1-06
――昔むかし。今から七百年前のこと。
このあたりがひとつの王国だったころの話だ。
やさしい王様のおかげで人々は平和に暮らしていた。
ある日、遠い西の地に竜が生まれた。その竜ってのが本当にもう強くて乱暴で、根っからの悪者だった。そこらじゅうで暴れまくっては、人や獣を手当たりしだいに殺して、その魂を捕らえて喰らい尽くしていったんだ。
人の住む村や町を見つけては襲い、竜の通ったところは街も森も焼け野原になった。そしてついにその国の都にも竜がやってきた。
王様にはかわいい姫君がいた。強欲な竜はその姫君をよこせと王様に迫った。
激怒した王様は竜を討伐せんがために勇者を募り、兵を挙げて戦いを挑んだ。だけど、王様は戦いに敗れてしまった。
このままではかわいい姫君を竜に奪われてしまう。困り果てた王様は森に棲む魔導士に助けを求めた。王様の願いを聞き入れた森の魔導士は、自分の二人の弟子を遣わした。
この二人は双子の姉妹だった。師の命を受けた二人は竜を討伐するため立ち上がった。
これが後の世に伝説となって語り継がれることになる。
竜と魔導士の物語だ――
ここでティノは一旦話を止めた。
「なんだかこの話、お母さんが聞かせてくれたことあるかも」
「このあたりではわりと有名な昔話だからなぁ」
「うん、悪い竜を退治した魔導士さまの話だよね。でもそれってお伽噺だよ?」
「確かにお伽噺もあるけど、それは大昔にあった実話を元に作られてんだ。
俺のお話は、実話のほう。本当にあったことなんだよ」
「ほんとに」
「ああ」ティノはソルフィスの方をちらりと見た。
彼女は両膝を手で抱えて、そっぽを向いている。
「それじゃティノさんって、その竜に呪われちゃったの? 退治されたんじゃないの?」
「まぁまぁ、そうあせんな。お話を続けよう」
――二人の魔導士は竜を退治すべく、火山へと向かい、そこで竜と戦った。
二人ともそれはもうめっぽう強かった。激闘の末に、ついに竜を倒した。
ところが、それで終わりじゃあなかった。倒したはずの竜は死んではいなかったんだ。
竜の肉体を滅ぼしても、その邪悪な魂がこの世に残って荒ぶり続けるんだ。
これはマズい。こいつを放っておくと世界の災厄の元凶になる。そう考えた二人は秘術をもって竜の魂を魔法の宝玉の中に封じ込めたんだ。
でも、竜の暴れっぷりは半端なかった。宝玉の中に閉じ込めただけじゃあまだ足りなかった。
竜が暴れてそこから逃げ出してしまわないうちに、二人は竜が絶対に逃げ出さないように、最後の手段にでた。
それは、自らの体もろとも竜と一緒に縛りつけて封印をかけるという、壮絶なものだった。
こうして、その魔導士姉妹の犠牲によって、竜は永遠に眠りにつくことになった――
語り終えると、黒猫は思いのほか上手く纏められたことが嬉しかったのか、シッポをぴこぴこと動かしていた。
「それって本当の話なの?」
「本当だよ。なぁ、ソルフィス先生?」
「むむむ……知らないっ。そんなの覚えてないもん」
再び水を向けられたソルフィスは頬をふくらませてそっぽを向いてしまった。
二人のやりとりを不思議に思いながらも、コリンは肝心なことを訊ねた。
「それで、ティノさんはなんで猫になっちゃったの?」
「おぅ、そうだった」
黒猫はさらに興奮してきて、前肢と尻尾をパタパタと動かしながら話に熱がこもった。
「それでさ、その竜の終焉の場所ってのが、今でもこの地方の秘密の遺跡となって残ってたわけよ」
ティノはさらに物語の続きを簡単に話した。
