(改)エピローグ 生き残った者の掟──Night and Day**
生き残った者の掟──Night and Day
ワシントンD.C。
アメリカ大統領就任祝賀パーティー。
絹のドレスが揺れ、
シャンデリアの金色の反射が
波紋のように会場全体へ広がっていく。
演奏されているのはコール・ポーター──
「Night and Day」。
ざわめきも笑い声も、その旋律には勝てない。
古いリズムだけが、会場を静かに支配していた。
今夜の世界の表舞台には、
“何も知らずに勝った気でいる者たち” が祝杯をあげる。
そしてその奥には──
“すべてを知り、生き残った者たち” の姿もあった。
⸻
真名美が入場すると、次期大統領が歩み寄る。
「これは……メッツェンガー伯爵夫人では?」
真名美は微笑み、ドレスの裾を揺らす。
(伯爵夫人──悪くない呼ばれ方だわ。)
伯爵は控えめに苦笑し、味沢はグラスを静かに傾ける。
パイカルは例の二本指敬礼で軽く乾杯の真似をしてみせた。
まるでここは、
“生き残った者だけの秘密の同窓会” のようだった。
⸻
パイカルはグラスの縁を指でなぞり、小さく呟く。
「……ようこそ。」
味沢がわずかに眉を上げる。
パイカルは薄く笑う。
「ようこそ、新しい時代へ。」
かつて口にした
──ようこそ、混沌の時代へ。
その反転が、いま現実になったのだと彼だけが知っていた。
⸻
視線を感じて振り返る。
赤井 彗。
どこか不器用で、タキシードが似合っているのか似合わないのか分からない。
だがその眼だけは、びっくりするほど澄んでいた。
名古屋の夜──
“誰にも知られず、誰よりも必死に現実を守った男”。
赤井は、照れくさそうにピースサイン。
真名美は小さく笑う。
(今のあなたなら──ヒーローと名乗っていい。)
⸻
演奏が一度途切れ、空気が沈む。
次の瞬間、ピアノが静かに和音を刻む。
流れ出したのは同じくコール・ポーター。
「So in Love」。
切なく、甘く、美しい旋律。
途端に真名美の胸の奥で懐かしい映像が浮かんだ。
日曜に観た映画番組のエンディング。
静かで、少し寂しく、それでも“明日が来る”ことを告げるあの曲。
その余韻が、この世界と重なっていた。
その時──
隣から、ほんの小さな声が聞こえた。
「……非常のライセンス……」
赤井が、誰にも聞こえないほどの小声で鼻歌を歌っていた。
緊張をごまかすように。
真名美は思わず笑み、そっと続きを重ねる。
「あーもっと、もーっと愛して……」
ふたりの声はすぐに消え、
So in Love の旋律へ静かに溶けていった。
ほんの数秒の出来事だった。
だが確かにそこには、
“生き残った者たちだけが持つ暖かさ”
が灯っていた。
⸻
会場の片隅。
ひとり、静かに立つ男──吉岡。
ネクタイは曲がり、手にしたグラスは安物。
だがその眼は違う。
光一の死。
蘭の決断。
アギトの旅立ち。
そのすべてを胸に宿したまま生きる者の眼。
吉岡は低く呟く。
「……今だけ、金だけ、自分だけ。
そんな連中が世界を動かしてた。」
「だが──世界は波長でできている。」
「波長を変えれば、全部変わる……そうだろ、蘭。」
誰も聞いていない。
だがその言葉は確かに“どこか”へ届いていた。
⸻
突然、音楽が止まる。
新大統領が登壇するらしい。
会場中がステージを向いたその瞬間──
吉岡だけが、逆を向いた。
ゆっくりと右手を上げ、
人差し指を伸ばし、親指を引く。
指ピストル。
だがその瞬間、
光一の影──
赤井の影──
そして蘭の覚悟が重なった。
吉岡は囁く。
「……Bang。」
冬の風が窓の外をかすめた。
誰の頬にも触れず、ただ静かに通り抜けるだけの風。
まるで
“戦いの時代の終わり”
を告げる風だった。
吉岡は微笑む。
「……光一。
さよならは言わねぇよ。」
⸻
祝賀会では大統領の演説が終わり、
夜景が沈んでいく。曲もフライミー・トゥ・ザ・ムーンが流れて
そろそろ終盤に差し掛かる。
そして──
月。
月の裏側に広がる“重力のない海”。
その上で蘭が静かに目を閉じていた。
隣には、亡き父・安針。
ふたりは黙ったまま、青い地球を見つめ続けた。
魂の進化と退化。
その全てを抱きながら。
⸻
数日後──東京・品川区。
都立工科芸術高専のガラス廊下。
白衣を揺らしながら歩く男がいる。
萬造寺 凱まんぞうじ・がい──新任講師。
胸ポケットには、小さなエメラルドの欠片。
その背中を見つけた杏子が、小走りで追いつく。
「ねえ……教えて。
あなたの “本当の名前” は?」
凱は静かに目を閉じ、そして開く。
「──ある時は、萬尾亜門。
またある時は、安樂 蘭。
今は……萬造寺 凱。」
白衣の袖が揺れ、
わずかに紫の火花が指先を走る。
凱(蘭)は軽く息を吸い──
「さて、その実体は……」
そして右手を軽く掲げ、
ひとつの名を、静かに・誇らしげに宣言する。
「──さそり男アラクラン、参上。」
杏子の目に涙が溜まる。
「……おかえりなさい、蘭。
そして──萬造寺 凱。」
凱は短く、深く答えた。
「ただいま。」
そのとき、
彼のイヤホンからほんのわずかに音が漏れた。
フェリシダージ──“幸福” を意味するボサノヴァ。
杏子が驚いて振り向く。
凱はイヤホンを指で押さえ、少し照れたように言った。
「……黒いオルフェ、か。
アギトへの手紙みたいだな。」
杏子は小さく笑う。
(やっと──
この物語にも“次の日の音”が流れ始めた。)
⸻
最後に、一行だけ浮かび上がる。
「生き残った者の掟──波長を整えよ。」
──END──




