は奪われている。

 だが妖精女王ティターニアさんは、周りの目に関してあまり意に関せず堂々と歩いていた。さすが女王様だ―――。

 こうしてファミレスに辿り着いた私たちは窓際の席に案内された。

 私はモーニングメニューを一通り眺めて注文するものは決めたが、妖精女王は初めてのモーニングメニューを珍しそうにずっと眺めてそれにするか決めかねている。その姿はまるで、はしゃぐ子供のようだった。

「う~ん……初めてのモーニングメニューですし、どれも美味しそうですから迷ってしまいますわねえ。涼香リョーカさん、何かオススメはありませんか?」

「そうですね……あっ、『エッグベネディクト』のモーニングセットはどうですか?これを出したニューヨークのとある名店が『朝食の女王』と称されたと言われてるんです。女王である妖精女王ティターニアさんに合うかと思いますよ?」

「まあ、それはとても興味がそそられれますわ!」

「エッグベネディクトを出した店がそうやって称されただけで、ここも同じ味かわかりませんけどね。『妖精女王に朝食の女王を』っていう、私の単なるこじつけですし」

「うふふ、それでも気になることに変わりはありませんわ。では、わたくしはこのセットを注文いたしますね♪」

 こうしてお互い注文するものは決まったので、店員さんを呼んだ。

 妖精女王さんはエッグベネディクトのセット、私は卵と野菜が入ったサンドイッチのセットを頼み、各々ドリンクバーに飲み物を取りに行った。

 すると、ドリンクバーから帰ってきた妖精女王さんが、ふと呟いた。

「それにしても、あの『ドリンクバー』とやらは本当に便利ですね。自分の手で好きな飲み物を注ぐことができるだなんて。以前ファミレスに来た際も驚きましたわ」

「会社にはないんですか?ドリンクサーバーって」

「それかないのです……。ドリンクバーがあれば料理部門セージの方々の手間も省けますので、本当に欲しいですわ。鍛冶職人の小人ドワーフの方々にこれを作っていただけないかと相談したのですが、実物を見たことがないものは作れないと断られてしまって……」

「多分この世界に業務用のものならあると思いますよ。私が前働いていた会社にはウォーターサーバーもあったんで。さすがにファミレスみたいに色んな飲み物があるサーバーはなかったですけど、でも探せばあると思いますよきっと。それをその鍛冶職人の人たちに見せればいいんじゃないかと」

「なるほど、その手がありましたわっ!ありがとうございます涼香リョーカさんっ♪」

 こうして彼女と何気ない会話をした後、注文していたモーニングセットが運ばれてきたので『いただきます』と言ってお互いが注文した料理に手を付け始めた。

 サラダ、オニオングラタンスープと卵と野菜入りサンドイッチは私のお気に入りの料理だったのでこれを注文したが、向かいの妖精女王さんのエッグベネディクトのセットもとても美味しそうに見えた。

 エッグベネディクトの綺麗な出来にも目を奪われたが、それ以上に彼女の上品な振る舞いに思わず目が行ってしまい、今朝見た商店街の人たちと同じリアクションをしてしまった。

 人の家に勝手に上がり込んだり、布団にもぐってきたり、一緒にゲームをして楽しんだりと、色々と子供っぽくて母性もあって、無茶苦茶なとこはある人だが、その中にもやはり女王然とした気品があった。

 ―――本当に、変わってるというか、不思議な人だな。

 こうして、妖精女王ティターニアさんはエッグベネディクトの美味しさに夢中になり、私は彼女に目を奪われ、お互い言葉を発することもなく、出されたセットメニューを食べ終えてしまった。

 食後のコーヒーを飲みながらお腹を休めていると、彼女から静寂を破った。

「―――そういえば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「―――っ!!」

 私はその一言を言われると固まってしまった。

 ま、まさか……アレを見られたっていうの!?

 私が見た夢、私の記憶を、見られたっ!?

