第一章 15
さて、頑固オヤジに結婚を認めてもらい、幸せド真ん中の筈の猛獣娘とフィアンセはあれからどうなったのでしょう?
航空自衛隊・岐阜基地は明治初期に建設された旧陸軍の大砲射撃場に端を発し、大正時代から運用される年代物の飛行場を持つ事もあって、航空マニアに広く親しまれてきた。
空自の一部から発展・独立した経緯を持つ機甲自衛隊の航空型VCセクションは、当初よりここに本拠地を置いている。
発令されたばかりの機構改革で市ヶ谷新庁舎への中枢移転が決まっていたが、黒岩美貴はこの基地の滑走路が好きだった。
所々、古臭さが残る施設のあちこちに、日本の空を駆け抜けた先駆者の息吹を感じる。
通常勤務があける午後五時、ドックから滑走路を横切って宿舎を目指す内、吹き渡る夏の風が美貴の頬を撫でた。心地よさに顔を上げるとまだ陽は高く、青々とした空に浮かぶ入道雲の白さが眩しくて、柄にもなくセンチな気分になる。
現在の彼女の任務は、VC操縦のノウハウを配属されたばかりの新米に教える事だ。
笠井幕僚長に出撃を直訴し、謹慎の原因を作った張本人である以上、「虎鉄」のコクピットから降ろされた裏には譴責の意味合いが含まれている筈。しかし、それだけが理由という訳でも無い。
一応、美貴は奈良の幹部候補生学校を卒業しており、VCに慣れたパイロットが少ない現状で、教官職は当然の役割と言える。
それに機甲自衛隊の戦力拡大は、過去に例を見ない急ピッチで進んでいた。
美貴の愛機「虎鉄」の改良型である単座式の二種、対VC戦に特化した「村正」、大型で補給抜きの長期航行ができ、戦略爆撃機としての運用も可能な「正宗」が、間も無くロールアウトするらしい。
その配備が予定通り進んだ場合、機甲自衛隊は間違いなく世界でも抜きんでた制空力を有する一軍となるだろう。
まぁ、美貴の立場からすれば、強くなるのに越した事は無い。それに、意外と彼女の教官役は後輩の受けが良かった。
アレコレ言うより、ヒタスラ実践。
言葉で説明するのが苦手だからそうなるのだが、具体的な操縦のコツが感覚的に伝わり、教わる側は実にわかりやすい。
もし誰か生意気な態度を取ろうものなら、約30秒後、黒岩家お手伝いさん直伝の強烈なデコピンが飛ぶ。
「言っとくけど、教育的指導じゃないから。コレ、ただの暴力だから!」
パワハラと非難されても仕方ない状況なのに、胸を張って開き直る美貴のふくれっ面は、反感より先に親近感を生んだ。
約15秒間、必死でムカッ腹を抑え込もうとするその顔が、パイロット間で囁かれている「狂犬」伝説のギャップと相俟って、「健気で可愛い」などという恐ろしく間違った認識に繋がっている。
阪田三佐に話を聞かせれば、さぞや大笑いする事であろう。
でも、彼と言葉を交わす機会が現実には殆ど無かった。美貴と同時にパイロットの任を解かれ、阪田は内勤に異動している。
職場が違えば日中会えないのは仕方ないとして、問題なのは勤務を終えたプライベートタイムだ。
向こうから電話が来ない。
前は煩いほどかかってきた食事のお誘いが今は全く無し。
同じ宿舎の2階と3階に住んでいる分、廊下で顔を合わす機会くらいは有るが、
よう、元気か?
いつものノリで美貴がそんな風に肩を叩いても「ちょっと忙しい」などと硬い表情で生返事をし、軽く敬礼だけして早々に立ち去ってしまう。
業を煮やし、夜に部屋を訪ねようとした事もある。
阪田の名札がついたドアの手前で、ノックしようとして美貴はふと自分の荒い鼻息に気づいた。
いや、殴り込みにきた訳じゃなし……
冷静になろうと息を整え、それがうまくいかない事を美貴は思い知らされた。
男の部屋を夜中に一人きりで訪ねるなんて経験、その時が生まれて初めてで、ドアノブを握る指先が震えている。
いや、夜這いしに来た訳じゃなし……
笑い飛ばそうとして、却って彼女の胸の鼓動は激しさを増した。
夜這いなんて言葉を思い浮かべるから、二人で一緒に眠った日の、阪田の温もりをリアルに思い出してしまったのである。
ケンカの場数に比べ、恋愛経験値が著しく乏しいのを改めて悟り、その日、美貴は肩を落として自室に戻るより他は無かった。
正直、今だって会いたい。すぐにでも会いたいけど、どうすりゃ良いんだ、コンチクショウ!
こちらから、電話を掛けても出ないしな。やっぱり避けられてるのかな?
あいつに愛想をつかされる理由が、私に何か……あぁ、ダメだぁ、心当りが多すぎて、もう何が何やら!?
