10話 アンノウン もう一つのアナザーストーリー
夕方、少し早いディナーを真名美と済ますと、真名美を駅まで送る。
名残惜しそうに、泣き笑いのような表情を見せる彼女を見送り、
俺はニューグランドホテルに戻った。
これから、凱先輩に会うのだ。モード切り替えは必須と言ってよい。
バーに入る前に既に俺は凱先輩の気配を捉えていた。
いや、凱先輩がホテルに来た時からわかっていたのだ。
バーでは凱先輩が、マティーニを舐めていた。
カーキグリーンのG9に、腕にはロレックスエクスプローラ1、
ハケットのチノパン。
足元はダナーのモンキー、
スチーブ・マックイーンの休日みたいな格好だった。
服装だけ見れば、
ただの金のかかった街の男にしか見えない。
「久しぶり!」
凱先輩はグラスを少し上に挙げた。
俺は少し照れながら、「ご無沙汰です。」と応えた。
「高専に編入したんだってな、コスパ重視でお前らしいよ。
まあウチの兄貴なんか、コスパに最も特化しているが。笑。」
凱先輩は言った。
「先輩の東大は快適ですか?」
凱先輩は一瞬だけグラスを眺めてから、言った。
「ああ。その件だが、来月からカーネギーメロンに編入する。
その前に一度、お前さんと会っておきたかったと言うわけさ。
しばらくは、こちらに居るのか?」
「ええ、大晦日に帰ります。」
「そうか、その前にうちの師匠、真里谷先生に会っておくか?
明後日、ウチの化け物兄貴とも一緒に会うんだ、良かったら、その時にどうかな?」
「ええ、ありがとうございます。」俺は答えた。
俺たちはホテルを出て、港の方へ歩いた。
夜の海は静かで、風だけが冷たかったが、
どういう訳か、最近では余り寒さを感じない。
それは、凱先輩も同じみたいだが、
バイクに乗る俺は普段、デニムシャツの上に
バンソンのシングルライダースが定番だ。
だが今日は真名美の手前、
ラルフローレンの若草色のツイードジャケットで武装していた。
少し先で、アベックが立ち止まっていた。
その周囲を、数人のチンピラが囲んでいる。
ありがちな光景だ。
声を荒げ、距離を詰め、逃げ場を塞ぐ。
凱先輩は迷わなかった。
歩調を変えず、そのまま間に入った。
次の瞬間、俺は動きを見失った。
俺が三人を片付ける間に、
凱先輩は八人を半殺しにしていた。
派手な回転蹴りや、見栄を切る動きは一切ない。
最初から相手に有効なポジションを取らせず、
まるで踊りか、時代劇の殺陣のように、
ただ正確にストライクを打ち込み続けているだけだった。
殴る、蹴る、倒す。
流れは止まらない。
転がってのたうつ連中にも容赦はなかった。
横腹。
睾丸。
完全に声が出なくなるまで、作業する様に淡々と蹴りを重ねていく。
ダナーの重い靴がいい仕事していた。
逃げようとする奴等がいた。
俺が一歩前に出て通せんぼすると、
そいつ等は泡を食い、そのまま海に飛び込んだ。
以前の凱先輩は、ストライクは使うが、
こんな真田広之みたいに舞うようなタイプじゃなかった。
それも、これまでに見たことのないリズムだった。
(実は俺も、不良狩りは時々している。
実は最近の不良達は、格闘技ジムに通うのがトレンドらしく、
彼らと軽く“遊ぶ”のも、空手の練習に丁度いい。
バンソンのライダースにロレックスという、自ら標的になりそうな格好で、
一人で夜の栄のクラブに行くと、人気のない帰り道などで、かなりの確率で
この手の連中から、「オイ、ニイちゃん、ニイちゃん。」とお声がけがあったりする。“和を持って尊ぶとなす”俺としては、その都度、丁寧な対応を心がけている。
今回、東京で遊ぶ際の臨時収入も、
連中からの心からの気持ちとして頂いたものだ。
因みに俺から金品の要求をしたことなど、一度もない。笑。
繰り返すが、ただの一度もだ。)
にも関わらず俺はただ、ゾッとした。
同時に真名美を先に帰した自身の判断を、褒めたかった。
先輩はいつの間にか連中から取り上げたナイフを、
G9のポケットに仕舞うと
何事もなかったかのような顔で、ケロッと
「気分直しにコーヒーでも飲みに行くか?」
その余りに端正な顔でニッコリ笑うと頭を掻いて見せた。
俺も頷くと、
連中から巻き上げたスマホ3台を海に投げ込み、
そのまま、絡まれていたアベックを振り返ると、
暗闇に浮かぶ白い女の顔は、なんと松田瑠衣だった。