「ご、ごめんなさいっ!!見るつもりはなかったのです……。ですが、貴女の思いが強すぎて、わたくしが貴女の隣で寝た時に貴女の夢を共有してしまったみたいで……。わたくしは妖精たちの中でも、()()()()()()を感じ取る力が一番強くて……本当にごめんなさい」

 そう言った彼女は、私に必死に謝ってくれた。

 わざとではないにしても、確かに彼女は私の記憶を見てしまったんだ。

 そして、それが()()()()()()()()()()であることも彼女は分かってくれたからこそ、こんなに謝っているんだ。

 彼女に言われた一言で、私は自分の過去を知られたことへの恐怖と焦り、そしてそれを勝手に見られたことへの怒りも多少あったが、彼女にとってはどうしようもない出来事だったと知り、それらの感情が段々薄れ、頭がクールダウンしていくのが分かった。

「―――いいですよ、気にしないでください。わざとでないのなら仕方ないですし、見られてしまった以上どうこう言ったりしませんから。他の人に広めたりされるのは、さすがに嫌ですが……。それに、もうあの頃のことも時効みたいなものですし、社長である妖精女王ティターニアさんにはちゃんと事情を話しますよ」

 申し訳なさいっぱいで縮こまっている彼女をなだめて、一呼吸を置いて全てを話す決心をした。

「確かにさっき言われた通り、今日夢で見た人は私の祖母です。母方の方の。私の父は、私が産まれる前にどっか行って、母が女手一つで育ててくれました。ただ私が8歳の頃、母は入水自殺したんです。よく散歩で出かけていた家の近くの川で発見されたんです。現場の状況から自殺と判断されて……あんなにいつも笑顔で接してくれていた母は、内心一人で私を育てることに苦痛を覚えていたんでしょう。それからは母方の祖母の元で一緒に暮らしました。祖母は本当に良くしてくれて、こんな私を中学や高校にまで通わせてくれたんです。ただその祖母も、私が16歳の頃に病気で亡くなったんです。その後、親せきの引き取り手もいなかった私は、祖母が残してくれたお金とアルバイトで稼いだお金で、一人で生活してきました。高校卒業後は大学にも通って、就職して今に至るというわけです。父の顔も分からず、母は私が嫌になって死を選び、祖母は無理がたたって病気になり、一人になった私を親せきは誰も引き取ろうとはせず、16の頃からずっと一人で生きてきたんです。私は本当に……祖母に育てられた8年間しか、人の愛情を知らないんですよ。これが、私の全部です」

 私が必死で絞り出した言葉を真っすぐな目で見つめながら聞いていた彼女の目から、朝露の雫のように涙が流れてきた。

「っ!!―――だ、大丈夫ですかっ!?」

「あ、あらやだ、ごめんなさい……。貴女のその言葉を聞いてたら、涙が止まらなくて……」

 流れ続ける涙を見て慌てた私はハンカチを取り出し、妖精女王ティターニアさんに差し出した。

「ありがとうございます涼香リョーカさん……。私が涙を流しているのは、貴女のその残酷な運命に対して、そして貴女がお母様に対して誤解されているからだと思ったからです」

「ご、誤解―――?」

「はい。貴女の夢の中で見たお母様のお顔は、心の底からの笑顔でした。貴女の事を深く愛していたからこそ、出来る笑顔です。もし本当に貴女の事を愛しておらず育児放棄をしたいと思ったのでしたら、どこかの施設か貴女の祖母に預けて逃げるという選択肢もあったはずです。でもそれをしなかったということは、貴女の事を愛していて、そばにいたいと思っていたからですよ」

「そう、でしょうか……。私には、実の親に愛されていたという自信が持てないんです……」

「どうか、自信を持ってください。貴女の記憶の中で見たお母様は、貴女の事を深く愛していたはずです。確証というものはありませんが、わたくしにはそれが分かりますわ」

 彼女は真っすぐに、何の曇りもない澄んだ目で私を見てそう言った。確証もないのになぜこんなに強くはっきりと言えるのか不思議に思った。

 いや、多分一児の母と妖精の母で何か通じ合うものがあってこう言えるのだろう。子供を愛せない親はいない、そういう思いが根底にあるから、そう言えたのだろう。

涼香リョーカさん」

「は、はい?」

わたくしの―――娘になりませんか?」

「はいぃぃぃっ!!?」

 突然の発言に驚きを隠せなかった。異世界の社員になるっていうのでも驚いたのに、今度は娘と来たか―――。

「な、なんでまた……。何故、そこまで私に肩入れしてくるんですか?私が魔粒子マナに愛された人間だから?それとも、同情……ですか?」

「―――自分でも、はっきりとは分かりません。ただ、貴女の事が他人事のように思えなくて、どうしても一人にしておけないと思ったのです。だからこそわたくしは、貴女の傍にいたい、そう思ったのです。気に障ってしまいましたか……?」

