第二章 7
『シェルブールの雨傘』……日比谷の映画館は混んでいました。
午後三時からの回で、隣に座った轍冶君は眠そうにしてたけど、私は面白かったわ。祖国の戦争で生き別れ、再会を果たすのに結ばれない恋人達が切なくて、スクリーンに釘付けでした。
ナナさんも、夢中で見てたっけ。
映画館を出る頃には午後5時を過ぎていて、外の風は冷たかった。
11月も半ばを過ぎ、季節はすっかり冬。
私、ツィッギーばりのミニスカートを用意してたんです。出がけの寒さに負けて厚手のワンピースに着替えて出たのに、それでも通りを歩くと身震いしました。
ナナさんは古着屋で買ったばかりだと言う色褪せたコート姿で、幾らなんでも貧相だと菊川さん、ぼやいてた。
轍冶君なんか、お馴染みの作業服にイガグリ頭で、眉に微妙な皺寄せてる。
もうお洒落の欠片も無いデートでした。でも落ち葉が風に舞い、淡い光彩の街灯が灯り始めた銀座は、歩くだけでも楽しい。
「なぁ、記念写真、撮らない?」
三越のライオン像前で菊川さんがそう言い、私が預けたケースからカメラを出した。轍冶君が壊して、『繭』で修理した後、やたら調子良くなっちゃった、あのカメラです。
「私、その……写真は苦手で……」
ナナさん、妙に逃げ腰だったわ。
でも、記念に一枚だけ、他の誰にも絶対見せない、と轍冶君が約束し、私と一緒にライオン前へ立たせたんです。
「後は、誰かに撮影、頼むべ」
キョロキョロ辺りを見回した轍冶君が、急にハッと目を見開いた。
「あ、あんた……無事だったのけ!?」
「やぁ、奇遇だね」
視線の先では、モデルみたいに綺麗な彼女を連れた、背広姿のカッコ良い紳士が片手をあげてました。
「女川の突堤じゃ特別なチョッキを上着の下につけていた。備えあれば憂い無し、さ」
「……んだなす」
私が知り合いかと尋ねたら、轍冶君、宮城で助けてくれた恩人だと言います。
その恩人は気さくにカメラを受け取り、私達を撮影した後、自分から柘植壮介、と名乗りました。
「ここで会ったのも何かの縁。良かったら、僕に食事でも奢らせてくれないか?」
柘植さんの誘いは如何にも軽く、屈託のない遊び人の口調に聞こえたわ。
「良いだろう? 見た所、僕らと同じく君達もデートのようだし」
「俺は構わねぇども」
「まぁ、奢りなら、断る理由は無いよな」
調子の良い菊川さんが頷く側で、ナナさんは体を固くしていました。
「できれば、もっと君達とお近づきになりたいんだ、僕は」
「……その前に答えて下さい。ずっと見張っていたんですか、私達の事?」
噛みつくようなその口調に、事情を知らない菊川さんは呆気にとられ、声の方へ向き直った。
「どうしたんだ、ナナさん。そんな怖い顔しちゃってさ?」
彼女、それには答えず、じっと柘植さんだけ見つめていました。
「あなたの目的を教えて下さい」
「う~ん、友達になりたいってだけじゃ、駄目かな」
「工場も見張ってるんですか? 今、ここで会ったの、偶然じゃありませんよね?」
ナナさんの鋭い視線を、柘植さんは笑って受け流した。そして言葉を選びながら、告白を始めたんです。
「警察に出ていた捜索願から黒岩君の身元を調べ、大田区の徳寛電機へ辿り着いた。大鋼人事件の真相を知る為、どうしても詳しい事情を直接訊く必要があるからね」
「私の所在が知れれば、まず警察が動くと思っていました」
「うん、彼らを使う手も考えた」
「では何故、こんな回りくどい方法を?」
「神出鬼没の君が逃げたら、元も子もない。巨人の存在も考慮すると、情報を秘匿した上で優しく説得するのがベスト」
「やっぱりあんた、スパイだなし。日本政府の? それともアメリカ?」
「ふふっ、世の中は、君が見るB級活劇ほど単純にできちゃいない」
柘植さんにあしらわれ、轍冶君の眉間の皺がグッと深くなりました。
「二匹の怪物に、得体の知れない三人組。僕が見た所、国家レベルに収まらない地球規模の災いが動き出してる」
モデルみたいな女性は私達と距離を取り、さり気なく周囲へ目を配っていました。きっとデートは見せ掛けで、柘植さん直属の部下だったのでしょう。
「ナナさん、だったね。僕の見立て、間違っているかい?」
「……いずれ真相はお話します。もう少し時間を下さい」
