エピローグ 2
父としんみり酒を酌み交わした翌日、黒岩亜紀も又、旅立ちを選択している。24世紀に対する好奇心が表向きの理由だが、本音は美貴が気掛かりだったのだろうと思う。
柘植統弥との別れは、一見、淡々としていた。
旅立ちの三日前、前にも使った事が有ると言うスペイン料理店のディナーが二人のラスト・デートだったが、その一部始終を真希は……いや、美貴、阪田、黒岩製作所の全従業員、それに今は亡き柘植壮介の腹心・米倉匠までもが固唾をのんで見守っている。
それは持ち前の野次馬スピリットを漲らせ、有閑マダム風に変装してレストランへ潜入した福間伝のお手柄だ。
近くのテーブル席を確保した上、伊達メガネに仕込んだビデオカメラで盗み撮り。ネット経由で黒岩家の仮住まいへライブ中継したのだが……
色々あったその果てで、爛れた大人の関係は過去の物となったらしい。
パソコンに繋がれたテレビ画面へ皆が目を凝らす中、亜紀も統弥も淡々とメニューを平らげていく。互いに多くの言葉を交わす事は無く、愁嘆場の雰囲気とも、修羅場の殺気とも程遠い静かな展開が続く。
「あ~、つまんねぇ……」
「こりゃ、ト~ヤ! お前ェのメンタル、豆腐で出来てんのか! 何ンか、言え! 何ンか、しろ! これだからエリートさんってのは、よぉ」
最初ワクワクしていたトクさん、タケちゃんがぼやき、
「ぼっちゃん、キャップの遺言、忘れたんですか!」
と米倉が檄を飛ばしても、レストランまで声が届きはしない。
唯一、動きが有ったのは店の玄関を出、二人で通りをしばらく歩いた後の別れ際である。軽い握手を亜紀が求め、握り返そうとして、統弥の表情が歪んだ。
夜空を仰ぎ、奥歯を噛み締める胸中に何が去来したのだろう?
その場で膝を折り、上体をぐっと前へ倒したのは、路上で土下座する気だったのかもしれない。彼は彼なりに「思いっきりカッコ悪くふられる」つもりだったのだと思う。
差し出した握手の代り、亜紀は指先でそのオデコに触れた。
統弥はもう動けない。
1トンの重量をものともしない亜紀の指先は、男の土下座を軽々と受け止め、少しかがんで「謝る相手が違うでしょ」と耳元へ囁く。
「……え?」
「昨日、私も謝りに行ったわ。話を聞いて貰えなかったけど、閉め切られた玄関ドアの前で、精一杯のお詫びをしてきた」
「まさか……俺の家へ?」
「ふふっ、怖かったぞぉ。ベクターと戦った時の何倍も」
統弥はしばらく絶句していた。
事情を知る米倉の言葉によれば、亜紀との関係を告白して以来、彼は家に入れてもらえず、侘しい家族との別居生活を強いられていたらしい。離婚も最早、時間の問題と思われたが、
「土下座するなら、死ぬ気で奥様へ」
「……ああ」
「今度は逃げるなよ、ボス」
「ああ」
「ちゃんとできたら、ハナマル、あげちゃう!」
微かに頬を紅潮させ、恥じらう様に笑って彼女は統弥へ背を向け、歩き出して二度と振り返らなかった。
「俺の、可愛い……怪物さん……」
ぼうっと立つ統弥の背に「ア~ラ、ごめんあそばせっ!」と追い抜きざま、肩でタックルぶちかました伝の態度は、黒岩家で見つめる全員の不完全燃焼を体現していたのだと思う。
何とか堪えた統弥は、亜紀と反対の方向へ向って歩き出し、むしろ吹っ切れた表情を浮かべていた。
その後、離婚の危機も辛うじて乗り越えたようだが、見た目と中身は決して同じではない。
真希が成人した後、統弥の誘いで時折り一緒に酒を飲むようになって、現在に至るまで飲み友達の関係を続けた結果、否応なく理解する。
大鋼人事件後、更に出世の階段を駆け上り、警察庁長官にまで至るエリート中のエリートが、何時まで経っても「初恋」へ未練を引きずる切ない胸の内を。
いやいや、あんたの親父さんが言い残した「カッコ悪さ」って、そんなんじゃないでしょうが!?
言いたい気持ちは山ほど有る。
そりゃあるヨ、コンチクショウ!
でも長い時が過ぎ、あの過酷な戦いの思い出をしみじみ語り合える相手は真希にとっても貴重だ。
人気の無い場末の居酒屋へ足を運び、チビチビ呑んで、グチグチ過去の傷をなめ合うオッサン二人……まぁ、「カッコ悪い」にも程があるわな。
亜紀の方は、内心どうだったんだろう?
何せ、見栄っ張りの姉貴だ。とうとう旅立ちまで本音は聞けなかったけれど、過去を引きずるのが誰より似合わないタイプなのは確かだ。
きっと又、向うでも相変わらず「恋多き女」を気取ってんじゃないかな?