「いいえ……。大丈夫ですよ。なんだろう。慣れたのか、今更突飛な発言されてもあまり驚かなくなりましたよ。妖精女王の娘なんて、私なんかでいいんですか?」

「うふふ、わたくしの目に狂いはありませんわ。貴女の名はいずれ、妖精女王の娘に相応しい立派な魔導士として、国中に知れ渡りますわ。社長ギルドマスターである妖精女王わたくしが【合格】と判断したのですもの、間違いありませんわ!それに、貴女と今後を共にすると、とても面白そうなことが起きそうな予感がしたのです。だからこそ、貴女を私の娘にしたい―――そう思ったのです♪」

 それを聞いて思わず笑ってしまった。

 やっぱり、この人はブレないな。自分が欲しいと思ったものや気に入ったものは手元に置いておきたい、何か面白そうだからという理由、本当に自由奔放な彼女らしい台詞だった。

「じゃあ、これからもよろしくお願いしますってことで―――母さん?」

「はい。此方こちらこそ、よろしくお願いいたしますね。涼香リョーカ


 こうして、何故か成り行きで社長兼私の新しい母となった妖精女王ティターニアとファミレスを後にし、私が住むアパートに戻った。

 本当に驚きの連続というか、何でもありというか、こんなこと現実で起きるのだろうか。正直信じられない。

 妖精女王の経営する会社に配属、おまけにその女王の養子になるって―――。三十路近くで他所よその養子になるなんてことあるのかな普通。

 まぁ、異世界の住人だからこそというか、妖精の女王だからこそあり得るのかな。

 様々な思いを抱きながら最後の荷造りをしていると、リビングでくつろいでる妖精女王ティターニアさんから声をかけられた。

涼香リョーカさん」

「ん?なんですか?というか、いいですよ涼香って呼び捨てで。私はあなたの部下であり、娘ってことになるんですし」

「そうですわね。ではそう呼ばせていただきますわね、涼香リョーカ。うふふ、声をかけたのは貴女にこれをプレゼントするためですわ。こちらにいらして下さいな」

「あ、はい―――」

 彼女に手招きされた私は荷造りの途中だが、それを置いて駆け寄った。

 彼女が水を掬うように掌を上に向けると、大きな水の球体が出来上がり、それが弾けた。

 すると、弾けた水の球体の中から緋色のウエストポーチのようなものが出てきた。

「あ、あの……これは?」

「うふふ、これは就職祝いです。母として、貴女にプレゼントいたしますわ」

 そう言って手渡されたウエストポーチは、近くで見ると本当に綺麗で神秘的な夕暮れ色をしていた。見た目もおしゃれで、機能性も良い感じだ。

 ベルトの長さは調節でき、何かの文字が刻まれている金色の楕円型バックルで腰に固定ができる。

 大きなポーチには蓋がついていた。蓋部分に2本のベルトがついていたがこれは飾りで、蓋の内側についているボタンで閉じることができるらしい。

 ポーチの右側には縦長のポケットが3つあり、それそれのポケットには空の試験管が入っていた。

 そしてポーチの左側には、小さめのナイフが2本のベルトで固定されていた。取り出してみると、刃は透き通った翠玉エメラルド色をしていた。蛍光灯の光に照らされた刃の部分が、まるで雫が落ちた水面のように揺れて輝いて見えて不思議だった。

「不思議でしょう?」

「え、えぇ……。こんなナイフ見たことがない―――」

「それは『人魚の涙』と言われる泉の中で取れた『夜鉱石やこうせき』で作られたナイフです。夜鉱石やこうせきは邪なものを遠ざける魔除けとしても使われます。薬草の採取や護身用に良いかと思いまして。空の試験管は、ご自身で薬を調合した際に入れられます。そして、このポーチは、物の大きさや量に関係なく様々なものが入れられます。依頼オーダーを受けて遠出する際に、荷物が重くなっては困るでしょう?」

「えっ……そ、それって、4次げ」

「と・に・か・くっ!色々なものが入れられる便利なウエストポーチです!ちなみにこのウエストポーチは、火竜サラマンダーの革と水馬ケルピーたてがみを混ぜて作られているので、火にも水にも強い優れものです。これから魔導士になる貴女にピッタリかと思いまして、こちらをプレゼントさせていただきました♪」

