第一章 12
「……駄目だっ、墜ちる!」
海に誘導するつもりだった敵フライトユニットが、人々の行き交う京浜国道沿いの路地へ墜落し始めた時、阪田は悲痛な声を上げた。
せめて軌道を変え、幾らか人気の少ない所へ落とす事ができたら……
血走った目で下方を映し出すモニター画面をチェックすると、丁度、取り壊し中の廃屋が右手に見えた。
あそこなら、いけるか?
阪田は虎鉄を回り込ませ、ピンポイントに狙いをつけて、横合いからミサイルを撃ち込む。
エンジンが爆発した勢いで敵機は進路を変え、地響きと共に廃屋へ墜ちた。しかし、尾翼と思しき一部が大きく弾け、予期せぬ方角へ舞い上がる。
その先を見て、阪田は息を呑んだ。
青いワンピースを着た小柄な少女が立っている。その側で同じ年頃の少年が、巨大な金属片の飛来になす術無く、身を竦ませている。
遠目ながら少年のヒョロリとした体格と、安っぽいTシャツに見覚えがあった。
まさか……まさか、あれは黒岩家の!?
× × × ×
まさか……こんな風に死んじゃうなんて、想像もしてなかったな、俺。
黒岩真希はその時、現実味も時の感覚も無い呆然自失の境地で只、死の訪れを待っていた。
隣に立つ来宮七海にも恐れの色は無い。と言うか、人間らしい感情は一切、その表情から窺えない。
何が原因か知らねぇけど、やっぱ、イカれてんだろうなぁ。
ここにいたら危ないと何度説得しても、光の輪とか、ガンテツとか、妙なセリフを繰り返すばかりで……訳わかんね。
でも不思議と真希に後悔は無かった。間近で見て、言葉を交わした七海は、二日前にフラれた戸川衣里より断然可愛い。
後はちょこっとでも笑ってくれたら、我が人生に一片の悔い無し、なぁんて、マンガみたいな気持ちになれるかも?
戦闘機の尾翼が迫る絶体絶命の一瞬、走馬灯のように浮かぶ妄想へ浸り、体がペシャンコになるのを覚悟して真希は目を閉じた。
ドォンと轟音が鼓膜を震わせ、衝撃が全身を揺らす。
だが、痛みは無かった。代りに、何か硬くて、温かい物に覆われるのを感じる。
目を開くと不気味な顔が間近にあった。
昭和39年に現れたという、あの大鋼人と同じ青き眼光。黒金色の皮膚。体温を発していても、そこから柔らかい肉の感触は伝わってこない。
全身が鉄だ。鋼の装甲だ。
少し離れた路上にでかい金属片が見えた。目の前の男が真希達を庇い、その背で受け止めて弾き返したらしい。そして、何より真希を驚かせたのは、その人間離れした鉄人の顔が、見慣れた父のしかめっ面、そのものであった事だ。
「真希、大丈夫か?」
声も、やはり轍冶だった。
「……親父か!? あんた、本当に俺の?」
無言で真希を見る鉄人の皮膚が少しずつ白くなり、鋼の体が丸みを取り戻していく。
「何なんだよ、コレは!? あんた、これじゃ、丸っきりバケモノ……」
微かに轍冶が表情を歪め、俯いた気がする。だが、その姿が完全に元へ戻るより早く真希の隣で七海が叫ぶ。
「ガンテツ! やっと見つけた」
轍冶を見つめる七海は、可憐な笑みを満面に浮かべていた。見返す轍冶は愕然とした面持ちで、大きく目を見開いている。
「……誰だ、この娘?」
「来宮七海、俺の同級生」
「……ななみ……ナナ!? そんな筈は」
呻く轍冶に七海は飛びつき、愛しげに胸へ頬ずりした。
更に意外だったのは、轍冶も又、躊躇いながら彼女の背に腕を回し、そっと抱きしめた事だ。
途方に暮れる真希の胸に、先刻、美貴の放った言葉が蘇る。
心の奥で妻・光代以外の誰かを愛し続けていると、姉は父を糾弾した。いきなりでピンと来なかったが、あれと今の光景に何か関係があるのか?
