第16話「地獄の底で」
屋敷の中へ足を踏み入れると、外から見た豪奢さに違わず、内装も無駄に金がかかっていた。
赤い絨毯が長く廊下を走り、壁には高そうな絵画や装飾が並んでいる。天井には魔道具らしき照明が灯り、夜だというのに屋敷の中は昼間みたいに明るかった。
だが、そんなものに見惚れている余裕はない。
所々にメイドの姿があり、巡回する警備兵の足音も聞こえる。柱の陰や開け放たれた部屋の死角へ身を滑り込ませながら、俺は慎重に屋敷内を進んでいった。
ティア……。どこにいるんだ。
客間らしき部屋を二つ、三つ。やたら広い食堂。誰もいない応接室。二階へ上がる階段の先まで見て回ったが、ティアの姿はない。
焦りだけがじわじわと増していく。
「くそ……っ」
小さく舌打ちした時だった。
廊下の突き当たり、壁の装飾の一部が妙に不自然なことに気づく。近づいてよく見ると、継ぎ目がある。試しに押してみると、かすかな音を立てて壁が奥へ引っ込んだ。
隠し扉。
その先には、細い石の階段が下へと伸びていた。
屋敷の中にこんなものがある時点で、まともじゃない。
嫌な予感が喉元まで這い上がってくる。
俺は息を殺し、階段を下りていった。
一段、また一段と下りるごとに空気が変わる。
湿っている。重い。まとわりつくような生ぬるさが肌に張りついて、鼻を突く臭いが濃くなっていく。
「うっ……なんだこの臭い……」
思わず口元を手で覆った。
血の匂い。
それだけじゃない。何かが腐っていくような、鼻の奥にまとわりつく生臭さが混ざっている。
まるで人が腐敗したような臭いと血の匂いが、淀んだ空気の中で混ざり合っていた。
既に嫌な予感は頭をよぎっていた。
いや、予感なんて生易しいものじゃない。もう半分くらい確信していたのかもしれない。
階段を下り切った先には、薄暗い地下通路があった。
石壁にかけられた魔道具のランプが、心許ない明かりを揺らしている。
そのまま一番奥まで進む。
すると、そこには鉄格子の牢がいくつも並んでいた。
壁際には手術台みたいな寝台があり、その周囲には錆びた鎖や、用途を考えたくもない器具が無造作に置かれている。
「ッ……」
喉が詰まる。
さらにその奥。
床の隅には、見るも無残な数人の女の死体が転がっていた。
肌は青白く、血の跡が乾ききって黒ずんでいる。
もう誰にも助けを求められないことだけが、一目で分かった。
「なんだよ、これ……」
吐き気が込み上げる。
今までにも、こいつはこうやって大勢を玩具にしてきたんだろう。散々弄んで、最後には飽きたように捨てる。そんな光景が、見たくもないのに頭の中へ浮かんだ。
だが同時に、その中にティアの姿がないことへ、ほんの少しだけ安堵している自分もいた。
まだ、間に合う。
そう思って来た道を引き返す。
他の場所だ。まだ別の部屋があるはずだ。
その時だった。
バチンッ!
乾いた音が、どこか近くで響いた。
「ぐふ、ぐふっ……。さっさとわしのものになれ。一言、“あなたの奴隷になります”と言うだけで楽になれるんだぞ?」
男の声。
「ふざ、けるで……ない。妾は……誰の下、にも……つかんッ!」
「強情なやつめ! だが、そんな女を屈服させるのも、また楽しい……のッ!」
バチンッ、バチンッ!
「っく、ああッ!」
その悲鳴を聞いた瞬間、全身の血が逆流した気がした。
今の声……ティア!?
通路の先、一際大きな扉の向こう。
間違いない。あの声はティアだ。
次の瞬間には、俺はもう走っていた。
扉の前まで駆け込み、迷わず蹴りを叩き込む。
轟音と共に重い扉が内側へ吹き飛んだ。
「な、なんだッ!? 誰だ、貴様はッ!」
室内に怒鳴り声が響く。
声の主は、醜く太った男だった。
脂ぎった身体に似合わない高価そうな装飾品をいくつもぶら下げ、下は下着のようなもの一枚。手には血の滲んだ鞭を握っている。
こいつが……アルノルト伯爵。
だが、俺の視線はそいつを通り越して、その先に釘付けになった。
「ユ、ウマ……」
壁際。
両手を手錠で繋がれたティアが、弱々しく声を漏らした。
息が止まる。
肌のあちこちに赤い線が走っている。肩も腕も脚も、無数の傷が刻まれ、裂けた服の下から血が流れていた。
普段は偉そうに胸を張っているティアが、今は痛みに耐えるだけで精一杯みたいに荒く息をしている。
その姿を見た瞬間、俺の中で何かがぷつんと切れた。
音もなく、確かに。
「待ってろ。今助ける……」
自分の声が、やけに静かだった。
けれどその静けさの底で、煮えたぎる何かが渦巻いているのが分かる。
怒りだ。
どうしようもなく湧き上がるこの感情を、もう抑えられない。
「き、貴様……! 誰に向かって――」
「黙れ」
俺は一歩、前へ出た。
抜けば代償がある。
分かっている。
あれが何を持っていくのかも、少しは思い知ったばかりだ。
それでも。
目の前でティアがこんな目に遭わされていて、止まれるわけがなかった。
俺は静かに腰の刀へ手をかける。
「ぶち殺す」
言葉と共に、鞘から《黄泉》を抜き放った。
あとがき
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