第102話 治療もできます
七階に足を踏み入れたトーリたちは、辺りに漂う肌がちりちりするような気配に眉をひそめた。
「なんだこれは……変にまとわりつくような、嫌な気配だな。これも魔力なのか?」
マグナムが「気持ちわりー」と言って頬を掻いた。
「リシェルさん、ダンジョンの中って普段からこんなに濃い気配がするものなのですか?」
「しないわよ。なんだろう、これ……なにかが発する殺気のような……違うような……」
リシェルは気配察知の力をこらして、何が起きているのかを探ろうとした。
イザベルがトーリの肩に手を置いた。
「ここまでにしておこうか」
「イザベルさん、でも」
「これは強い魔物が出す魔力や殺気とは性質が違う気がする。トーリ、おまえはこの階段に身を隠して……」
イザベルの言葉をリシェルが遮る。
「待って、何か来るわ」
リシェルが警告したので、一行は武器を構えた。
「気配がめちゃくちゃになっていてわかりにくいんだけど、魔物じゃなさそう。どこかのパーティーかな?」
通路の向こうの方から七階の階段下へ近づいてくるのは、全身が傷だらけになった男女だった。体格のいい女性が、魔法使いらしい男性を背負ってよろよろと歩いてきた。
「大丈夫か? しっかりしろ」
駆け寄ると、女性がうつろな視線をデリックに向けた。
「ああ、よかった、冒険者か。って、『斬撃』か! 助かったわ」
気が緩んだらしい女性がよろめいて、「危ねえ」とマグナムに支えられた。
「おまえは『瞬間飛来』のミッチーじゃないか。腕利きの剣士がなんでこんな姿に……魔法使いをこっちに渡せ。こいつはヘンリーだな」
デリックが腕を伸ばして、半ば意識を失っている魔法使いのヘンリーを引き取った。
ミッチーと呼ばれた女性は、防具の腹部が引き裂かれて出血している。
「見せてください!」
トーリが、普段の穏やかさをかなぐり捨てて鋭く言い、ミッチーの腹部を確認する。
「やっぱり、猛毒にやられている。応急手当てをします、階段の踊り場に連れて行きましょう。そっちの男の人も!」
イザベルが男性を肩に担ぎ、先に立って踊り場に向かう。
「毒から処置します。イザベルさん、防具を外してください」
「わかった」
朦朧としているミッチーの鎧を外して腹部を露出させると、よくもまあ痛みに耐えて歩いて来たと思われるような、無惨な傷があった。毒で溶けて、紫色に変色した傷口に、トーリは容赦なく水をかける。
「『アクア』『アクア』『浄化』イザベルさん、この水には触らないで」
「了解」
トーリは『浄化』『アクア』と唱えながら、毒に侵された傷を充分に洗い流す。これはかなり痛いらしくて、ミッチーは顔を歪めたが、歯を食いしばって耐えた。
「『アクアキュア』『アクアキュア』『アクアキュア』ダンジョンの毒の中でも、これはキツイやつだなあ。このままだとヒールをかけられない。切除します」
次にトーリはマジカバンの中から、弱い麻痺毒の成分を詰めた瓶を取り出した。
「ミッチーさん、最初は痛むけどすぐに麻酔がかかるから我慢してください」
トーリが麻痺毒を傷口に垂らした瞬間、ミッチーは「ギッ!」と苦鳴をあげたが、すぐに身体の力を抜いた。麻酔がかかったらしい。
「トーリ、なにをするんだ?」
治療を見守っていたイザベルが、小さなナイフを取り出したトーリに尋ねた。
「この毒は肉体を腐らせる性質のものなんですよ。やられた組織を取り除かないと治療が進まないし、腐りが広がっていくんです。治療院の人じゃないと気分が悪くなるから、見ない方がいいですよ」
「す、す」
リスもクールに『イザベルよ、無理するな』と忠告した。
「いや、わたしは大丈夫だ」
冒険者として数々の修羅場を潜ってきたイザベルは、肝が据わっているようだ。
「それじゃあ、患部の掃除をします」
トーリは手慣れた手技で、害になる組織を取り除いていく。
「見事なナイフ使いだな」
「治療院のモリーさんに鍛えてもらいましたからね。おかげさまで、そこそこ治療できるようになりました」
「あの頼りになるがおっかないモリーか! いい師に巡り会えたな」
「僕は幸運なエルフなんですよ」
幸い麻酔がよく効いていたので、じっと横たわるミッチーの傷は苦痛なく綺麗になった。
「もう大丈夫、体内に残った残りの毒を消しますね」
トーリの『アクアキュア』で、ミッチーの毒は完全に解毒された。
「『アクアヒール』『アクアヒール』『アクアヒール』」
腹部の傷口に肉が盛り上がり、みるみるうちに綺麗な肌に戻っていく。
「体力があるから、治りが早いですね」
ここは魔力が豊富なダンジョンなので、トーリは魔力酔いにだけ気をつけながら、ミッチーを回復させた。
初回の治療では見事に失神したトーリではあるが、あれから治療院での修行によって魔力の通り道がかなり鍛えられている。
そのため、以前とは違って魔力酔いにはなりにくい身体になったのだが、異常な事態が起きているダンジョンでギリギリを攻めるわけにはいかない。
「治療が終わりました。あくまでも応急手当てなのであとで治療院に行ってくださいね」
目を開けたミッチーは腹部を撫でて「……ありがとう。見た感じ、まったく元通りだ。痛みもない。あんた、たいした腕前だね」と驚いている。
「どういたしまして。こっちのヘンリーさんは、怪我だけだからすぐに良くなりますね。『アクアヒール』『アクアヒール』」
傷は治り、ヘンリーの意識が戻った。
「……俺は、どうして、ああっ!」
早く、ギルドに知らせないと、とヘンリーは慌てて立ち上がった。
「ヘンリー、頼めるか?」
「ああ、傷が治ればここから先は楽勝だ」
ヘンリーは「助けを感謝する!」と片手をあげると、ギルドマスターに連絡すべく走り出した。
「すまんが、なにが起きているのかの報告を頼む」
ミッチーがデリックに状況を説明した。
「十階の奥に奇妙な渦が発生して、そこから強い魔物が生まれて浅い層に放たれている。渦を守っているのはミノタウロスデビなんだが、通常のデビとは違って身体が大きく、赤い個体なんだよ」
この嫌な気配は渦から生まれたものなんだとミッチーが言った。
「まさか、ダンジョンが変異進化をしたのか?」
変異進化とは、ダンジョンの『決まり』を無視した成長が起きているということなので、皆は驚愕した。
「早くなんとかしないと。ダンジョンの強い魔物が外に出て、万一繁殖してしまったら、この町どころか世界が危険だよ」




