第0話「最後の一振り」
乾いた金属音が、狭い工房に何度も響いていた。
カン、カン、と一定の間隔で打ち下ろされる槌の音は、夜更けの静寂を容赦なく砕いていく。赤く灼けた鉄から火花が散り、薄暗い室内を一瞬だけ白く照らした。
熱い。
炉の熱気のせいだけじゃない。肺の奥が焼けるように痛み、息を吸うたび胸の内側を錆びた刃で掻かれているみたいだった。喉の奥には鉄臭い血の味がへばりつき、何度目かも分からない咳が込み上げてくる。
「……っ、げほ……!」
あぁ、くそっ。もうあまり時間がない……。
たまらず口元を押さえる。掌にべったりと付いた赤黒い血を見ても、今さら驚きはなかった。
――末期癌。
そう告げられたのは、もう何ヶ月も前のことだ。治療法はあるらしい。もっとも、それは治すためのものではなく、俺に残された時間を引き延ばすだけの処置に過ぎなかった。
長くはない。その事実だけは、嫌でも分かっていた。
なら、せめて最後まで仕事をしたかった。
俺は鍛冶師だ。
生まれつき身体は丈夫じゃなかったし、要領だってよかったとは言えない。世の中にはもっと器用な人間も、もっと恵まれた人間も山ほどいたのだろう。だが、それでも鍛冶だけは手放せなかった。鉄を熱し、叩き、形を与える。その時間だけは、どうしようもなく好きだった。
だから、最後に一振り。
俺の人生の全部を叩き込むような刀を打ちたかった。
「……まだだ」
吐き捨てるように呟き、再び槌を握る。
腕は重い。指先の感覚も少しずつ曖昧になっている。視界の端は滲み、立っているだけでもしんどい。それでも手を止める気にはなれなかった。
今、作業台の上にあるそれは、ただの鉄塊じゃない。
何度も折り返し、削り、焼きを入れ、冷まし、また熱した。失敗もした。納得できず、最初からやり直したこともある。命が惜しいなら、とっくに諦めている。
だが、諦められなかった。
たぶん俺は、最後まで往生際の悪い職人だったのだろう。
赤く染まった刀身を睨む。
美しいものを作りたかった。
それはきっと、ずっと昔から変わらない。別に名声が欲しかったわけでも、大金が欲しかったわけでもない。ただ、自分が見て心から綺麗だと思えるものを、この手で作りたかった。
もっと普通の人生なら、違う夢もあったのかもしれない。
もっと健康な身体なら、遠くへ旅に出てみたかった。美味いものを食って、綺麗な景色を見て、何でもない日常をそれなりに楽しんでみたかった。
けれど、そんな当たり前を手に入れるには、俺の人生はあまりにも短すぎた。
だったらせめて、この一振りだけでも。
カン、と槌を振り下ろす。
鋼が応える。
もう一度。さらにもう一度。
ひび割れた呼吸を無理やり整えながら、俺は最後の仕上げへ入った。焼きの色、反り、重心、わずかな歪み。細部を詰めるたび、刀は静かに完成へ近づいていく。
そして、ついに。
最後の一打を打ち終えた時、工房の中から音が消えた。
静まり返った室内に、火の弾ける音だけがやけに遠く聞こえる。俺はゆっくりと槌を置き、作業台の上の一振りへ視線を落とした。
黒い鞘に収められた刀は、ひどく静謐だった。
派手な意匠はない。だが、そこにあるだけで空気が張り詰める。美しさと同時に、ぞっとするような冷たさがあった。まるで最初から、そこに“そうあるべきもの”として存在していたみたいに自然で、だからこそ薄気味悪い。
それでも、目を離せなかった。
「……綺麗だ」
掠れた声が零れる。
自画自賛だろうと何だろうと、これだけは認めざるを得ない。俺はようやく、理想に触れた。
震える手で刀を撫でる。
銘が必要だった。
この刀に、最後の名を与える。
――終ノ刀 《黄泉》。
その名を口にした瞬間、妙な静けさが工房を満たした気がした。
気のせいかもしれない。だが、そうとしか呼べないと思った。死の淵で打ち上げた、俺の人生最後の刀。その名として、これ以上はない。
「これで……ようやく……」
そこで言葉が途切れた。
膝から力が抜ける。視界がぐらりと傾き、床が迫る。受け身を取る余裕もなく、そのまま崩れ落ちた。頬に触れた石の冷たさが、やけにはっきりと分かる。
ああ、本当に終わりらしい。
不思議と恐怖はなかった。
未練なら、たぶん山ほどある。もっと生きたかったし、もっと打ちたかった。叶うなら、もっと自由に生きてみたかった。
けれど、その全部を呑み込んでもなお、《黄泉》を打ち上げられたことだけは、少しだけ誇らしかった。
薄れていく意識の中で、最後にもう一度だけ作業台を見やる。
そこには《黄泉》が、静かに横たわっていた。
俺の人生で、いちばん綺麗なものだった。
それを最後に、俺は――死んだ。
あとがき
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