終焉
ある日のこと、賢一から昭雄に電話が架かって来た。
それは空一面の青が目に眩しい晴れた日だった。
「父さん! 母さんが……倒れた。
来てくれ。病院は………。」
昭雄は頭の中が真っ白になった。
何度も何度も「和子……待ってろよ。今から行くからな。待ってろ。」と言っていた。タクシーの中で……。
目の前に恵子が……賢一が居る。その家族も………。
「どうしたんだ? なんで、みんな、泣いてるんだ?」と言いつつ、足は止まってしまった。
「父さん……母さん、今……息を引き取った。」
「嘘だろ? 嘘に決まってる。
和子が何故?……何故、死ななきゃならないんだ?」
「父さん………。」
「お前………これから幸せにならないと……。
和子……かずこぉ………俺が……不幸にしてしまって……ごめん。
お前を幸せにしたいと思っていたのに……ごめん。和子……かずこぉ……。」
「父さん……今更だよって、母さんが怒るよ。」
「怒って欲しい……和子に怒って欲しい………。」
「父さん………父さんは、そんなこと言う資格無い。」
「賢一……。」
「誰が!………母さんに苦労させたんだ。父さんだろう。」
「………………俺のせいだ……分かってる。」
「一応、呼んだだけ……だから……。俺達の子どもの為に……。」
「父さん、私らの子ども達にとって、父さんはお祖父ちゃんだからね。」
「うん………………かずこ………済まなかった………済まなかった。」
「姉ちゃん、俺は、母さんに父さんより長生きして欲しかったよ。
親孝行……させて欲しかった。出来なかった……。」
「うん、私も同じ。したかったね、親孝行……。
母さん……母さん………もう終わったね。辛かったよね。
……天国は青い晴れた空だけかな……………お花咲いてるのかな。
母さんが好きなお花が咲いてたらいいね。」
葬儀の時、和子の近所の人達は言った。
「見事な最期だよな。
誰にも迷惑掛けずに……ボランティアなんかして……。」
「最期の前の日、元気で挨拶してたよ。
急死だったのよね。」
「あんな風に死ねたらいいな。
元気で過ごして、急死。」
「そうよね。」
和子は小さな骨壺に入った。
何事も用意をしっかりしていた和子。
終活を早くもしていたようで、預貯金から、延命治療などについても事細かく書き残していた。
それは葬儀などについても、骨壺の大きさまで記していたほどだった。
家族だけの葬儀を和子は望んだ。
「お金は生きている人の為に使いなさい。
私が死んだら、荼毘に伏すだけでいい。
残ったお金は貴方達で使いなさい。」
そして、最後に……。
「恵子、賢一、二人は親孝行してくれました。
子どもはね、3歳までに一生分の親孝行をすると言います。
可愛いでしょう。3歳までの子。
それで、親孝行は終わり。
3歳までで終えた親孝行、後の子育ての時間は親が人として学ぶ時間。
いっぱい学ばせて貰えました。
非行にも走らず、私は子どもに恵まれました。
二人には心から感謝しています。ありがとう。
今まで充分な事してあげられなくて、本当にごめんなさい。
恵子、賢一、ありがとう。
どうか健康で幸せな人生を歩んで下さい。 和子」
母を見送った恵子と賢一の脳裏にはある歌が繰り返されていた。
和子の鼻歌……。
「守もいやがる ぼんからさきにゃ」
和子に「どこで覚えたの?」と恵子は来たことがある。
すると、「どこだろう? 京都の子守歌だと思うわ。京都で覚えたから……。」と答えが返って来た。
何故だか、恵子も賢一も和子が途中までしか覚えていない「竹田の子守歌」で育った。
和子が歌う「竹田の子守歌」は昭雄も聞いたことがある。
そして、昭雄の脳裏に若かりし頃の和子が浮かんだ。
「和子……歌ってたな。
恵子を背負って家事をしながら……
覚えてる……他の妻のことは思い出せないのに、な。」
「思い出せない?」
「あぁ……三番目に至っては顔は思い出すんだけど声は忘れた。
二番目の……お前達を捨てるきっかけになった恵は……
姿形も声も思い出せるけど……それだけなんだな。
なんだろうな……生活の中の恵を思い出せないんだ。
和子の想い出は生活の中だ、な。」
「そうなんだ。」
◇◇◇◇
昭雄は恵子にも賢一にも介護されずに亡くなった。
自分から老人ホームに入所して、成年後見人を選出を経て、預貯金からのホームへの入居費の支払いなどを成年後見人に任せた。
成年後見人の選出だけ恵子と賢一が行った。
恵の子への相続は遺留分のみにした。
会っても居ない子、会わせて貰えなかった子だからだ。
恵子と賢一には恵の子の遺留分を差し引いた分が相続された。
昭雄が老人ホームで繰り返し言っていたことがある。
「俺の妻の名前は和子って言うんだ。
可愛いんだ。
子守歌が上手かった。
出逢いは、会社なんだ。
同じ会社でね。
その時の工場長が進めてくれた縁談だったんだ。
最初は嫌だったけど、一緒に暮らしてたら、いつの間にか妻だ、と……
そう思ったんだ。」
「お父さん。」
「和子……どこ行ってたんだ?」
「……お父さん、私は……言っても分からないか……。」
「和子、ハンカチ。」
「はいはい。これでしょう。」
「何時ぞ昔のハンカチを……まだ持ってる。」
「和子……ご飯。」
「夕飯はまだよ。」
「まだか………和子、恵子は?」
「ここに居ますよ。ここ!」
「寝た。姉さん、父さん寝てるよ。」
「ハンカチ、握り締めて取れないわ。」
「このままで、いいんじゃない?」
「そうだな。」
ホームを恵子と賢一が出る時、賢一が恵子に聞いた。
「あのハンカチ、何なんだ? 姉ちゃん知ってる?」
「あれね、曰く付きのハンカチなのよ。
あれはお父さんが家を出て帰って来なくなった時に持ってたハンカチ。
お母さんが買ったハンカチなのよ。」と答えた。
昭雄は一人で逝った。
恵子も賢一も間に合わなかった。
恵との子とは絶縁状態で、連絡先も分からず、成年後見人が遺産相続で連絡先を調べて連絡した。
遺留分だけだが「見知らぬ父からの贈り物だ。」と言って受け取った。
葬儀は恵子と賢一が執り行った。
昭雄は捨てた妻との間の子が人生の終焉に当たり、支えてくれたことをどう思い人生を終えたのだろうか。
二人の親を見送った恵子と賢一は、何故だかグレープの「無縁坂」を二人とも思い出した。
「姉ちゃん、グレープっていうデュオ覚えてる?」
「さだまさし?」
「うん。」
「覚えてるよ。」
「あの歌……♪母がまだ……♪っての覚えてる?」
「覚えてる。」
「母さん……みたいだな。」
「うん……そうだね。」
♪母がまだ 若い頃 僕の手を引いて
この坂を上る度 いつも溜息を吐いた
溜息吐けば それでいい 後ろだけは見ちゃ駄目と
笑ってた白い手は とても柔らかだった
運がいいとか 悪いとか 人は時々 口にするけど
そういうことも 確かにあると 貴方を見てて そう思う
忍ぶ 不忍 無縁坂 噛み締めるような ささやかな 僕の母の人生♪
気が付くと姉と弟の二人で口ずさんでいた。
恵子がポツリと言った。
「不倫は誰も幸せにしなかったね。」
その日の空も晴れ渡っていた。