 ―――なんか無理やり言葉を遮られた気がした。

 でも、本当にいいのだろうか、こんな便利グッズをもらってしまって。

 躊躇ちゅうちょしていた私をよそに、妖精女王は何かに気づいた。

「あっ、そうですわ!もう1つ、貴女に贈り物があるのです。そのポーチの中に右手を入れてみてください」

 言われた通り、ポーチを開けて右手を入れてみたが、何もない。手探りをしてみたものの、やはり何もない。

 首をかしげていると、その光景を見て彼女は笑った。

「ふふっ、違いますよ。確かにその中に『あるもの』は入れましたが、貴女の呼びかけに答えない限り、それは出てきませんわ。私が入れたのは、『魔導士の杖の素』ですわ」

「杖の―――素?」

「ええ。魔導士が持つ杖は、その人の魂の形によって十人十色。匙のように小さければ、大杖のように大きいのもの、白馬のような清廉な白色の杖もあれば、闇夜のような漆黒の濡羽色の杖などもあります。その杖を形作るのが『魔導士の魂』と、妖精が住まう森にある『古代樹の枝の粉末』、即ち『魔導士の杖の素』ですわ。杖を作る際は、杖の持ち主となる魔導士が、杖の素に手をかざし、呪文を唱えて作るのです。では、わたくしの後に続いて唱えてみてください」

「あっ、はいっ!」

「では、いきますよ。―――遥かなる蒼」

「は、遥かなる蒼―――」

「彼方より出づる命の息吹」

「か、彼方より出づる、命の息吹―――」

「大地の脈動を感じ」

「大地の脈動を感じ―――」

「我が魂の呼びかけに答え給え」

「我が魂の呼びかけに、答え給え―――」

 するとポーチの中が輝きだして、私の掌が温かい光に包まれていることを感じた。

 ポーチから手を出すと、私の掌の中で輝いている光がどんどん杖の形になっていき、光が弾けると杖がその姿を現した。

 長さは大体20㎝くらいで、持ち手が太く、先端が細長いスタンダードな形だった。

 色は全体的に透明に近い白で、持ち手から先端に向かって浮き彫りの青い蔦模様が伸びていて、まるで雪原と凍った草木のようだった。

 そして持ち手の下の部分に、三日月をかたどったチャームが付いていた。

「あらまあ、とても綺麗な杖が出来上がりましたね♪」

「そ、そうですね。なんかびっくりして、どう言えばいいのか―――」

 確かに全体的に色や形も硝子ガラス細工のように綺麗だし、月のチャームも可愛らしくて嬉しかった。

 ただ―――これが私の魂の形で作られたのなら、この雪原みたいな色や三日月は、()()()()()()()()()()()や、寂しさでいっぱいの()()()()()()を現しているのだろうか。的を得ているからこそ、少し悲しくも感じた。

「大丈夫ですよ。貴女の欠けた部分は、いつか埋まりますわ。春が訪れる雪解けのように、貴女の心が照らされる日が来ますわ♪」

 私の顔を覗き込みながら、彼女は微笑みながらそう言った。

「あの―――むやみに人の心を読まないで下さいよ」

「読んではいませんよ?涼香リョーカの寂し気な顔を見れば、なんとなく分かりますわ」

 本当なんだろうか……。多分嘘はかない人だと思うから、本当なんだろうけれども。

 わ、私そんなに分かりやすい顔してたのか……。恥ずかしいな。

「―――あの、ありがとうございます。こんないいものをくれて。しかもポーチと杖の2つなんて……。ありがとう、母さん」

「いいのですよ。わたくしのちょっとした気持ちですから。大事にしてあげてくださいね?」

 こうして初めての就職祝いをもらった私は母さんに言われて、トートバッグにパンパンに詰め込もうとしていた本やゲーム機、私の貯金、スマホ、さっきもらった杖をウエストポーチに仕舞った。