邪悪な竜と、英雄の魔導士姉妹が最期をむかえた地で、後の人々はそこに神殿を建立して祀った。アゼル魔導学院はその遺跡を護る役割を果たしてきたという。
「それでね、学院の書庫を漁ると、その竜の伝説についての文献が残ってたんだ。それをこっそり調べたら、その秘密の遺跡の場所が分かったのよ。それで俺、気になっちゃって」
ティノは遺跡に忍び込んだらしい。
コリンは話の先が見えたような気がして嫌な予感しかしない。もはや怪談話の域だ。
「なんだかお約束みたいだけど、俺そこでヤバイもん見つけちゃってさあ……。その竜の封印、解いちゃったんだよね」
「うわあ」
黒猫はカラカラと笑いながら楽しそうに話した。
「ダメ! ダメだよ、ティノさん! 竜が復活しちゃったら、また悪さするんじゃないの。どうするの、ティノさん!? ダメでしょ、封印解いちゃったら!」
血相変えてあわてるコリンをティノは肢を振ってなだめた。
「心配すんな、その竜の魂は、この俺さまが食っちゃったからな」
「ええええっ、食べちゃった!?」
「そそ、俺が食った。そのせいで竜の呪いも食らっちゃって、この姿ってわけなのさ」
そんなわけで、竜はもう悪さできやしないから、などとティノは笑いながら言うのだった。
この話が本当なのか冗談なのか。考えあぐねて呆気にとられるコリンだったが、でも、言葉をしゃべる黒猫は実際にコリンの目の前にいるのだ。
「大丈夫だって。いざってときは伝説の魔導士さまもいるしな」
「伝説の魔導士さま? それって、竜を倒した二人の魔導士さまのこと?」
「うん。竜の魂が復活したってことは、それをずっとそばで眠りながら見張ってた彼女たちも目覚めたわけだ。それで竜が悪さをしないように、いつもそばで見張っているのさ。
な、ソルフィス先生?」
そう言ってティノはソルフィスに向かって、ぱちっと片目を閉じてみせた。
「ティノ、笑い事じゃないんだからね! わたし心配なんだから……」
黙って聞いていたソルフィスが横から睨んできた。
「アハハ、ごめんごめん。まぁ、そういうわけなのさ、コリン。これで俺の話は終わり」
コリンはため息をつきながらソルフィスとティノを交互に見比べた。
今の話と二人のやりとりで、ようやく何かが見えたような気がした。
「まさか……まさか、そのお話の魔導士さまって、ソルフィスお姉ちゃん、だったりして?」
ティノはまた嬉々として前肢をあげた。
「するどい! いいねェ、コリン。お前さん、するどいよォ」
「えぇー! ほんとにほんとに!?」
「こらっ、ティノ、もういいでしょ。コリン、そんな与太話、真に受けなくていいからね」
ソルフィスは必死で諌めるが、その気になってしまったコリンは取り合おうとしない。
「それじゃあ、それじゃあね、ソルフィスお姉ちゃんには、姉妹がいたりするの?」
「もちろん居るよ。コイツそっくりの双子の妹が」
「もーっ、ティノ! このおしゃべり者っ!」
ティノが調子にのって何でもかんでも口走るのでソルフィスは黒猫の背中をつかみあげた。
「にゃにゃにゃ! いいじゃねーかこんくらい。減るもんじゃなし」
「変なコト吹き込んで、関係ない人を巻き込むなっていってんの!」
「ふなー、暴力反対!」
バタバタと暴れる黒猫の仕草があまりにかわいいのでそれ以上は手が出せず、ソルフィスは頬を赤くしてぷるぷる震えていた。
そんなソルフィスをコリンは目を輝かせて見つめている。
空から舞い降りてきた天使のような少女。彼女は失われた古代の魔法〝飛翔術〟の使い手。そして遠い過去の世界からやってきた伝説の魔導士さまなのだ。
コリンは確信した。
この人こそ、僕を導いてくれる素晴らしい人に違いないんだ!