「待てない、これ以上」
柘植さんはナナさんの手を取り、強引に引き寄せようとした。
その時、何かが起こりました。ナナさんの体から眩い火花に似た光が迸り、周りにある街灯の白熱電球が全て破裂したんです。
呆然自失の菊川さん、今度はビックリして飛び上がった。
「……おい、ガンテツ、何だ、コレ!?」
轍冶君、答えるどころじゃありません。
ナナさんの火花を目撃した通行人達が、小声で囁き合っていました。言葉は聞こえずとも、その険しい眼差しで彼らが何を考えているかわかる。
少なくともナナさんには伝わった筈です。日常を乱す『異物』への恐怖や嫌悪を示す、露骨な感情の唸りが……
彼女、耐えられずに駈け出した。
その後を追おうとした轍冶君の前に、柘植さんが立ちはだかります。
「轍冶君、こうなったら君が聴取に協力するよう、彼女を説得してくれないか?」
「……ナナさんには、ナナさんの都合があるっちゃ」
「国家の危急に際し、個人の思惑に拘ってはいられない」
「彼女の気持ち、どうでも良いだか!?」
「そうは言わんが、しかし……」
「戦後に、この国は生まれ変わった筈だべ。お国やお偉いさんの都合で誰か泣いたりしねぇ。一人一人の人間の気持ち、何より大事にする国に」
街灯が消えた薄闇の中、轍冶君の瞳の奥で燃え盛る炎が見えました。
「俺、ナナさんに聞いたっぺ。米軍が宮城で爆弾を落とした時、港の被害はお構いなしに見えたって」
その剣幕に柘植さん、少しだけたじろいだみたい。
「社長が言ってた。テレビも新聞もウソばかり。昔の大本営発表みてぇだって」
「……そう」
「ホントは何ンも変わってねぇのか? あんだけ町が焼け、人が大勢死んだのに、命令する誰かが入れ替わっただけか? なぁ、答えてけれ! 何時か、この国は何もかも元通りになっちまうのか!?」
職場で理不尽な目にあったら、言う事を効かない代わりに固く口を閉ざすのが、いつもの轍冶君です。
あんなに熱く、胸の中の想いを口にする彼、私は始めて見た気がする。
「俺、あの人に未来が楽しみだと言った。信じてンだ。明日は昨日より良い。絶対、良くなるに違いねぇって!」
言い終えると同時に、轍冶君はナナさんが消えた方角へ走り出した。
私も、後を追いました。
菊川さんが後ろで何か叫んでいたけど、何を言っていたかは覚えていません。
大交差点を渡った先、丸っこい屋根の日本劇場ビルがあり、日劇ダンシングチームが出演するレビューの垂れ幕が、色とりどりのネオンに映えていました。
ナナさんは、その入り口脇の物陰で佇んでいた。
心細そうな立ち姿でした。改めて、自分が異邦人に過ぎないと思い知らされた、そんな気持ちが滲んでた。
私が交差点の手前で信号待ちしている間、ナナさんに駆け寄り、話しかける轍冶君の姿が見えました。
怒っている様な、励ましている様な、頬が強張る彼独特の表情を浮かべて、何か必死に訴えていた。
口下手だもん、言うだけムダよね。
そう思いながら、私が変わらない交通信号に焦れていると、ふと二つの影が近づき、重なるのが見えた。
唇が触れ合ってる。
キスしてる、アイツ。18歳の私も、まだした事ないのに。
胸の中でカチンと……いえ、もっと重く鈍い音がして、息が苦しくなりました。
何で二人が一緒にいると落ち着かない気分になるか、わかった。もう自分に嘘はつけそうにない。
妬いてるんだ、私。
「……いやはや、これはいけないな」
青信号になり、通行人の波が交差点を埋めても動けない私の背後で、柘植さんの声がしました。
「このままでは彼も、君の家族も、彼女の抱える問題に巻き込まれていく。個人が対処できるレベルでは到底無いのにね」
振り返ると、柘植さんが憐みの眼差しで、静かに私を見下ろしてた。
「君、工場の外へ、彼女一人だけ連れ出してくれないか?」
「……捕まえるの、ナナさんを?」
「邪魔の入らない所で、話を聞くだけさ」
「本当に?」
「決して彼女を傷つけない。誓うよ、元帝国軍人の誇りにかけて」
優しい柘植さんの声を聞く内、私、自然に頷いてた。
昔からの悪い癖です。大事な時には、いつも間違う。
後で死ぬほど後悔するのに、必ず……
読んで頂き、ありがとうございます。




