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第70話:プレゼント大作戦

 リビングのダイニングテーブルの上に、その「猫」は鎮座していた。

 かつては軽かったプラスチック製の白色の猫型貯金箱は、今や持ち上げると思わず「おっ」と声が出るほどの重量感を誇っていた。


 中に入っているのは全て百円硬貨。


 マシロがここ数週間、涙ぐましい努力——洗濯物を団子にし、掃除機に尻尾を吸われ、キッチンを泡の海に沈めるという数々の破壊活動(本人曰く「家事手伝い」)——の末に、奏から受け取った労働の対価である。


 奏の仕事を増やした分だけ猫は重くなった。それはある意味、奏の疲労と忍耐の結晶とも言えた。


「くるみお姉ちゃん! みて! お金、こんなに貯まった!」


 マシロは貯金箱を両手で抱え上げ、今日遊びに来た共犯者――戌井くるみに向かって鼻息荒く報告した。

 オッドアイがキラキラと輝いている。


「すごい! ずっしり重いね。これなら素敵なプレゼントが買えるよ」


 くるみはマシロの頭を撫でながら壁のカレンダーに目をやった。

 今日の日付には、赤い丸印がついている。一ノ瀬奏の誕生日だ。


「よし! じゃあマシロちゃん。極秘任務(お買い物)に出発しようか!」


「うん! 出発!」


 二人は顔を見合わせて頷き合った。


 時刻は午前十時――今日の主役である奏は「急な打ち合わせが入った」と言って朝から出かけている。もちろん、それは嘘だ。マシロたちがコソコソと何かを企んでいることを察知した奏が、あえて家を空けてくれたのだ。


 すべては、この「サプライズ」のために。


 ☆


 マシロの変装は板についていた。

 目深に被ったニット帽で特徴的な猫耳を隠し、大きなサングラスでオッドアイを覆う。


 そして何より重要なのがダボッとしたデニムのサロペット。この中に太くて長い尻尾を収納している。お尻周りが少し不自然にモコモコしているが、「そういうファッション」だと言い張れば通るレベルで収まっている。