唐突にコリンは神妙な顔つきになって訊ねた。
「ティノさん、ソルフィスお姉ちゃん。お願いがあります」
「む?」
「なんだなんだ?」
コリンは姿勢を正した。
「僕に魔術を教えてください」
「ぬぬぬ?」
ソルフィスとティノは顔を見合わせた。
「そりゃあ無理だよ」
思いのほかバッサリと両断された。
「ええーっ、どうして!?」
愕然としたコリンはまだまだ諦めきれず、ティノとソルフィスに詰め寄った。
「俺達の使う魔術は、手ほどきを受けることで身に付くような単純なモンじゃあないよ」
ティノは魔導学院で教えられた講釈をそのまま口にした。
「持って生まれた才能と、育った環境。そして何よりも、こうありたいという強い願望、あるいは意志。そういった本能に近い原始的な力が、魔力の根源なのさ。これは人に教わって身に付くもんじゃあない。その力が幼いうちから備わっていれば、然るべき時に発現する。要するに素質がないとダメってことさ」
「それじゃ、どうすれば素質を身につけることができるの? 僕も空を飛びたい。あの小さくて寒くて冷たい村を飛び出して、もっと遠くの、外のいろんな世界を見て回りたいんだ」
「うーん、困ったな」
ティノはちょっとうんざりした顔をしたが、ソルフィスはじっとコリンの瞳を見つめている。彼女は額に手を当ててしばらくの間なにかを考えていたが、
「よしっ」
とうなずくと、少年の肩を力強く叩いた。
「コリン、学院で修行するか」
「なんですと?」
黒猫が目を剥いた。
「いいの!?」
コリンは目を輝かせた。
「うん。わたしが推薦する」
「やったー!」
勝手に話を進めようとするソルフィスにすかさずティノが割って入った。
「オイ、今話した通りだろ。素質がないとダメなんだって! それに適性者の発掘は上級魔導士以上の管轄だぜ。修練生のいうことなんて相手にされるわけねーって。
つーか、お前、そんな鑑定眼持ってないじゃん」
「大丈夫だよ。この地の生まれなら誰でも少しは素質持ってるでしょ。あとは本人の頑張り次第。それとねティノ、鑑定は今キミがしてちょうだい。あとはわたしが何とかするから」
まただ。
また始まったよ。こいつのお節介が。
こうなってしまうと、もう誰にも彼女を止められない。
誰にでも分け隔てなく接し、厄介事にも怯まずに首を突っ込む性格は、ソルフィスの生得のものかもしれない。それは彼女の魅力であり、弱点ともなりうるのだが……。
しかし彼女のそういう人柄をティノは好きだったし、おかげで退屈しない毎日を過ごせていることには、ひそかに感謝していた。
ティノはため息をついて観念した。
「しょうがねえな……。コリン、こっち向け」
二人は向き合って座りなおし、黒猫は少年の素質を見極めんと、その瞳を見据えた。
「ウ~ン」
ときどき黒猫が首を傾げると、コリンも同じように傾ける。
「魔力が無いわけじゃないな。俺がいうのもなんだけど……。芽が出るのは五分といったところかなぁ。でもよぉ~、俺の得意分野は探索とか感知とか、そんなんだからな。こんな占い師みたいなマネなんてまるで自信ないからな。信用してくれても困るぜ」
「だいじょうぶ、わたしが保証する」
ソルフィスは鷹揚にうなずいて、あとは任せなさい、と胸を張った。
「なにが大丈夫だよ、適当だなオメェは……」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
アゼル魔導学院では、才能ある未来の魔導士の発掘を積極的に行っている。
毎年アゼルの魔導士達は各地を回り、6~8歳頃の子供を持つ家庭を訪問して、才能豊かな子供を見出しては、魔導士への道に誘う。孤児達の養育と教育支援も行っており、その中から素質の見込める者は魔導学院への入門を勧められた。
魔導士とは魔術と学問を修めた知識階級のエリートであり、さらには武芸の修練を積んだ戦士でもあった。それで社会的地位を得られるわけではないが、魔導士の称号を持つことは能力を持つ者として、民衆から畏敬の念を抱かれる存在として名誉なことではあった。
「先に、親御さんに承諾をもらう必要があるけど、そこは大丈夫なの?」
「うん! 家に母さんがいるんだ。母さんならきっと分かってくれる」
ソルフィスの問いにコリンは元気よく答えた。
そんなにうまくいくもんかな。ティノは鼻をならした。それよりもティノは、彼を診たときから感じる奇妙な感覚について、この時はまだよく分からなかったが、出会ったときからこのコリンという少年が放つ不思議な雰囲気が気になっていた。
「それじゃあ、キミの家に行こっか」
荷物を手早く片付け、三人は出発の準備に取り掛かった。
ソルフィスは短い丈のマントを羽織り、飛翔彗を手に取った。
いいこと思いついた、とソルフィスが少年に振り返った。
「ねぇ……その前に、コリン。今日は時間まだある?」
いたずらっぽく微笑むソルフィスに、コリンは不思議そうに首をかしげた。