第九話 やっかいな奴
蜜先生のところに、弁護士が訪ねてきた。
七三に分けた髪。
ストライプのブルックス ブラザーズのスーツ。
今どき珍しいほど、隙のない装いだった。
名前は——不知重人。
呉の弁護人らしい。
一応、仁義を切りに来た、ということだった。
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「懐かしいわね」
蜜先生が言うと、
不知は「はい」と柔らかく微笑んだ。
「蜜さんとは、高校以来ですから」
出されたキングドーナツを一つ取る。
妙に整った所作で食べ終えると、
「そういえば——“セーラー服に青いハイヒールを履いていた蜜さん”を思い出します。笑」
それだけ言って、一礼。
帰っていった。
ドアが閉まる。
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黒歴史を軽く暴露されたにもかかわらず、
蜜先生はまったく動じない。
「不知一族は、もともとウチの家中の者たちなの」
とのたまった。
「……未だに封建制ですか」
「ええ。笑えるでしょう」
紅茶を一口。
(いや、セーラー服に青いハイヒールって、どこのコスプレだよ)
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「不知は、防衛大から空挺の士官。そこから早稲田のロースクール。今は弁護士」
「海外なら、見事なエリートですね」
「そう。包装紙はね」
その言い方で、察した。
「彼の家は、少し込み入っているの」
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不知の父は中国籍。
母の連れ子だった“兄”を殺している。
不知がまだ胎内にいた頃の話だ。
その後、母は
その事件で父側の弁護をしていた男と事実婚した。
クリスチャンで、左翼の人権弁護士。
不知は、その男を後見人として育てられた。
防衛大へ進み、空挺へ。
レンジャー課程も通った。
だが——
酒の席で、上官が漏らした出生の一言。
それに激昂し、その場で殴って自衛隊を辞めた。
その後、早稲田のロースクール。
そして、弁護士。
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「どうやら、あれは“かの国”の工作員らしいわ」
蜜先生が、面倒くさそうに言った。
「そいつが、呉の弁護人ですか」
「そういうこと」
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「やれやれですね」
「まったく、やれやれね」
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蜜先生はドーナツを半分に割る。
「綺麗に割れるのね」
「……何がですか」
「人も、同じよ」
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「不知はね、よく出来ているの」
「出来ている?」
「ええ。環境も、経歴も、思想も——全部、設計通り」
「振り子みたいなものですか」
「違うわね」
即答だった。
「振り子は戻るでしょ?」
一拍。
「彼は、両側に同時にいるの」
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なるほど、と思う。
あの笑顔。
隙のない所作。
だが、どこか空洞だった。
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「そういえば——イケメンの五原則って知っているかしら?」
「何ですかそれ?」
「脚を切らずにジーンズが履けること。顔が小さいこと。声が低いこと。面白いこと。——最後に、余裕があること」
「先生がそんな話をするとは、笑」
「あなたには当てはまるわ」
一拍。
「彼には、どれもない」
「……痛いなあ。さすが女王蜂」
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「ところで、呉は何をやってるんですか」
「簡単よ。“回収”」
「回収」
「人でも、情報でも、金でもいい。
価値のあるものを、然るべき場所に戻す」
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「最悪の組み合わせですね」
「ええ。最悪ね」
だが蜜先生は、わずかに笑った。
「面白くなってきたわ」
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翌日。
神奈川・伊勢原のライフル射撃場で、
あの男を見かけた。
不知重人。
相変わらず、七三に分けた髪にスーツ姿。
場違いなのに、崩れない。
——たぶん、寝る時もスーツだ。
ピンクのシューティンググラスだけが、浮いていた。
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射撃は、静かだった。
無駄がない。
呼吸、間、トリガー。
すべてが正確すぎる。
「……中々だな」
あの精度なら、オリンピックも狙えるだろう。
だが——
上手すぎる。
勝ちに行く人間の撃ち方じゃない。
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一瞬、目が合う。
昨日と同じ、温度のない笑顔。
軽く会釈。
それだけ。
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——把握されている。
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不知はそのまま、スーツのまま射場を出た。
外にはグレーのポルシェ964。
エンジン音は低く、乾いている。
過剰な主張はない。
だが——
妙に、似合っていた。
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走り去る車を見送りながら、思う。
「……やれやれだな」
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弁護士。
元・空挺レンジャー。
そして、あの射撃。
肩書きが多すぎる。
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いや——違う。
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全部、同じ用途か。




