10-3 理想とは違うけど
その日の夕方。
空を覆っていた雲は少しずつ流れ、ところどころに夕暮れの光が覗き始めていた。
そんな空の下。
駿は、果奈との待ち合わせ場所へ向かっていた。
目的は、夏祭り。
数百メートルにわたって屋台が並ぶ、この辺りでは有名な祭りだった。
毎年、多くの人で賑わう。
射的、金魚すくい、焼きそば、りんご飴。
歩くだけで夏を感じられるような場所だ。
果奈と一緒に屋台を回れるのも楽しみだった。
でも。
正直、それ以上に楽しみにしていたことがある。
(……果奈の浴衣姿、絶対可愛いだろうな)
気づけば、そのことばかり考えていた。
待ち合わせ場所へ着き、しばらく待っていると――
「ごめん、待たせちゃった」
後ろから声が聞こえる。
その瞬間。
少しだけ胸を高鳴らせながら振り返った。
――そして、固まる。
そこにいたのは。
浴衣ではなく、私服姿の果奈だった。
「……あ」
一瞬、思考が止まる。
「……いや、全然待ってないよ」
妙な間ができた。
もちろん、私服姿も可愛い。
むしろ、いつも通り自然体な感じがして、これはこれで好きだった。
でも。
今日は、浴衣姿を見たかった。
「……なんか変な顔してるけど、どうかしたの?」
「いや、なんでもないって」
慌てて首を振る。
「ほら、行こう。祭り始まっちゃうし」
「うん」
顔に出ていたのかもしれない。
そう思いながら、なるべく平静を装って歩き出した。
祭り会場へ着くと、人混みと屋台の熱気が一気に押し寄せてくる。
提灯の灯り。
賑やかな笑い声。
焼きそばの匂い。
夏祭り独特の空気に、自然と胸が高鳴った。
最初に、二人で中心にある神社へ向かう。
並んで手を合わせ、静かに願い事をする。
参拝を終えた後、隣を見る。
「果奈、何お願いしたの?」
すると、果奈は少し笑った。
「駿なら分かるでしょ?」
「……まぁ、なんとなく」
口には出さない。
でも、不思議と分かった。
「俺も同じ願い」
果奈が少しだけ目を丸くする。
「お互い、叶うように頑張ろう」
「うん」
その返事が、少し嬉しかった。
神社の周辺を歩いていると、射的や輪投げなどの屋台が集まっている場所へ出る。
その中で、一際異様な雰囲気を放っていたのが、簡易式のお化け屋敷だった。
入口からして怖い。
薄暗い。
不気味な音が聞こえる。
「……お化け屋敷あるけど、入ってみる?」
その瞬間。
果奈の肩がぴくっと揺れた。
「……駿が行きたいなら、別にいいけど」
明らかに無理していた。
「怖いのなら、無理して行かなくても大丈夫。他の出店を回ろう」
果奈とお化け屋敷は厳しいと思ったが――
「行こう」
驚きの返答。
だが、弱々しい声だった。
「確かに怖いけど、駿と一緒なら行けると思う」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫」
「……分かった」
二人で、お化け屋敷の中へ入る。
入ったと同時に、果奈がぴたりと腕にくっついてきた。
柔らかい感触。
近い距離。
ふわりと甘い匂いが漂う。
一気に心臓が落ち着かなくなる。
怖さなんて、とっくに消えていた。
一つ目のゾーンは、提灯のお化けが出てきたりなど、機械的なトラップが襲いかかってくる。
平常心なら驚いていたと思う。
でも、今は――
「きゃああっ!!」
「駿……怖い……」
果奈がさらに身を寄せた。
「だ、大丈夫だから」
そう返しながらも、声が少し上ずっていた。
違う意味で、全然大丈夫じゃない。
二つ目のゾーンへ進む。
今度は、実際に人が驚かせてくるタイプで、より恐ろしいものとなっていた。
なので、果奈も更に怖がってしまう。
「無理無理無理!」
果奈が完全に抱きつく。
「絶対離れないで、駿……!」
「分かったから、落ち着いて」
でも。
その状態で歩くのは普通に大変だった。
ただ。
果奈は恐怖で。
自分は別の意味で。
近くの屋台で飲み物を買い、人の少ない場所へ移動する。
「はい、飲み物」
「ありがとう……」
果奈は小さく息を吐いた。
「ごめんね、いっぱい迷惑かけちゃって」
「いや、本当に大丈夫」
そうは言ったが、心の中では果奈と同じくらい、大丈夫じゃなかった。
しばらくして、落ち着いた果奈が立ち上がる。
「私、ちょっと買いたいものあるから待ってて」
「いいよ」
「すぐ戻るね」
そう言って、再び屋台の方へ走っていった。
数分後。
「お待たせ」
戻ってきた果奈の手には、小さな袋があった。
「何買ってきたの?」
果奈は袋から容器を取り出す。
ふわっと湯気が立ち上った。
「たこ焼き?」
「うん。私、屋台のたこ焼きが大好きで、祭りに行くと毎回買うんだよね」
「屋台で買うたこ焼きって、なんか特別な感じがして、分かるかも」
果奈はたこ焼きへ息を吹きかける。
ふーっ、ふーっと丁寧に冷ます。
そのまま食べるのかと思った。
でも。
違った。
「……駿、あーん」
「……え?」
一瞬、理解が追いつかなかった。
「……いいの?」
「う、うん……」
恥ずかしそうに目を逸らしながら、たこ焼きを差し出してくる。
嬉しさのあまり、そのまま一口で食べた。
「いきなり一個食べたら……」
――瞬間。
(熱っっっ!?)
「〜〜〜っ!?」
「えっ!?ちょ、ちょっと待って!」
果奈が慌てて飲み物を差し出してくる。
なんとか飲み込む。
口の中が大惨事だった。
「ご、ごめんね……」
果奈が申し訳なさそうに俯く。
「そんな落ち込まなくていいって」
まだ少し涙目のまま笑う。
「熱かったけど、果奈がくれたたこ焼き、美味しかったし」
「……ありがと」
少しだけ、果奈が安心したように笑った。
そして。
「実はね、もう一つ謝りたいことがあるの」
「謝りたいこと?」
果奈が、服を見下ろす。
「本当は、浴衣着る予定だったんだ」
「……あ」
「でも、準備が全然間に合わなくて……」
だから、遅れていたのか。
果奈は少しだけ寂しそうに笑う。
「駿に、見せたかったな……」
その顔を見ていたら、自然と言葉が出ていた。
「確かに、浴衣姿見れなかったのは残念だった」
果奈が少し肩を落とす。
「でも、その代わり」
「果奈の新しい一面いっぱい見れた」
「……新しい一面?」
「怖がって抱きついてきたり」
「〜〜っ!?」
「たこ焼きであーんしてくれたり」
「そ、それは忘れて……!」
顔を真っ赤にする果奈。
その反応が可愛くて、思わず笑ってしまう。
「だから、今日めちゃくちゃ楽しかったよ」
少し沈黙。
それから。
果奈が、小さく笑った。
「……ありがと」
いつもの笑顔だった。
「よし、早く食べないとたこ焼きが冷めちゃうから食べよ」
「うん」
二人で、一つのたこ焼きを分け合う。
祭りの灯りが、夜の中で揺れている。
気づけば。
夏祭りの灯りみたいに。
二人の間にも、柔らかな熱が灯っていた。




