第一章 17
黒岩家の一番長い日が始まります……
ところで、1990年代に巷を騒がした「ノストラダムスの大予言」ってご存じですか?
<1999年7月20日(火曜日)>
大規模な爆破テロから一月以上が経過し、昼下がりの品川は少しずつ以前の活況を取り戻しつつある。
黒岩真希は、来宮七海と見たばかりの映画について語り合いながら、人々の雑踏が生む熱気を感じていた。
カンイチ・タワーの辺りはまだ通行止めの有り様だが、遠目で見ても再建が進んでいるのは良くわかる。
実際、日本人って奴は逞しい。太平洋戦争の後、焼野原から立ち上がった時もこんな感じだったのだろうか?
終戦後の立志伝中の人に、真希は縁も興味もある。轍冶の言いつけで、あまり表向きにはできない事なのだが……
彼の母、黒岩光代は、ギャロップ・グループの創始者たる徳田寛一の一人娘で、現在、黒岩製作所の敷地になっている所に元は徳寛電機の工場があったそうだ。
光代が轍冶と結婚した時、色々モメて勘当され、それでも仕事上の付き合いだけ延々と続けてきたとか。
真希は生前の寛一翁をよく覚えている。
勘当されたと言いつつ、寛一が元気な頃、光代は時々、真希を連れ、実家に戻る事があった。
凄く優しい爺ちゃんだったな。
今、轍冶が仕事に使っているオート三輪も、元は徳田寛一の愛車で「ニコニコ号」なんて時代臭漂う名前をつけていたそうだ。
親父と爺ちゃんが揉めなければ、今頃、俺は大金持ちの跡取りだったかもしれないのになぁ。
ま、昔の事は良いや。
今日は四年前に制定された海の日という祝日で、ボンクラ高校生にとって、休みが増えるのはいつだって大歓迎。
ましてや、デートだ。
七海と映画を見るのは二回目だった。最初は邦画の恋愛もので、今日は大ヒットしたSFシリーズの最新作。真希の好みに七海の方が合わせてくれている。
これって思いやり? それとも、愛?
真希が密かにニヤケていると、立ち止まった七海が彼の顔を覗き込んだ。
「ねぇ、これから何処行こっか?」
「……そうだな、ゲーセンなんてどう? 何か欲しい物あるなら、モールぶらつくのも良いよね」
「私が行きたいトコ、知ってる癖に」
「え? 俺、わかんない」
「……いじわる」
七海は少し唇を尖らせてみせた。転校してきた頃の、無機質で冷たい感じは今の彼女から消えている。
単に七海が人見知りなだけかもしれないが、殆ど別人だ。印象と言うのは、変わるもんだなぁと真希はつくづく思う。
「真希君の家、行こうよ」
「また?」
「またって……真希君の部屋で、何度か一緒に勉強しただけでしょ」
「まあね」
「できれば工場の中とか、もっと見たかったわ。働いている人、みんな良い人だし」
「そういうの興味あるんだ?」
「だって、私のパパも技術者だから」
真希は、七海が住むマンションの部屋へ上げてもらった時の事を思いだした。
彼女の父は大手建設会社の社員だと言う。インドで大きなビルの建設工事に携わっており、母親も帯同していて、日本には七海一人で残っているそうだ。
最小限の家具だけ置かれた空疎な部屋に生活感は乏しく、一人で寝起きする七海の寂しさが伝わって来るようだった。転校当初の無愛想も、今の危なっかしいほど無防備な人懐っこさも、その孤独の反動かもしれない。
「工場を覗くのは構わないけど、仕事中だとガンテツ、何を言い出すか」
「大きな仕事がもうすぐ終わり、暇になるって聞いた。きっと今なら大丈夫」
「……それ、誰に聞いたの?」
「真希君のお父さんに」
「いつ?」
「いつだったかな? 多分、前に真希君の部屋で勉強した時じゃない?」
屈託なく、七海は笑う。
でも、彼女と一緒にいて、そんな会話が出た覚えは無い。そもそも轍冶と話す機会なんて七海には殆ど無かった筈だ。
昨日、ブラスバンドの練習が終わった直後に戸川衣里が近づいてきて、そっと告げた言葉が胸に蘇る。
「……知ってる? 来宮さん、黒岩君のお父さんと二人きりで会ってたって」
衣里も自分に気があるんじゃないか等と自惚れていた真希は、いきなりの衝撃に言葉を失った。
「喫茶店で何か話していた所を友達が見たって言うの。結構、噂になってるよ。知らないのは、黒岩君だけかも」
それだけ言って、衣里は逃げるように真希の側から去った。
真偽を確かめたくても、衣里はそのまま帰宅し、男子の友達は噂なんて知らないの一点張りだ。
日頃の人付き合いの悪さがこういう時に祟る。
仕方なく、真希は開き直る事に決めた。
取り敢えず、信じたくない事は信じない。あの親父が恋敵なんて悪夢はトコトン願い下げだ。黒いノッペラボーだって、そいつに比べりゃずっとマシ。
確かに厄介な父親ではあるものの、轍冶の誠実さは本物だと真希は思っていた。むしろ固すぎる性分だから、超年下と浮気するキャラでは有りえない。
あの時、抱き着いてくる七海を受け止めた親父の表情は、今も気になるけど……
口走った「ナナ」って名前、アレ、一体、誰の事なんだろ?
わだかまるモヤモヤを一旦棚上げにし、真希は、ビルのショーウィンドウに映る自分の姿を横目でチェックした。
そりゃイケてるとは言わねぇが、五十過ぎの爺ィに負けるトコなんて何も無ぇよな?
ちょいクールに笑ってみて、真希はガラスに映る他の人影の動きに気付いた。
警らする警官の数が妙に多い。
街頭の至る所で重装備の警官が屯し、頻繁に連絡を交わしているようだ。そう言えば朝の出がけ、根黒島から運河にかかる橋を渡って平和島へ向う時も、大勢の警官を見た。
政府の緊急発表があるとか、テレビのニュースで言ってたけど……又、テロでも起こるのかな?
デートで高揚した気分がへこみ、真希は首を大きく振り回して、気合を入れ直した。
オヤジだろうと、警官だろうと、俺の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて何とやら、だ。
読んで頂き、ありがとうございます。