 二人はタクシー(懇意にしている山田さん)に乗り込み、少し離れた街の大型ショッピングモールへと向かった。


 自動ドアを抜けるとそこには眩しい世界が広がっていた。


 高い天井、煌びやかな照明、行き交う人々、そして無数のお店。

 これまで奏やくるみに連れられて来たことはあったが「自分のお財布(貯金箱)」を持って「自分の足」で買い物に来たのは初めての経験だ。


「わぁ⋯⋯! お店がいっぱい!」


 マシロはサングラス越しに周囲を見回し、興奮で鼻を鳴らした。

 サロペットの中の尻尾が激しく揺れ、お尻の布地が波打っている。


「マシロちゃん、はぐれないように手をつなごうね」


「うん!」


 くるみに手を引かれ、マシロは勇ましくモールの中へと進軍した。

 目指すは、お洒落な雑貨屋だ。


 ☆


 雑貨屋の棚には可愛らしい小物や実用的なグッズが所狭しと並んでいた。

 マシロはその端から端までを、まるで獲物を狙う狩人のような真剣な眼差しで検分していく。


「タナデ、なにがすきかなぁ⋯⋯」


 マシロは悩み抜いていた。

 自分の欲しいもの(ツナマヨやお菓子)なら即決できる。だが誰かのために物を選ぶというのは、こんなにも難しく、そしてワクワクすることなのか。


「これ、どうかな!?」


 マシロが指差したのはスイッチを入れると七色に激しく点滅する、謎の深海魚のオブジェだった。


「う、うーん⋯⋯それはちょっと、奏さんの部屋のインテリアには合わないかも⋯⋯? 奏さん、目がチカチカするの苦手そうだし」


 くるみが苦笑いでやんわりと却下する。


「じゃあ、これは?」


 次に持ってきたのは巨大な「鮭の切り身」の形をしたクッションだ。明らかにマシロの趣味である。


「あはは、可愛いけどね。マシロちゃんが使うならいいけど、奏さんが使うかなぁ?」


「むぅ⋯⋯タナデ、むずかしい」


 マシロは腕組みをして唸った。


 タナデが毎日使うもの。タナデが喜んでくれるもの。タナデに似合うもの。


 マシロは記憶の中の奏を思い浮かべた。

 パソコンに向かう真剣な横顔。コーヒーを飲む時の少し疲れた表情。そして何よりピアノを弾いている時の、あの優しくて美しい指先。


 ふと、マシロの視線がある一点で止まった。


「⋯⋯あ!」


 マシロはその棚に駆け寄り、一つの商品を手に取った。

 それは白と黒のシンプルなデザインのマグカップだった。

 取っ手の部分がト音記号の形になっていて、カップの周りにはピアノの鍵盤の柄が描かれている。


「これ! これがいい!」


 マシロは確信を持って振り返った。


「タナデ、ピアノひくから。これなら、お仕事しながらコーヒー飲める!」


 くるみはその選択を見て優しく微笑んだ。

 決して高価なブランド物ではない。子供のお小遣いで買える範囲の、ありふれた雑貨だ。

 けれど、そこには「奏さんのことを一番に考えた」という理由がある。


「うん、すごくいいと思う。奏さん、絶対喜ぶよ」


「あと、これを包む紙とリボンも!」


 マシロはプレゼント用の包装紙と可愛いマスキングテープもカゴに入れた。

 いざ、レジへ。


 ☆


 レジカウンターは少し高かったが、成長したマシロには何も問題はなかった。

 マシロは堂々とカウンターの上に買い物カゴと重たい猫の貯金箱を「どん!」と置いた。


「これ、ください!」


 店員のお姉さんが驚いたように貯金箱を見た。マシロは得意げに貯金箱の底の蓋を回して開ける。


 ジャララララ⋯⋯!


 百円玉の雪崩が起き、レジのコイントレーに山盛りの銀貨が溢れ出した。


「これで、たりますか?」


 マシロはサングラスの奥から、不安そうに上目遣いで尋ねた。

 店員のお姉さんは一瞬目を丸くしたが、すぐに状況を察して、とても温かい笑顔になった。


「はい、数えますね。⋯⋯うん、足りますよ。マシロちゃん、偉いね。自分のお金で買うの?」


「うん! お仕事して、貯めたの!」


 店員さんに名前がバレていることなど気にもせず、マシロは胸を張った。

 サロペットの中のお尻が、嬉しさのあまりモコモコと激しく動いているのが、後ろから見ているくるみには丸わかりだった。


 無事に会計を済ませ商品を受け取ったマシロは、店を出た瞬間「やったぁ!」と小さくガッツポーズをした。


 自分の力で稼いで、自分の足で選んで、自分の手で買った。

 その事実がマシロを少しだけ大人にした気がした。


 その後、二人はカフェの隅の席を借りて包装作業に取り掛かる。


「お店の人に包んでもらうこともできたけど、やっぱり自分で包みたいもんね?」


「うん! マシロがやる!」


 マシロは包装紙を広げるとマグカップの箱を置いたが、これは予想以上に難関だった。

 紙が余ったり、足りなかったり。テープが指にくっついて取れなくなったり、変なところに張り付いてしまったり。


「あわわ⋯⋯紙さんが、ぐしゃってなった⋯⋯」


「大丈夫、ゆっくりでいいよ。私が押さえててあげるから」


 くるみのサポートを受けながら、マシロは悪戦苦闘して包装する。

 

 綺麗な「デパート包み」なんて到底不可能でテープは何重にも巻かれ、折り目はガタガタ、所々紙が破れかけている。

 客観的に見れば「ぐちゃぐちゃの包装」⋯⋯それでも、マシロは満足そうに頷いた。


「できた! マシロのプレゼント!」


 その不器用な包み紙にはマシロの指紋と体温と一生懸命な心がたっぷりと染み込んでいるから。


 ☆


 夕方――空が茜色に染まる頃、奏がマンションに帰宅した。


 玄関を開けると家の中は真っ暗で、しんと静まり返っている。


「⋯⋯ただいまー」


 奏は靴を脱ぎ、リビングへと向かう廊下を歩いた。


 今日の「仕事」は、マシロたちが留守の間に終わらせるべき事務作業をカフェで片付けていただけ。

 彼女たちが何を企んでいるのは百も承知だが、どんなサプライズが待っているのか、内心少しだけドキドキしていた。


「マシロー? くるみさん?」


 リビングのドアを開ける――暗闇の中、奏が壁のスイッチに手を伸ばしパチンと電気をつけた。


 その瞬間――パンッ!


