第1話 忘却の霊廟(れいびょう)と、硝子の指先
主要な登場人物
名前 神野 太陽
年齢 34歳(男)
身長 182cm
体重 80kg
職業 キャリアコンサルタント
個人会社を経営し、大学で学生のキャリア支援を担当している。
重い過去を抱えながらもGaeaのチカラを宿していることで深海一族と関りを深めていく。新世代のデバイスであるEgo CubeとSpell Cardを世界に普及させるための「プロジェクトSpell」を進めている。現在は、提唱したガイア理論を学校教育に取り入れた事例を書籍にまとめ世界各地を講演して回っている。この物語の主人公。
名前 葛城 美音。
年齢 28歳(女)
身長 165cm
体重 48kg
職業 ピアニスト
5年前、演奏中に突然「音が聴こえなくなる」という症状に見舞われ、太陽のもとに相談者として訪れていた、十代で世界的なコンクールを総なめにした天才ピアニスト。その麗しき美しさと繊細な演奏で聴衆を虜にする魅力を持つ。演奏のため世界各地を訪れている。透明な宝石の輝きを持つEgo Cube「奏」の特性を持つ。
名前 葛城 奏音。
年齢 24歳(女)
身長 163cm
体重 47kg
職業 ヴァイオリニスト
葛城美音の妹で、姉に劣らぬ美しさと才能を持つヴァイオリン演奏家。姉のツアーに同行している。姉の存在に隠れてしまい機会に恵まれず、演奏家としてまだ大きく開花していないことに焦燥感を抱きながらも、その才能は姉を越える可能性を秘めている。地獄の業を背負っていく太陽と関わることで人間の感情の深みを知り、その才能を開花させていくことになる。
透明な宝石の輝きを持つEgo Cube「響」の特性を持つ。
名前 深海 真澄
年齢 63歳(男)
身長 175cm
体重 75kg
幼い凪に一族の運命を背負わせようと冷徹に事を進めようとしたが、誰よりも強い家族愛がそれを許せず、深海一族が組織した「オメガ」を内部から掌握して変えていくため「漆黒の観測者」として組織に身を置くことにした。深海源が身を引いた後、オメガの総帥となり無限の記憶を維持している。太陽が巡礼するための案内人として指示を送る。
名前 ヴィクトル・黒須
年齢 43歳(男)
身長 185cm
体重 85kg
日本人とイギリス人の血を引き、ヨーロッパのクラシック音楽界のみならず、エンターテインメントの世界全体に強大な影響力を持つ世界的プロデューサー。
葛城美音の才能をいち早く見出し、彼女を世界的なスターダムに押し上げた張本人であり、彼女の公演の全権を握る興行師。
常に世界全体を見渡すような視点で、己の利益だけを求めているわけでもない。世界の方向性に大きく関与する重要人物。
名前 市松 陸
年齢 21歳(男)
身長 178cm
体重 68kg
役者一家に生まれ跡継ぎとして期待を背負っていたが、挫折を経験し、権藤のもとで働いていた。自信が持てず自己否定を繰り返していたが、5年前に明日美たちと出会い諦めず、その後も役者として舞台に立ち続けていた。
太陽たちが招待された演劇の酒宴を任され出演することになった。過去に実在した人物の意志を一時的に自身に宿すことができるEgo Cube(器)の特性「憑依」が覚醒し始めていた。この舞台を通して、秘められていた才能が開花することになる。この物語の主人公。
名前 日向 葵
年齢 20歳(女)
身長 161cm
体重 43kg
大学在学中に役者の世界を目指し、初めて出演した舞台で一躍注目を集めた若き天才女優。まだ覚醒していない空っぽの硝子のEgo Cube(器)を持つ。王の娘リリス役としてヴィクトルから直接指名される。配役オーディション会場で陸と出会い、自分の役の感情を理解するため、陸と協力して古代ローマ時代の歴史を調べ、一緒に稽古を重ねることになる。
名前 星野 雫
年齢 28歳(女)
身長 165cm
体重 45kg
子役時代から役者の世界に入り役者歴20年の実力派女優。Ego Cube(器)の特性「模倣」を持つ。スポンサーからの要望で、ヒロインであるエルラ役として舞台へ出演することになっている。陸のEgo Cube(器)の特性に気が付き、制御のコツをアドバイスしてくれる。
名前 風見 凛
