第一章 7
「阪田さん、あんた、さっきから俺とも美貴とも、まともに目を合わさん。そんな気合で娘を守れるのか、一生?」
愕然としている阪田の代わりに、美貴が口の奥でポツリと呟く。
「……ガンテツだって、人の事は言えないでしょうが」
「何っ!?」
「私や母さんの前で断言できる? 一人の女だけ、今まで一途に愛してきたって」
「……それは」
「心の中に、ずっと母さんしかいなかったって言える? ねぇ?」
「俺は浮気など、せん」
「私、そんなの聞いてない!」
徐々に大きくなる美貴の怒声は、彼女のそれまでの軽い言い回しとは違い、何処か悲痛な響きが含まれていた。
幼い少女が泣き出す間際のように固く拳を握り締めていて、阪田にはまだ見た覚えがない婚約者の姿に思える。地下深くから突如として噴き出すマグマにも似た感情の迸り……
この不仲な父と娘の間に、一体何があったのだろう?
仁王立ちする二人の間で、ぶつかり合う眼差しが青白い火花を散らす。その場にいる者はみな息を呑み、いたたまれずに立ち上がった。
「なぁ、言ってみな、オヤジ。何なら二年前みたく表へ出て決着つけよっか?」
「美貴、やめなさい!」
珍しく大声を上げた光代を見て、美貴は唇を噛み、うなだれる。
轍冶も視線を落とし、何も言おうとしない。
居間の空気が重く淀み、阪田は黒岩家が抱える未知の領域、容易に部外者が近づけない壁の存在を感じていた。
それでも今、踏み込まなければ、おそらく永遠にこの家の一員にはなれない。
「あの……自分は一途です! この命、黒岩二尉に捧げております」
一つ深呼吸し、直立不動の姿勢で阪田が叫ぶ。
「機甲自衛隊が発足する前、航空型VCの訓練生として出会った時から黒岩二尉は特別でした。初対面なのにそう思えず、何というか……運命を感じたんです」
「運命? それって一目惚れ?」
「少なくとも、自分は二尉ほど信頼できるパートナーを知りません。如何に危険な戦場でも背中を預けられるし、命がけで守る覚悟もある」
「でもそれ、仲間や友達に向ける気持ちと同じだよね? 恋と違うじゃん」
畳み掛けてくる真希の突込みに、阪田は又も口ごもるが、
「……同じなんだ、俺には」
必死で頭をめぐらし、阪田はこの時、一つの結論に達していた。
「自分、家族がおりません。赤子の時、養護施設の前に捨てられていたそうです」
阪田の告白を聞き、真希の顔から軽薄な笑みが消えた。
「施設では周囲に馴染めず、高校卒業後、入った自衛隊で自分の居場所を見つけました。仲間と寝食を共にし、同じ使命を奉じて精進する毎日に、生きがいと安らぎを感じる事ができた」
轍冶の目は、まだ厳しい視線をこちらへ投げてくる。
「今の自分にとって、自衛隊こそ家族に近い存在です。そして、もし本当の家族を持てるとしたら、そこで絆を得た黒岩二尉……美貴さんしか考えられない」
今度は阪田も真っ向から轍冶を見返した。想いを己の眼差しに込め、祈る気持ちで婚約者の父親へ向ける。
「普通の男がする恋とは違うと思います。自分、変わり者ですけど生まれて初めて美貴さんとなら家族になれる、なりたいと思いました。今も、この先も、ずっと」
しばしの沈黙の後、先に視線を逸らした轍冶の頬は微妙に緩み、少し痙攣したように見えた。
「……あんた、酒飲むか?」
固い轍冶の表情から意図が掴めず、阪田は当惑しつつ頷く。
「俺は、もう随分飲んでない」
「はあ」
「飲むか、その内、久々に」
又、轍冶の頬が痙攣した。
様子を伺う光代と伝が、そっと顔を見合わせる。
「馬鹿ねぇ。阪田さんを気に入ったなら、そう言えば良いのに」
「あの顔、目が笑ってない分、身内以外には意味不明ですもんね」
「自分じゃ笑顔で交際を許したつもりなのよ、きっと」
二人の囁きは阪田に届かない。
どう応えればいいか迷う内、彼の鳩尾を更に強烈な衝撃が襲った。
深く上半身を捻り、十分な溜めを加えた渾身の右ストレートを、美貴が阪田へブチ込んだのだ。
「……二尉、何で?」
阪田を見る美貴の表情は険しく、一見、激しい怒りをたたえている様だが、
「あ、嬉しいんだわ、あの子」
「昔から喜びが頂点に達すると手が出る癖、ありますものね」
「美貴、照れ隠しで顔しかめちゃうから、やられた側は訳わかんないのよ」
「意味不明なトコ、父親そっくり」
娘の真意を見抜き、伝と顔を見合わせたまま、光代がため息を漏らす。
一方、的確過ぎる婚約者の痛打を食らい、呼吸困難に陥った阪田はよろめき、畳へ片膝をついた。
ドンっ、と居間に響く音がする。
だが、それは一人の男が立てる音にしては大きすぎた。空気を揺らし、窓の外から飛び込んで来たようだ。
「……何、今の?」
真希が辺りを見回す間に、轍冶が素早く縁側へ出た。
「北……あれは品川か?」
真希も縁側に出ると北西の方角、高層ビルが立ち並ぶ辺りで黒煙が上っている。
「まさか、爆弾テロ!?」
居間では、伝がテレビをつけていた。
緊急速報が流れ、緊張した面持ちの女子アナが、ギャロップグループ本社ビル=カンイチ・タワーの異変を伝えている。
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