多次元閲覧室(書下ろし)
番外編、約3000字です。
SFショート・ショート。
雑居ビルのなかにある喫茶店のとなりに、その閲覧室はあった。
少々古風な扉だけがあり、窓は一切ない胡散臭い部屋だった。ふつうなら間違えて入ったりはしないのだろうが、私は自身の悪癖のため、うっかり入室してしまった。
私は活字中毒で、しばしば本を読みながら歩く癖があった。
おおよその感覚で周囲を把握し、おおよその見当で部屋に飛びこむ。大学でもしばしば研究室を間違え、そのせいで隣の教授には嫌われている。まったくもって、困ったものなのだが、こればかりはどうにもならなかった。なにか読んでいないと落ち着かないのだ。
しかし、いくら活字中毒とはいえ、間違えて入った部屋に居続けるわけにはいかない。いつもと違う空気を感じた私は、読みかけの本から顔をあげ、周囲のようすをうかがった。
そこは本当に、不思議な部屋だった。
窓ひとつない部屋であるにもかかわらず、なかはとても明るかった。入ってすぐのところに受付があり、メイド服を着た少女がにこやかに微笑んでいる。受付の奥には小さな机とイスが一セットだけ置かれ、さらにその奥には天井まで伸びた書棚がいくつもならんでいた。
「お待ちしておりました。先生」
少女がうれしそうな声で、私にいった。
「きみは、私のことを知っているのかい?」
不思議に思い、私は少女にたずねた。少女は「もちろんです」と答え、受付の奥にあるイスにおかけくださいとうながしてきた。
「私は喫茶店に行く途中なんだ」
「お茶でしたら、こちらでもお出しします」
「いや、しかし……」
なにかうまい断り文句はないものかと口をパクパクしていると、少女の人差し指が私の口をさえぎった。そして、そのまま小さなイスに座らされた。私は少しでも流れに抵抗しようと、質問した。
「ここはなんなんだ? 一体、きみはなんなんだ?」
「ここは多次元閲覧室です。そしてわたしは管理人です」
「たじげんえつらんしつ?」
「ここは過去に起こった出来事から未来で起こる出来事まで、すべての事象について記述した資料を保管している閲覧室です」
「過去から未来だって? まるでアカシック・レコードじゃないか」
「まるで、ではなくアカシック・レコードそのものです」
少女は微笑んだままだった。困った。実に困った。新手の宗教だろうか……。
私は、めまいを覚えながらも、さらに質問してみた。
「本当にアカシック・レコードが存在するとしたら、こんな雑居ビルの一室にはおさまらないと思うがね」
「この空間は、次元の閲覧委員にあわせて調整してあります。目に見える物量はあくまで、この次元内の人間の認識に支障がでないよう配慮しているのです。と、申しますか、目の前の書棚は把握しやすいよう先生のために一部を具現化しているにすぎません」
「私のために具現化している?」
「先生は、活字中毒でいらっしゃるので、このようにしたほうがよろしいかと思いまして」
頭のなかがぐらぐらしてきた。
「どうして、私がここにある本を読まなきゃならんのだ?」
「それは、アカシック・レコードにそう記されているからです」
少女は書棚から一冊の本を取り出すと、机の上に置いた。彼女は手慣れた様子でページをひらき、そっとある行をゆびさした。
“T大教授、米山薫氏が多次元閲覧室の閲覧を始める”
ヘタな手品か。こんなもの誰が信じるというんだ。
私は冷笑しながら、無意識にその前後の行にも目を走らせ、息をのんだ。
“「お待ちしておりました。先生」
閲覧室管理人はうれしそうな声で、米山薫に呼びかける。
「きみは、私のことを知っているのかい?」
不思議そうな面持ちで、米山は管理人にたずねる。
管理人は「もちろんです」と答え、受付の奥にあるイスをすすめる。
「私は喫茶店に行く途中なんだ」
「お茶でしたら、こちらでもお出しします」
「いや、しかし……」”
さきほどのやりとりが、事細かに記されていた。
そして、これから起こることも……。
“米山は信じられないといった顔つきで次々に資料を閲覧していった。
ありとあらゆるテーマに分かれた資料を読み漁り、その記述の精度の高さに一々驚いた。
だが、米山はアカシック・レコードの存在を素直に受け入れられなかった。
米山は半日、閲覧室で時間を費やし、結論を出すことができないまま、家路についた。
そして翌日、午後一番に閲覧室にあらわれ、閲覧を再開するのだった。
以降、50年間、彼は仕事の合間を縫い閲覧を続ける。”
私は驚愕し、少女を見た。
少女は、静かに微笑んでいた。
――50年後。
「やあ。こんにちは」
私はいつもと変わらない口調で、少女に挨拶をした。いまや白髪で腰の曲がった老人となった私だが、彼女は50年前と変わらない姿のままだった。
「……お待ちしていました」
少女はいつになくうかない表情で、私を小さな閲覧席に誘導すると、今日読む分の本を持ってきてくれた。私は少年のように胸を躍らせ、古代エジプトの歴史を閲覧しはじめた。我々が逆立ちしても知りえない事実がそこには当たり前のように記述されており、私の知的好奇心はつねに満たされた。
今日読むはずだったぶんの資料を閲覧し終え、私は老眼鏡を胸ポケットにしまった。
「ひとつ、聞いてもいいかい?」
「はい」
少女は小さくうなずいた。
「私はなぜ、アカシック・レコードを閲覧するのだろう?」
自分の行動を少女に聞くのは、本来おかしい。それは十分承知している。承知したうえで私はたずねた。なぜ、アカシック・レコードに私の閲覧が記述されているのか。
「記録は人に知られるために存在しています。どんなに膨大で、一人の人間では閲覧しきれなくとも、記録はやはり、知られるために存在しているのです」
「たとえ、アカシック・レコードであったとしても?」
「はい」
「なるほど、よくわかったよ」
私は満足げにうなずき席を立った。少女から上着と杖を受け取ると出口に向かい、50年前を思い出し、書かれていた通りに、こういった。
「では、また、明日――ああ、明日はないんだったね。今日までありがとう。さようなら」
私はすでに〝私自身の出来事“を閲覧していた。このあと自宅で死亡することも、少女が泣いて謝ることも、すべて知っていた。少女はこれから〝私自身の出来事”を読ませてしまったことを深く後悔するのだ。当時は確かに大きなショックをうけたが、正直、そんなことはすぐにどうでもよくなった。
世界を知り、真理を垣間見たのだから。
私はこれから大泣きするであろう少女にハンカチを渡し、私について書かれた最後の一文を諳んじた。
「“T大名誉教授、米山薫氏。享年95歳。彼は多次元閲覧室の意味を理解し、50年間に渡り閲覧を行った。閲覧室の意味を理解し、これほど長期にわたって閲覧を続けた人間は、後にも先にも彼のみである”」
私はこの一文を誇りに思っている。
だから、笑顔で閲覧室をあとにした。