年齢 19歳(大学2年生・女)
身長 171cm
体重 55kg
種目 陸上女子100m走(オリンピック強化指定選手)
高校時代にその恵まれた体格と才能から、日本記録に迫るタイムを出し「天才スプリンター」として一躍注目を集めたが、大学入学後にタイムが伸び悩み、極度のスランプに陥っている。
身体の線は細いが、しなやかで無駄のない筋肉で覆われ、女性らしく美しいスタイルを持っている。長い手足で走る姿は、見ている者を引き付ける輝きを放つ。メディア受けの良い、明るい性格に健康的な美貌を持ち、複数の企業からスポンサー契約の交渉を受けている。
順調に見えるが、コーチや周囲の期待を一身に背負い込んでしまい「オリンピックに出なければならない」「結果を出さなければ自分には価値がない」という重圧から、走ることそのものに苦痛を感じている。
名前 御影 瞬
年齢 20歳(大学3年生・男)
身長 185cm
体重 78kg
種目 サッカー(ポジションはゲームメーカーのMF)
圧倒的な足元の技術と戦術眼を持つ、プロチームのスカウトからも注目されており、日本代表候補にも名前が上がる天才ミッドフィルダー。風見凛に好意を持っている。
その端正な顔立ちと観る人を魅了する独創的なプレーから、既に多くのファンが付いており、大学チームの練習用グラウンドでは常に声援が絶えない。
しかし、プライドが非常に高く、チームメイトを見下している。「俺のパスに追いつけない周りが悪い」「俺が一人でやらなければ勝てない」と孤立しており、チームとしての状態は最悪。試合では強豪校に勝てず、思うような結果を残せていないことに苛立ちを持っている。
名前 三枝 岳
年齢 57歳(男)
身長 180cm
体重 85kg
職業 深海大学・スポーツ人類学および身体表現史 教授
太陽のキャリア理論のスポーツ面でのメンターとなる存在。
学者でありながら、アスリートのような筋骨隆々の体格をしている。
性格は豪快でマイペース。「現代のスポーツは商業主義に毒されたお遊戯だ」と公言して憚らないため、大学の体育会系指導者たちからは煙たがられている。
独自のスポーツ理論「原初の衝動」を提唱している。
現代のアスリートがメンタルを壊すのは、『スポンサー』や『他人の期待』といった、後付けのルールに縛られているからだ。本来、人間が走るのも、球を蹴るのも、自分の内側から湧き上がる、「原初の衝動」に従っていたに過ぎない。その歴史の記憶を忘れた肉体は、ただの機械と同じでいつか必ず壊れると主張する。
世界がAI歌姫「ASUMI」の歌声によって新たな基準点ゼロを刻み、人々が自らの感情を受容し始めてから5年。
夜明け前の東京のマンション。
薄青い光が差し込む寝室で、神野太陽は、隣で静かな寝息を立てる深海明日美の寝顔を見つめていた。
シーツから覗く滑らかな肩に、太陽はそっと触れる。
彼女のEgo Cube『母なる海』が、微かに、そして愛おしそうに青い揺らぎを返してきた。
太陽と明日美。
二人は、互いの魂の最も深い部分まで共有している。
しかし、二人の間に法的な契約や、「夫婦」といった明確な名前はない。
深海一族が背負う複雑な事情、そしてGaeaというシステムに関わる者としての宿命。
様々なものが絡み合い、あえて「形」にしないことを二人は選んでいた。
名前や枠組みがなくても、互いの引力が釣り合っている限り、この関係は絶対に壊れないという、危うくも強固な信頼関係で成り立っている。
「……行ってくるよ、明日美」
太陽は、彼女の額に音の出ないキスを落とし、静かにベッドを抜け出した。
太陽の『重力』と、明日美の『海』。
二つの力で世界は一定の調和を保っている。
だが、太陽の胸の奥には、彼女が提唱した「ガイア理論」の最後の未解明領域に対する、拭い去れない疑問が渦巻いていた。
完全な球体が存在しないように、世の中から「歪」が消えることは無い、強い光が当てられれば必ずそこに「濃い影」が落ちる。
人々が自らを受容すればするほど、どうしてもそこからこぼれ落ち、「救済そのものを拒絶する」純粋な絶望が、世界のどこかに蓄積されているはずなのだ。
それを観測しなければ、本当の意味での世界のバランスは保てない。
