純粋なる願い
太陽は沈み、月が頭上にかかろうとした時、控えめなノックが扉を打つ。
いつの間にか寝ていたと気づいたイオは、眼を開けるとともに鉈を掴む。
「誰だ」
扉の影に隠れながら問いかければ、「あ、あの……」とか細い声が聞こえる。
「ここ、イオアネス・ダブルクロスさんの、家ですか」
扉の隙間から見た外に立っていたのは、小さな女の子だった。年のころは十程度だろう。そばかすのある顔は背丈と相まって少女をより幼く思わせる。高級感のない服、乱雑に伸ばされた髪から見て、都市の出身でもない。
「誰だ?」
「わ、私は、グウェン。ケルウェル村から来ました!」
ケルウェル――森を挟んだ向こう側にある村だ。少女の体は森を通ったのか、葉っぱが髪に引っかかり、靴やスカートにはオナモミの種がくっついて泥も跳ねている。森の中を走り抜けてきた証だ。
夜中にランタンも持たず、息を切らした少女は悲しげな眼でイオを見ていた。ゆっくりと扉を開けたイオは周囲を確認してから、彼女を招き入れる。
「入りなさい」
「はい!」
喜びより、安堵の気持ちが現れた声だった。戦っている中で、何度も聞いた。悪魔に襲われ死を覚悟した者たちを救った時、嗚咽とともに聞いた声だ。
どうして少女がそんな声を出したのか、予想できていた。
「村のみんなが、危ないんです」
否が応でも、先ほどの女神の言葉が思い起こされた。地獄より現れる悪魔は、気ままに地上を蹂躙する。自分の住む森の近くに悪魔が現れたのは、決して偶然ではない。
探しているのだ。自らの天敵であるイオを。
「お父さんから聞きました! もしも怪物が現れても、森の向こうに住むイオアネスさんが、助けてくれるって!」
普段の狩りや、低級の悪魔に魔弾は必要ない。森に現れた悪魔の力に充てられた獣を屠るくらい、イオには簡単なことだった。だからこそ、村が危険に陥った時、イオに助けを求めてきたのだろう。
「お願いです! お父さんを、村の皆を助けてください!」
グウェンの言葉に、イオは押し黙る。人間がどうしようもない敵を屠るのが、神の僕たるガンナーの役目だ。そのための魔弾だ。
だが男の心にはもう、撃鉄を上げる力はない。
「悪いが、力にはなれない。もう奴らと戦うのは、やめたんだ」
「え……なんで、イオアネスさんはガンナーなんですよね! 女神様が選んで魔弾の射手となった、なのに逃げるんですか!」
少女にとって、イオは最後の希望だ。そしてガンナーは、人類の希望だ。縋りつくべき拠り所。怪物対峙の専門家であり逃げることなき戦士でもある。
「お父さんは、昔イオアネスさんに助けてもらったって言ってました! 怪物たちが村に来た時、たった一人で村を守り抜いて、みんなを救ったって!」
「昔の話だ」
「……っ! なら、銃を貸してください! 私がやります!」
その言葉にイオは面食らった。誰かが頼ってきたのは、今回が初めてではない。目の前の少女以前にも、やれ獣がどうだ、悪魔がどうだと相談に来たものはいたが、大概は断って追い返していた。
実害がなければ何もしない。それが今のイオであり、彼が頼りにならないと知った者たちは呆れて帰っていった。
少なくとも、銃を渡せなどという者はいなかった。
「使ったことはあるのか」
「ありませんけど、狙って撃てばいいですよね!?」
そんな簡単なものではない。そう説明しても彼女は聞き入れないだろう。まして、そこに込められた魔弾を使わせるつもりは毛頭ない。
「どちらにしろダメだ。あれは誰にも撃たせない」
「なら、勝手に持っていきます!」
グウェンは壁にかかった銃を見る。埃は被っていない。毎日手入れされている証拠だ。
『ベルサリダ』――長年使われてきたはずのそれは、新品のような光沢を放つ。
ひったくるように掴んだそれを持って、グウェンは森の中へと駆けだした。止めようと思えば止められたイオだが、妙なことに足が動かなかった。
「行かせてしまっていいの? あれに弾は入っていないでしょう?」
聞こえてきた声の方向に顔を向ければ、女神メイベルの姿がそこにあった。
「あなたの差し金か?」
「いいえ。私はあなたをガンナーに選んだけれど、あなたが何を選び、誰があなたを頼るかは本人次第。でも、誰もがあなたを頼る中で、自分でどうにかするなんて言った子は初めてじゃないかしら?」
魔弾という強い力を手に入れた。その結果イオは戦いに明け暮れた。誰かに請われ、誰かを守るために力を使った。いつしか、自分を頼る人々の声が空虚に思えた。
だからこそ、人々の向ける失望に無頓着でいられた。何を言われてもどうでもいいと思えていた。なのに、少女は失望を向けず、自らがやると言い出した。
「純粋ね。まだ幼く、疲れを知らない若さ。悪魔の好む性格ね」
「そう思うなら、救ってやればいい」
「言ったでしょう。私に許された慈悲の手は一本だけ。あの子には伸ばせない」
神は何もしない。ただそこにあるだけだ。もし理不尽を覆したいのなら、人が己の手で行わなければならない。
引き出しの中から取り出した一発の弾丸。普通の弾丸とは異なる色と文様が刻まれたそれは、元となった人によって違っていた。
森を焼くほどの炎を生み出すものがあれば、自由自在に軌道を変える弾丸ある。海を凍てつかせ、火山の噴火すら防ぐ盾にもなった。全ては、人の心が生み出した力だ。
残った最後の一発は、彼の恋人からできた魔弾だ。
「お前は、俺がこんな状態であることを、怒るか?」
掌に転がる弾丸に向けて問いかけるが、むろん答えはない。
答えがなくとも、言われるであろうことはわかる。
「さぁ、どうする?」
少しでも気に入っていただけたら幸いです。
評価、感想、ブックマーク、どんなものでも大歓迎ですので、お気軽にどうぞ。