機甲自衛隊元幕僚長・笠井宗明は退職後、悠々自適の生活に入り、96才を迎えた今も元気だ。
大鋼人事件に関するマスコミの取材には一切口を開かず、回顧録の執筆も拒否。
苦労を掛けた年上の奥さんをねぎらって世界各地へ旅行し、写真付きの絵葉書を半年に一度は黒岩製作所へ送ってくる。
やはり大して衰えないまま笠井家との交流を保つ米倉匠の言に曰く、初めから老けてる奴は後で長持ちするモンだ、とお馴染みの飄々とした口振りで嘯いているらしい。
黒岩製作所の社員が進んだ道は様々だ。
アカネさんは15年前、娘夫婦と孫に囲まれ、大往生を遂げている。
トクさんとタケちゃんは再び海外へ放浪の旅に出たが、今度は傭兵ではなく、統弥の活動を密かに手伝っているらしい。
シゲル、こと真壁茂はギャロップの専務になった。それどころか、次期社長の有力候補なのだと言う。
唯一、工場に残ったツネタさんは、今や欠かす事のできない職場の重鎮だ。正直な話、ツネタさん抜きでは、黒岩製作所はとっくに潰れていると思う。
轍冶は……
あの頑固オヤジは、もういない。
最後まで妻の病気を看取り、その後は仕事に没頭する毎日を送って、64才の時、心筋梗塞でこの世を去っている。
あまりに呆気なく、真希には長い間、実感が湧かなかった。ナナの血で異能を得た事が時を経て悪質な副作用を生じ、突然死につながったのかもしれない。
親父が倒れた時、側で仕事をしていた真希は、微かにその口が動くのを見た。
誰かの名を呼んでいたようだが、妻か、初恋の人か、最後まで明確に聞き取る事ができなかった。
今の真希には、それはどうでも良い事に思える。二人とも間違いなく轍冶の心の礎だったのだから。
どちらがいなくても、オヤジの生涯は決して成り立たない。
真希にとって、来宮七海がそうであるように……
旅立つ日の朝、七海は『繭』のリラクゼーション・ホールへ真希を呼び出し、花壇で芽吹いた若草に二人で水をやった。
「また、会おうね」
ポツリと七海が言う。
赤色巨星化した未来の太陽を癒す為には、ガンテツは紅炎を突破し、分厚い対流層と放射層を通り抜けて、太陽核付近まで到達しなければならない。
制御に成功したとしても、生還は限りなく不可能に近い筈だが、
「でも、可能性はゼロじゃない。希望があるなら……いつかもう一度、真希君と会う為になら、頑張れる、私」
そう言って突き出された小指に、真希は自らの小指を絡めた。
「会おう、必ず」
繋いだ指が離れるまで、真希の人生で最も長い数秒間が経過し、永遠に色褪せない誓いの記憶となる。
以降、彼は何度、夜空を見上げ、光輪を探した事だろう?
次元断層・再出現の可能性は極めて小さい。
二つの世界の時間差からして、仮に光輪が開き、姉や七海に会えたとしても、自分だけ年老いている事だろう。
それでも空を見上げずにいられない。
可能性は常に、ゼロではないから。
「ガンテツ……ねぇ、起きて……」
小さな指のデコピンを額に感じ、真希は一時の微睡みから西暦2037年の現実へ引き戻された。
「行こっ、ガンテツ! ママが晩御飯、できましたって」
今年、5才になる孫の珠季が呼びに来てくれたようだ。
それにしても、父のあだ名で俺が呼ばれる羽目になるなんて……
家政婦を退職した後、ネット動画でアニメ評論をし、そのジャンルにおける草分けの一人になった福間伝が、今でも黒岩家へ時折り遊びに来るから、孫はその影響を受けたのかもしれない。
だからって、幾ら何でも、さぁ。
そもそも、そんなに似てないだろ?
そりゃまぁ、年を取れば見た目は近づいてくるしさ。俺、前より口数が減った。多少、偏屈かもしれンが、あの頑固親父ほどじゃない。
「……ガンテツ、又、お仕事してるの?」
珠季が原稿用紙に手を伸ばすと、真希は慌ててそいつを丸め、机の引き出しに放り込んだ。
これは私家版。家族へ受け継がれる密かな記憶の為だけに綴られる物語。
「……出来上がったら、真っ先に見せてやるからな」
黒岩真希は、頬を微妙に痙攣させ、極めてわかりにくい微笑を浮かべた。
今日のおかずはポトフとヒジキ。
娘はいつも作り過ぎるが、これも我が家の伝統と言う奴かもしれない。
Fin
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます。
でも黒岩家の物語は、まだ終わっていません。
少し時間はかかるかもしれませんが、続編を構想しています。
いつか、皆様に御目にかけられるよう微力を尽くしますので、その際、ご覧頂けると幸いです。
とりあえず、次はホラー系の短編を一週間後くらいに投稿させて頂くつもりです。
そちらにつきましても宜しくお願い致します。