太陽は、一着の黒いジャケットを羽織り、夜明け前の街へと足を踏み出した。
向かう先は、光の届かない場所。
深海一族の、真の暗部。
深海大学の敷地のさらに奥深く。
地図には存在せず、GPSの電波すら届かない原生林の中に、その場所はあった。
コンクリートと鉛で覆われた、巨大な地下施設へのエレベーター。
何重もの生体認証によるロック解除を経て、彼は地下数十メートルにある「底」へと降り立った。
そこは、冷たい無機質な空気が漂う『忘却の霊廟』。
かつて無限の記憶の深淵で、データとしての意識体で対話したオメガの総帥・深海源と、太陽の理解者でもあり明日美の父である深海真澄。
彼らの「実体」は、今もこの物理的な暗部に存在していた。
「……よく来たな、太陽くん」
薄暗い空間の中央から真澄が歩み寄ってきた。
その隣には、生命維持装置と無数のケーブルに繋がれた車椅子に、老いさらばえた祖父・源が座り、静かに目を閉じていた。
彼の肉体は、深淵のクロノス・コアと直接接続し続けている。
「真澄さん。
……お加減は」
「見ての通りだ。
だが、意識は深淵の底で誰よりも鮮明に世界を見渡している」
真澄は、微かに笑みを浮かべた。
ここは、深海一族が数千年にわたり、歴史の特異点や世界のバグを「物理的」に隠蔽・観測してきた絶対の聖域だ。
「今日は、君のキャリア理論にある『マイナスの自己一致率』について話しに来たのだろう?」
真澄の言葉に、太陽は頷いた。
「ええ。
明日美の歌声がプラスの自己一致率を高め、世界を癒やしている。
だが、キャリア理論における自己一致の対極には、自分の不幸や世界の破滅に対して寸分の狂いもなく『納得(一致)』してしまっている状態が存在するはずです。
……『事象の地平面』の向こう側に」
「……その通りだ」
真澄の瞳に、鋭い光が宿る。
「人類の歴史が物語っている。
光が強ければ影も濃くなる。
君たちが世界を浄化する一方で、それに反発し、決して救われまいとする『純度100%の絶望』が、世界の特定の場所に凝縮され、特異点を生み出してきた」
真澄は、コンソールを操作し、空間に一枚の世界地図をホログラムで投影した。
パリ、ウィーン、プラハ、サンクトペテルブルク。
いくつかの歴史ある都市に、どす黒い光点が明滅している。
「これらは、過去の人類が残した凄惨な記憶、あるいは狂気に魅入られた芸術家たちが生み出した『奈落の入り口』だ。
ここを観測し、マイナスの波形をガイア理論に組み込まない限り、いずれこの世界は裏側から崩壊する」
「……僕に、そこへ行けと?」
「君しかいないのだよ、太陽くん。
君の持つGaeaの『入力』の力でしか、光が届かない無間地獄へダイブすることはできない。
……これは、世界の聖地を巡る『巡礼』だ」
太陽は、黄金色に輝く自らのEgo Cubeを見つめた。
愛する明日美を連れて行くことはできない。
彼女の「海」は、純粋な絶望の引力に当てられれば汚染されてしまう。
これは、太陽一人で背負わなければならない「業」だった。
「分かりました。
……ですが、事象の地平面の向こう側は、外からは観測できない。
どうやってその『奈落の入り口』を見つけ、ゲートを開けばいいんですか?」
太陽の問いに、真澄は静かに目を閉じた。
「君も知っている者だ。
……その『狂気』に触れ、共鳴することができる『硝子の指先』を持つ演奏家」
その日の夜。
都内の超高級ホテルの最上階、グランドピアノだけが置かれたスイートルーム。
太陽が扉を開けると、そこには、月明かりを浴びながら鍵盤に指を這わせる一人の女性がいた。
葛城 美音。28歳。
十代にして世界のコンクールを総なめにした経歴を持つ天才ピアニスト。
漆黒のドレスに身を包んだ彼女の背中は、恐ろしいほどに細く、そして妖艶だった。
彼女の奏でる旋律は、聴く者の心を波立たせ、心の奥底に隠した欲望や哀しみを無理やり引きずり出すような、美しくも猛毒を孕んだ響きを持っていた。
「……遅かったのね、太陽」
美音はピアノの手を止め、ゆっくりと振り返った。
彼女のEgo Cube『奏』が、透明な宝石のように輝く立方体として胸元で微かに光っている。
「すまない、美音。
少し野暮用があってね」
「野暮用?
