1109年11月18日 ビルト城
大通りに多くの人が出ている。
これからユリース王女が、初めて公式にビルト住民の前に出る。
ビルト、マスケア、メルケル、トラギス、旧トラギア、それからトカ砦の周辺地域からコルテス島まで。
数百年前の大トラギアを彷彿とさせる広大な領土を、ユリースを中心とした戦勝組が治める事になる。
今日はその第一歩になるのだろう。
民や兵は一様に高揚した様子で、ユリースの登場を待つ。
そんな人々とは対照的に、城の窓から虚ろな目で通りを睨む男。
ジャンだった。
「あの日」以来、ジャンはこの新しい国の行く末を考える事が出来なくなってしまっていた。
何もかもが空疎に映る。
あの女、ディディロのせいで。
まんまと騙された。
みすみす逃げられた。
簡単に殺せただろうに、敢えて生かされた。
恥辱、屈辱。
頭を掻きむしりたくなる。
いっそ殺されていれば、と思う。
武人として、人として最大の侮辱を受けた。
ユリースをひと目見ようと通りに殺到する人々が無遠慮に視界に入ってくる。
ジャンは心を乱す。
彼らにはこの平和を謳歌する資格があるのか。
彼らは、ある意味で加害者ではなかったか。
彼らのなかには、辺境や他国を蔑む気持ちがまだあるのではないか。
民を憎むような、絶望するような気持ちが自分の中に湧いてくるのを、ジャンは止められずにいる。
あの日の翌日、地下で発見された遺体がジャンの母メイラであった事がミーナによって確認された。
ディディロと名乗ったあの女は、魔法が使えなくなって慌てて、メイラとすり変わる事を思いついたのだろう。
今考えれば、違和感はあったのだ。
あの女が纏う空気。
あれは善なるものでは無かったではないか。
警戒していたつもりが、まるで甘かった。
信じる要素など、ひとつもなかった。
オルドナはあの女ひとりによって狂わされたのだろうか。
王はいつまで生きていて、どんな思いで死んでいったのか。
メイラはどんな思いで20年の牢獄での月日を過ごしてきたのか。
父は王の死を・・・恐らく知らなかったのだろう。
10年前の自分の選択は正しかったのか。
そんなことまで考えるようになった。
あの時・・・トラギア崩壊のあと、メルケルにとどまらずビルドに戻り内側からオルドナの暴走を食い止める努力をすべきでは無かったか。
そうしていたらば、父はどうしただろう。自分の味方をしただろうか。母のことをジャンに伝えただろうか。
暴走するオルドナを止め、新しく正しい国を作るのが目的だったはず。
その願いが叶おうかという時なのに。
大通りにユリースが姿をあらわす。
芦毛の馬、ピカピカに磨かれた銀鎧。
トラキア騎士団の手甲、黒い大剣。
民衆が沸き立つ。
出鱈目な人気だ。
それもそうだ。
救国の英雄、亡国の王女、圧倒的な武勇。
物語でも、ここまで揃った王など出てこない。
脇に控えるのは、ロレン率いる近衛兵団。
トラギアの国旗が誇らしげにはためく。
キャスカは「トラギア連邦」と言っていたか。
王国でなく国や街の連合体。
連邦内は同じ法と同じ軍により統治される。
前にトニとキャスカが考え出した、「戦後」の世界。
ジャンは固く握っていた拳をゆっくり広げる。
指先に血が通うのを感じる。
新しい国はいま、どうか。
北方は暫くは動いてこない。
他に軍事的驚異はない。
軍の仕事は暫くは治安維持のみ。
再編成は・・・平時のそれは、言ってしまえば誰でも出来る。
人も育って来ている。
政治は・・・問題が山積みだ。だがキャスカに任せておけば、なんだかんだでなんとかするだろう。
それに、オルドナに愛想を尽かして隠遁していた人材達が、新しい国に力を貸そうと言ってきているらしい。
トニもコルテスが落ち着けばきっと帰ってくる。
─オレが居なくても、なんとかなる。
ジャンはくるりと窓に背を向ける。
─ここはもう、任せよう。
─オレはあの女を探す。
─そして・・・?
いくら考えても、その先自分がどうしたいのかがわからない。
「まあいいか。もともと闇雲に行動するのが性に合ってんだよな。」
そう呟いて、ジャンは流浪の旅に必要なものを考えながら、歩きだした。