頭が真っ白になり、その時の真希は気づかなかった。テロリスト迎撃任務を終えた頭上の虎鉄が、何故か急降下を始めた事に……
× × × ×
高度低下に伴う空気抵抗を計り、奇怪な鋼人=黒岩轍冶へ狙いを定めて、機銃のトリガーに指を掛ける。
いつもの手順を踏みつつ、阪田由久は、強烈な殺意に身を委ねていた。
彼は、もう数分前の彼ではない。
オート三輪を降りた轍冶が真希の危機に気づき、何らかの手段で助けたと悟った時には心から安堵したのだが……
義父となるべき男の異常な変貌を目撃した途端、阪田の中でも何かが変わった。
あいつを殺せ、と誰かの声がする。
いや、誰かじゃない。あれは俺の声だ。
長らく忘れていた俺の決意だ。
黒鉄色の皮膚をした轍冶の姿が、身の丈40メートルを超える巨大な鋼の巨人に見えてくる。
極めて危険な怪物……俺は、あいつを殺す為、長い旅をしてきた。でも何処から? 何時から、俺は旅をしてきたのだ?
阪田の記憶が歪み始める。
捨て子として育てられた少年時代、寂しかった養護施設での記憶が霞んでいく。
そうだ、自衛隊に入隊したあの日まで俺は『阪田由久』じゃなかった。でも、思い出す作業に、今更、何の意味がある?
途轍もなく長い時を費やし、追い求めてきた標的が現れたと言うのに。
「三佐! ねぇ、阪田三佐、応答して!」
指に力がこもる寸前、通信装置のスピーカーから発する美貴の声が、彼を『阪田』の意識に引き戻した。
美貴を愛する『阪田』の感情が、もう一つの意思を退け、機銃に安全装置を掛けて、操縦桿を引く。
一気に虎鉄を上昇させる阪田の目に、父と言い争う真希の横顔が映った。
ああ、あの顔にも見覚えがある。
正確に言えば、真希が成長する前の、まだ幼児だった頃の顔だ。薄暗い場所で、あいつは逃げ惑っていた。
追い詰めているのは、俺か?
廃屋らしきビルの窓ガラスに映る空洞のような眼、表情さえまともに判別できない黒い影が俺なのか?
何処かで幼い真希が泣いている。
女が二人、倒れているのが見える。
近づいて、中学生くらいの少女を見下ろすと、現在の美貴の面影があった。
そして、足元に広がる不快な泥濘。これは血か? 美貴と、その姉と思われる女の体から溢れ出ているのは、明らかに致命的な量の鮮血……
何だ? 何なんだ、この記憶は!?
俺は、美貴と会っていたのか? 自衛隊で出会うずっと前に?
いや、違う。
偶然に出会ったんじゃない。俺は近づいた。彼女に明確な意思と目的を持って。
「ねぇ、三佐……怒ってンの? 断りも無しに援護射撃したのは悪かったよ」
スピーカーから流れる婚約者の声を聞き、阪田は首を何度も横に振った。刻一刻、否応も無く蘇ってくる記憶の幻影に抗い、思い出すまいとした。
今の『阪田』でいたかった。
美貴との未来を失いたくなかった。
「本当にゴメン……私、三佐が敵を引き付けてるとわからなくて」
愛する人は、本気でしょげていた。こんな時の美貴は可愛い。猛獣だからこそ醸し出す愛らしさに満ちていると心から思う。
「もう良いんだ。帰投する」
「うん」
「……なぁ、美貴」
「ん?」
阪田が階級ではなく、名前で呼んだ事に、この時の美貴は気づかなかった。
「……ずっと、ついてきてくれるか? この先、何があっても」
「バ~カ、寝言は寝て言いな」
照れた声でそう言われ、阪田は美貴の寝顔を間近で眺めた夜を思い出した。
初めて結ばれた夜、俺、あいつをいつまで眺めていても飽きなかったっけ。
阪田は熱くなった目尻を手の甲で拭おうとした。でも、ヘルメットが邪魔で、流れ落ちる涙はそのまま放っておく事にした。
良いさ。どうせ、これが人として流す最後の涙になるのだろうから。
読んで頂き、ありがとうございます。
二日ほどお休みを頂き、2月1日より再開させて頂きます。