……ああ、あの『完璧な女神様』のところから、ようやく私のもとへ来てくれたってわけね」
美音は立ち上がり、音もなく太陽に近づいた。
彼女から漂う、甘く退廃的な香水の匂い。
美音の白く細い指先が、太陽のジャケットの襟元に触れ、そのままネクタイをゆっくりと緩める。
唇が触れ合うギリギリの距離。
太陽は逃げないが、それ以上踏み込むこともない。
「……相変わらず、冷たいのね。
5年前、私が突然音を失って暗闇で死にかけていた時は、無理やり私に光を見せたくせに」
美音は、恨めしげに、しかしひどく甘えた声で囁いた。
5年前、彼女は極度の精神的プレッシャーから突発性の難聴に陥り、太陽のもとに相談に訪れたことによって救われた過去がある。
彼女にとって太陽は絶対的な恩人であり、同時に、自分の音楽という魂の奥底を理解している「狂おしいほどの依存対象」だった。
互いの精神の最も深い部分で共鳴し合い、相手の反応を試すようなこの「寸止め」のやり取りを、美音はある種の麻薬のように楽しみ、太陽もそれを受け入れていた。
「美音。
君の専属メンタルカウンセラーとして、ワールドツアーに同行する件だが」
太陽は、彼女の手を優しく、しかし有無を言わせぬ力で握り、自分の胸から引き離した。
「……あら、やっとその気になった?」
「ああ。
だが、ただそのツアー期間。
……君のピアノで、僕を『地獄』へ導いてほしいんだ」
美音の目が、面白そうな玩具を見つけた猫のように細められた。
「真澄さんから聞いた。
君の透明なEgo Cube『奏』は、その土地に染み付いた過去の楽曲の世界観を可視化し、共鳴させるプリズムになる。
……君がその曲を弾いている間だけ、僕が『奈落』へ潜るためのゲートを開くことができるそうだ」
「……ふふっ。
いいわよ、太陽」
美音は、テーブルにあった太陽が飲みかけのグラスを手に取り、彼が口をつけたのと同じ場所に自分の赤い唇を重ねて、ワインを飲み干した。
「最初のツアー先は、フランス・パリ。
……オペラ・ガルニエの地下に広がるカタコンベ(地下墓地)の上に立つ劇場よ」
美音は、ピアノの椅子に再び腰掛け、悪魔的な微笑みを浮かべた。
「そこで私が弾くのは、フランツ・リストの『死の舞踏(Totentanz)』。
……怒りの日(怒りのディエス・イレ)の旋律を主題にした、逃れられぬ死と絶望のパロディよ。
リスト自身が死の恐怖に憑りつかれ、狂気の中で書き上げたと言われているわ」
美音の指先が、鍵盤を激しく叩き、重厚で不気味な低音が部屋を震わせた。
彼女の透明なEgo Cubeが、月の光と音楽を吸い込み、床にどす黒い「影」を落とし始める。
「あなたは地獄の底を見て、私の元へ帰ってこられるかしら?太陽」
「帰ってくるさ。
……君の奏でる旋律が、僕をこの世界に引き戻す道標になるならね」
太陽は、床に広がり始めた漆黒の影、事象の地平面へのゲートを見下ろした。
愛と受容だけでは救えない、絶対的な絶望がそこにある。
光と影が交差する、美しくも残酷なワールドツアー。
無間地獄を綴る巡礼の旅が、今、静かに幕を開けた。




