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【10/16番外編追加】『八時間待っていろ』と姉を優先する父に山に置き去りにされましたが――あれ?私、別に待つ必要なくない?【完結】  作者: 木風


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アゼルハルト視点・後編 蜂蜜の方は、自分で買えますから

 十八の年から人を率いてきた男である。判断は速い方だ。


「正式な書式の便箋はどこだ」

「もう用意してあります」

「……お前は」

「八年お仕えしていますので」


 五通目が、求婚状になった。

 書き始めるまでに三日かかったが、いざ書くと一枚で済んだ。最初の手紙のように十四枚も書き損じなかったのは、書くべきことが決まっていたからだ。


『貴女に、クラウゼル辺境伯夫人として来ていただきたい』

『返事は、急がない』


 最後の一行を入れるかどうかで、二時間迷った。

 迷った理由は、自分でも分かっていた。

 彼女は、十八年間ずっと「待て」と言われてきたのだ。そこへ「待たせてほしい」でも「早く答えろ」でもなく、何を書けばいいのか。


『返事は、貴女が決めた日で構わない』


 返事は、三日で来た。


 婚約が決まってから、二人は何度か顔を合わせた。

 最初に彼女が尋ねたのが、あの質問だ。


「なぜ、私だったのでしょう」


 そう言った彼女の顔には、卑下も媚びもなく、純粋に不思議そうだった。

 そこが問題だった。自分に価値があるという前提を一度も持たされてこなかったのだろう。

 靴のことを言えば、哀れんだと思われる。山のことを言えば、勇敢だったからだと受け取られるかもしれない。


「あのとき、君は俺に助けてくれとも、父親をどうにかしてくれとも言わなかっただろう」

「はい」

「麓まで送ってくれ、とだけ言った」

「……だって、帰りたかったので」

「そこだ」

「どこでしょう」

「俺も、うまく説明できない」


 結婚して、北の領地に夏が来た。

 エルナはできすぎるほど、よくできた辺境伯夫人だった。

 領民の名前を覚えたかと思えば、次の日には警備隊の家族に差し入れをし、屋敷の使用人たちの仕事もすぐに把握して、誰かが困っていれば自分から声をかける。


 父から届く『一度、顔を見せに戻ってきなさい』という手紙にも、すべて丁寧な返事を書く。


 そして一度も帰らない。


 ただ、ひとつ気になることがあった。

 この女は、何も欲しがらない。


 ドレスを仕立てる話をすれば「必要な分で結構ですわ」と言う。領都に出る用事があるかと聞けば「特にございません」と言う。

 欲しい宝飾品はないかと尋ねても、困ったように笑うだけ。

 書斎で冷えた指先をそっと袖に隠すのを、三度見ている。

 その三度目に、外套を彼女の肩にかけた。


「寒いだろう」

「ええ、少し」

「言え。俺は察しが悪い」

「アゼル様は、察してくださいますわ。いつも」


 エルナが襟を引き寄せて、笑った。


 ――違う。

 言ってほしいのだ。

 欲しいものを欲しいと、寒いものを寒いと彼女の口から聞きたい。


 もちろん、気づいたことは自分からしてやりたい。

 寒そうなら外套をかけるし、疲れていれば休ませる。それくらい夫として当然だと思っている。

 けれど、それとは別に、彼女が自分から何かを求めてくれるところを見たかったのだ。

 十八年間、順番待ちの列に並ばされていた女が、誰にも遠慮せず、自分の欲しいものを選ぶところを。


 もっとも、それを正直に言えば、この律儀な夫人は「では努力いたします」と答えるだろう。

 努力させたいのではない。


「エルナ。ひとつ頼みがある」

「はい」

「この先、俺に何か強請ってくれ。くだらないことでいい。菓子でも、靴でも、馬でも」

「……どうして?」

「俺が嬉しいからだ」


 エルナがきょとんと不思議そうに見上げていたが、やがて外套の襟から少しだけ顔を上げた。


「では、ひとつ」

「言え」

「……胡桃菓子を」

「蜂蜜の方が好きだと書いていなかったか」

「覚えていらしたんですね」

「もちろん」


 エルナの耳が赤くなった。


「蜂蜜の方は、自分で買えますから」

「……それは、どういう」

「あなたに買ってきていただくなら、胡桃の方がいいんです」


 アゼルハルトは天井を見た。

 それから、口の中で小さく言った。


「ずるいぞ」

「あら」

「俺の方が、言わせられている」

「アゼル様」


 エルナが外套の中から手を出して、袖を引く。

 その手は驚くほど軽く、あの日とは違って温かい。


「それで、いつ好きになってくださったんですか」


 アゼルハルトは、ようやく答えを見つけた。

 ずっと探していた答え。


 山で出会ったときは、彼女を助けることしか頭になかった。

 外套を貸したのも、担架を用意したのも、山の管理者として当然のことだったと思う。

 最初の手紙を書いたときも、靴の具合を尋ねたときも、まだ自分の気持ちをはっきりとは理解していなかった。

 けれど、蜂蜜菓子の話をしたあの日。


 好きなものをひとつ教えてもらっただけで嬉しくなって、いつか一緒に食事をしたいと思った。

 次に会えたら何を話そうかと考え、そのための口実を探し始めていた。

 あのときにはもう、答えは出ていたのだ。


「三通目だ」

「え?」

「蜂蜜の方が好きだと書いてあった手紙だ」

最後までお付き合いありがとうございます。

日間総合・完結済1位ありがとうございます!アゼルハルト視点のお話を追加させていただきました。

蜂蜜のお菓子より甘く感じたら、ブックマーク、★★★★★、よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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本作品の文章・タイトル・設定等の無断転載、無断複製、生成AIへの入力および学習利用を禁じます。
― 新着の感想 ―
良いお話でした。でもエルナに母はいなかったのでしょうか?母も姉優先?
エルナはあの嫌な父親に手紙で返事してるだけでも十分優しいと思いました。 血の繋がりはあるけど自分を大事にしてくれない実家なんて忘れて幸せになって欲しいと思います。 終わり方が凄い素敵でした。
これは名物になる流れ……!! 消息でもご機嫌伺いでもなく、相手のことを何か知りたい、知らせてほしいのが恋の始まりなの、ステキですね〜〜!! そして答えてくれたってことは、少しはココロに触れてもいいって…
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