 可愛いクラッカーの音が響き、色とりどりの紙テープが宙を舞った。


「タナデ! お誕生日、おめでとう!!」


 ソファの陰からマシロが飛び出してきた。

 ニット帽もサングラスも外し、いつもの猫耳と銀髪を揺らしている。

 その後ろで、くるみがニコニコと拍手をしている。


「お帰りなさい、奏さん。主役の登場ですね」


「⋯⋯わぁびっくりした! ただいま。驚いたよ」


 奏はわざとらしく驚いてみせたが、目元はすでに緩んでいた。

 マシロは奏の前に駆け寄り、背中に隠していた「何か」を差し出した。


「これ! タナデに、プレゼント!」


 差し出されたのはリボンが結ばれた不格好な小さな包みと猫柄の封筒に入った一通の手紙だった。

 包み紙はテープだらけで角が潰れていて、まるで爆発した折り紙のよう。

 でもそれが奏にはそれが何よりも輝いて見えた。


 毛だらけでくしゃくしゃになった服、掃除機に吸われた尻尾、泡まみれになったキッチン。

 その全ての苦労と時間がこの小さな塊に凝縮されているのだ。


 奏は軽く屈んでマシロに視線を合わせると震える手でそれを受け取った。


「⋯⋯ありがとう。開けてもいいか?」


「うん! あけて!」


 奏はリボンをほどき、包装紙を破かぬよう丁寧に慎重にはずして中をあらためる。

 出てきたのは白と黒の箱――蓋を開けると鍵盤柄のマグカップが顔を出した。


「⋯⋯マグカップか」


「タナデ、ピアノ引くから! おそろい!」


「そうか。ピアノの柄か⋯⋯。ああ、すごくいいよ。丁度、新しいのが欲しかったんだ」


 カップ棚にはマグカップが溢れているが、今日からこれ以外を使うつもりは毛頭なかった。


「後ね、タナデにお手紙書いた!」


 マシロが指差したのは、マグカップと一緒に渡された封筒だ。

 奏はマグカップをテーブルに置き、封筒を持ち直す。

 あの夜、マシロが何時間もかけて真っ黒なノートと格闘しながら書き上げた手紙だ。


 奏は封を開き、中の便箋を取り出した。

 そこにはマシロが練習した通りの、たどたどしいけれど力強い、ひらがなだけの文字が並んでいた。



『たなでへ。

 まいにち ありがとう。

 まいにち おいしいごはん ありがとう。

 まいにち いっしょにいてくれて ありがとう。

 ましろは たなでのとなりが いちばんすきです。

 ましろは たなでが だいすき です

 ずーと ずーと いっしょだよ

 おたんじょうび おめでとう。

 ましろより』


 奏の視線が文字の上で止まった。

 何度も何度も、その短い文章をなぞった。


 雨の路地裏。

 震えていた子猫。

 初めて名前を呼んだ日。

 初めて歌った日。

 背が伸びて、言葉を覚えて、自分で考えて、自分で稼いで。

 そして今、こんなにも温かい言葉をくれるようになった。


 孤独だった奏の人生に、マシロという光が差し込んだ日々の記憶が、走馬灯のように駆け巡る。


 奏は数秒間、便箋を見つめたまま動かなくなった。

 息をするのも忘れていた。

 視界が歪みそうになるのを、必死にこらえた。


 奏はゆっくりと手紙を折り畳み、それを自分のシャツの左胸のポケット――心臓に一番近い場所へ、大切にしまった。


「⋯⋯ありがとう」


 絞り出した声は、なんとか平静を装っていた。

 つもりだった。

 しかし、マグカップを握り直した奏の手は、隠しようもなく小刻みに震えていた。


 マシロが不思議そうに、奏の顔を下から覗き込んだ。


「タナデ、泣いてるの?」


「⋯⋯泣いてない」


 奏は即答した。顔を背け、天井の方を見る。


「目が、うるうるしてるよ? お水たまってる」


「光の加減だ。リビングの電気が明るすぎるんだ」


「涙、でそうだよ?」


「目にゴミが入っただけだ。ほら、埃っぽいだろう」


 絶対に認めようとしない奏の不器用な強がりに、後ろで見ていたくるみが「ぶっ」と吹き出し、堪えきれずに温かい笑い声を上げた。


 その笑い声につられて、マシロも「えへへ」と笑った。


 奏は観念したように息を吐き、目の前のマシロを力強く抱き寄せた。

 温かい体温――これが、私の家族だ。


「⋯⋯私が生きてきた中で、最高の誕生日だよ。ありがとうマシロ」


 奏の震える声はマシロの耳元で優しく響いた。

 マシロは嬉しそうに奏の背中に腕を回し、尻尾をパタパタと揺らした。


「よかったね、タナデ! 来年も、再来年も、ずーっとお祝いしてあげるからね!」


 その約束はどんな高価な宝石よりも、奏にとっては価値のある宝物だった。


 ☆


 翌日――大人気Vtuber『ワンダ・バウ』の中の人、戌井くるみの公式SNSアカウントにて、一つの謎めいたツイートが投下された。


『昨日、プライベートで号泣するモンタナ先生(狂犬)を目撃しました。

 理由は言えません。ただ言えるのはこの世の「てぇてぇ」を煮詰めた空間がそこにあったということです。

 現場からは以上です。

(添付画像:鍵盤柄のマグカップとそれを握りしめる震える手の写真)』


 このツイートは瞬く間に拡散され、ネット掲示板とSNSは大騒ぎになった。



『あの狂犬を泣かせただと!?』

『マシロちゃん何したの!? 絶対いいことしたんだろ!』

『詳細を教えろ事務所の犬!!』

『子供が買ったみたいなマグカップと一ノ瀬奏の生年月日⋯⋯これはつまり!』

『俺は察したぞ。泣いた』

『尊死現場の目撃証言たすかる』

『モンタナ先生、アンチには法的措置だけどファンには涙腺崩壊措置かよ』

『世界一平和な誕生日おめでとうございます』



 ネットの海に溢れる祝福と妄想の嵐を知る由もなく――。


 一ノ瀬家のリビングでは、新しい鍵盤柄のマグカップでコーヒーを飲む奏とそれをニコニコと眺めながらツナマヨを食べるマシロの、いつもと変わらない、けれど少しだけ特別な朝が始まっていた。

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