少なからず自爆気味に心を巡らせ、何時の間にか、美貴は宿舎に辿り着いていた。
正門の方から玄関前を見ると、引っ越しのトラックが停まっていて、家具の類をコンテナへ運び込んでいる。
そして路上に立ち、業者と話している男の姿は、確かに阪田だ。チラリと正門へ目をやり、美貴の存在には気付かぬ振りで、宿舎の駐車場へ歩いていく。
「あのォ、すンません。これ何処へ行くんですか?」
トラックへ近づき、美貴はドライバーに訊ねた。すると、目的地は東京の市ヶ谷にある賃貸マンションだ、との答えが返ってくる。
市ヶ谷?
そう言えば、機甲自衛隊全体の機構改革に先立ち、新庁舎で幕僚監部の再編が進んでいるそうだ。もしかしたら、何か大きな作戦が立案されているのかもしれない。
そして、全ての主導権を握る榎将補は、阪田が自衛隊に入隊した当初からその才覚に目を留め、何かと後ろ盾になってきたと言う。
例えば、今回も幕僚監部に参加させた上、補佐役として自分の身近に置く意図があるとか……?
美貴は駐車場へ走った。
丁度、阪田の愛車が裏門へ向う途中で、その進路上に両手を広げ、通せんぼする。
「二尉、危ないぞ。無茶するな!」
車の運転席から阪田が怒鳴った。
「無茶はどっちだよ? 何も言わないで、いきなり引っ越し!?」
フロントグラス越しに睨みつけられ、阪田はやむ無く車を降りる。
「……異動するんだろ、市ヶ谷へ」
「ああ」
「栄転じゃないか。何で、私に言ってくんないんだよ?」
「人に話すなと、上から言われた」
「……他人だったっけ、私と三佐は?」
美貴の言葉に責める口調は無い。駆け込んできた時の勢いが失せ、本気で戸惑う気持ちだけが、苦しげな瞳に浮かび出す。
「一応、その……フィアンセって奴だよな。親にも結婚の許しをもらったし」
阪田は無表情で、何も言おうとはしない。
「品川で、何があってもついてくるかって聞かれた時……凄く嬉しかったんだぞ、私!」
ぐっとこみ上げるものがあり、美貴は唇を噛み締めた。
泪をこらえて歯を食いしばり、アチコチ引きつる美貴の表情が、阪田の秘めた思いを胸の奥底から引きずり出す。
「……黒岩二尉、子供みたいな顔、するな」
「悪かったわね、ガキで」
婚約者のむくれた声を聞き、阪田は思わず苦笑した。目尻に三つ、見慣れた皺が寄る。
「噂によると、VCの新人に自分だけの必殺技を作れ、と指導しているそうだが」
「良いアドバイスだろ」
「で、その技の名前を叫んで命中させたら、威力が倍になると教えたんだって?」
「……なる、とは言ってない。ような気がする、と言っただけ」
「二尉……君という人は……」
ふくれっ面を維持しつつ、内心、美貴はホッとしていた。困った顔が7割、呆れ顔が2割5分。独特なバランスの微笑を浮かべた阪田が、やっといつもの彼に戻ったと感じる。
でも、それは束の間に過ぎなかった。
「もっと大人になれ、黒岩二尉」
吐き捨てるように言う瞬間、阪田の顔から一切の感情が消える。
「曲がりなりにも軍務を生業とするなら、私情で動くのは論外だ。有事の際、家族や友人との絆より遥かに組織の秩序が優先する」
「……そりゃわかってるけど」
「わかっていない。二尉は全然わかっていない」
阪田の瞳が白目の部分まで黒く澄み、何処までも深く、空虚な穴のようだった。
美貴が知らない顔……いや、遠い昔、何処かで見たような気もする。
「今の俺は、課せられた使命の為なら、敵が何者であろうと、躊躇わずに銃口を向ける事ができる」
「へぇ、んじゃ、私が相手でも?」
その言葉を、美貴はふざけて口にしたつもりだった。彼に笑い飛ばして欲しかった。
でも、帰ってきたのは鋭い眼光。
美貴の瞳もいつの間にか、淡く青い光を発している。彼女の感情ではなく、本能の部分が目の前の男を敵と認識し、秘めた『力』を発動させようとしている。
「どけ。先を急ぐ」
運転席に戻り、阪田はいきなりアクセルを踏み込んだ。轢かれる寸前、ボンネットに手を付き、美貴は車体のルーフに飛び乗る。
「……てやんでぇ、ベラボウめ」
いつもの怒号ではなく、小さく呻いた美貴の踵がルーフを踏み、でかい凹みを作った。
車は構わず加速し、路上へ飛び降りた美貴には呆然と見送る事しかできない。
不思議と、もう涙は出なかった。
大人になれ、そう告げる男の言葉が、さよなら、の意を含んでいた事くらいは、美貴の乏しい恋愛経験値でも十分に理解できていたから……
読んで頂き、ありがとうございます。