 ちなみに取り出すときは『取り出したい物を思い浮かべると、その物の方から手に寄ってくる』らしい……。

 荷造りも終わり、退去の手続きも終わり、ここに特に思い残すことがないことを確認し終え、最後に大家さんにアパートの鍵を渡して、私が住んでいた家を出た。

「では、()()()()へ行く準備はよろしいですね?」

「もう準備は出来ましたよ。それに、もし何かあれば、またここに好きな時に来れるんでしょう?」

「ええ。移動魔法さえ使えれば、()()()()()()()()、自由に行き来ができます」

「なら、大丈夫ですよ」

「―――分かりました。では、わたくしの手を握って目を閉じてください」

 彼女はそう言いながら手を差し伸べてきた。

 私は言われた通り彼女の手を握って、目を閉じた。

 すると私たちの足元から風が吹き始め、それがどんどん強くなっていくことを感じ、ぎゅっと目を閉じた。


「―――さあ、着きましたよ涼香リョーカ。目を開けてください」

 彼女に促され、ゆっくりと目を開けた。

 最初に目の前に映ったのは、大きな湖だった。濁りもなく、底が見える湖で、青空が綺麗に反射していた。

 そして周りは大きな木々で囲まれていて、あちこちで妖精が飛んでいる。空に舞う光が、まるで夏の夜の蛍のように幻想的だった。

 以前社員旅行で屋久島の森に行った事を思い出した―――。この大自然の神秘的で幻想的な風景は、まさにそれを彷彿とさせるようだった。

「綺麗……」

 思わずそう呟いてしまった私を見て、妖精女王は驚いた。

「―――っ!あらあらまあまあ!涼香リョーカ、水面に映る自分の姿を見てごらんなさい♪」

「は、はぁ……」

 訳が分からず、言われるがまま目の前にある湖に近づき、反射した自分を確認した。

「―――な、なんじゃこれぇぇぇ!?」

 そこに写ったのは、()()()()()()()()()()()()姿()だった。

 顔立ちや髪の長さ、体つきや背丈は変わらないが、それ以外は殆ど違った。

 まず、さっきまでかけていた私の黒縁メガネがいつの間にか消えていた。

 しかし、裸眼でもしっかりと周りの風景が見える。寧ろ、眼鏡をかけていた頃よりはっきり見える。

 そして、ショートボブの黒髪が薄い水色に変わり、黄色おうしょくの肌が滑らかな絹のように白くなり、焦げ茶色の瞳が深海のように深い青色に変わっていた。

「あ、あわわわわわ……な、なんですかこれっ!?どうなってんのこれっ!?これ本当に私っ!?」

「大丈夫ですよ落ち着いてください。()()()()の世界から()()()()に来る方々は、大抵髪色や目の色が変わるのです。こちら側の方が魔粒子マナの濃度が濃くて、それに影響しての事ですから心配いりませんわ」

「そ、そういうもんなんですか……?」

「はい。貴女は特に魔粒子マナに愛されていますから、よほど影響を受けやすいのでしょうね。―――それに、その目の色になったということは、()()()()()()()()()()というあかしですわ」

「あ、あの方……?」

「うふふ、いずれ会うことになりますわ。その時にまた、教えて差し上げます。それより涼香リョーカ、後ろをごらんなさい。きっと驚きますわ♪」

「う、後ろ?」

 そう言われてゆっくり後ろを振り返った。

 今の今まで全然気づかなかった、自分の後ろに予想を超える大きさの大木が生えていることを―――。

「で、でか~……。」

 唖然とした。大木なんてもんじゃない、バオバブの木よりも幹が太いし高い。こんな木、実在するんだ―――。

「ここが、貴女がこれから勤めることとなる会社ギルドですわ」

「ぎ、ギルドっ!!?」

 確かによく見れば、木の根っこ部分に観音開きになっている大きな扉がついている。

 おまけに上を見上げれば、枝分かれしている木の部分に、小屋のようなものがいくつも建っていることに気づいた。

 こんな大木も見たことがないけど、こんな規格外のツリーハウスも見たことがないわ。

「あの扉が会社ギルドの入り口で、上の方が社員の個室になっていますわ。そしてこの木の下には、地下に造られた会社ギルド専用の銀行があります。詳細は、後程ご説明いたしますわ。もう小説の文字が長くなりすぎて、皆さん飽きている頃でしょうし」

「メタ発言だなぁ、おい」

「まあそれはともかく、このツリーハウスが貴女の新しい会社ギルドであり家となります。そして貴女は、新入社員『リョーカ』として、ここで社員メンバーたちと共に過ごし、切磋琢磨し合い、様々な苦難を乗り越えていっていただければと思います。では、改めて―――。新入社員リョーカ、ようこそー!我がギルド神秘の森(アルカナ・シルウァ)】へっ!」

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