一節『月の都で連なる』5
まばらに雨の降る丘を一台の馬車が走っていた。宙を走る四頭の馬に引かれたそれはわずかに装飾が施されており、最下層の貴族が乗っているようなものに似ていた。馬車自体としての大きさは二人がギリギリ乗れるような程度で、スペース的な問題で乗れなかったのだろう二つの人影が護衛かのように側だって歩いていた。
「それで?ルーナン・コリスってのはどんな町なんです。素直にお祭りが楽しめるって話じゃないんですよね」
「そうだな。今年は二百五十回目、千年の節目の年だ。何が起こっても不思議ではない」
「そんなに気にすることなんですか、……その魔女っての」
「いいや、今はそんなに気にするようなことでもないはずだ」
一歩一歩を確かな足取りで進んでいく者の名は勇者フォウ・リーフ。かつて魔王を倒し、世界共通の外敵を打ち滅ぼした者として名を馳せるものである。
そして勇者と会話をしているのは、かつて彼と共に戦った者の子孫である魔術師だ。いくらかの世代を超えてなお姿を変えぬ勇者に対して、魔術師の女が抱くのは尊敬でも恐怖でもなく、親友に近しい感情であった。
「今は……というと?」
「封印が解けない限りはってことだ。魔王って言うのは、魔女に支配されて暴走した王か、魔女そのものを指すものだ。それは知ってるだろう?かつての大国、今は亡き、神話大国……プレイテリア」
唐突に変わった話に若い魔術師は困惑の表情を浮かべたが、「えぇ」と短く、けれどしっかりとした返答をした。
「王の背後にいた魔女は私が、かつての友たちが、共に封印したんだ」
「封印するしかなかった……」
「そうだ。四肢を落とし、瞳を抉って、臓器を抜き取ったが、それでも魔女は死ななかった。それは君の家にも伝わってることだろう」
「──あれは人の身でありながら神に最も近しい存在になった。王の蓄えた知識、貴族が秘めし魔術、神殿が語りつぎし神秘と伝説、そして多くの民草の命を吸って、あれなる者は神になった。…………この伝承は必ず後世の世に語り継ぎます。それが私の、私たちの使命ですから」
かつて魔王と呼ばれた国喰らいの魔女が滅ぼしたプレイテリアと呼ばれる大国、その残骸がそろそろ見えてくる頃だろう。勇者はかつての記憶を掘り起こし、平原に視線を投げた。
剣聖と賢者、貴族に聖職者、……周辺国家からも戦えるものが集められ、魔王討伐が起こった時、自分は何を見ていたのだろう。彼はふとそう思った。森を焼き、街を拓き、国を崩して行われたそれ。そこで一番の戦果を挙げたのは勇者である彼で間違いなく、一番人を殺したのも彼であった。
「プレイテリアの近くに町が出来たと聞いた時は嬉しかったんだけどな……」
人の潰えぬ希望を見たかった。明日を生きようとする意地に期待していたのだ。だから勇者として、世界の守護者として呼ばれた彼は喜んだ。だが、それも一時の安らぎでしかなく、その町がいかにもな宗教を中心として出来上がったと知った時の勇者の顔と言ったら、それはもう酷いものだった。
だからこそこうして節目の年のたびに何か理由をつけてフルムーンを見上げに行くのである。天上と地の中程に浮かぶ七つの月、日常と化した非日常の魔女が眠る白い月を。
そんな時だ「よう大将」と、馬車の窓が開かれて野太い声が聞こえてきたのは。
「なんだノゲシ、町まで待てないのか」
「いいや?んなこたねぇよ、雨の中歩かせちまって申し訳ねぇぐらいだぜ」
「そんなに歩きたいならすぐに変わるけど?」
勇者に話しかけてきた男、ノゲシと呼ばれた彼は魔術師の少女の野次を無視して、続けて口を開いた。
馬車の中にまで会話が聞こえてきていたのだろう。その話題は魔王討伐に関しての質問だった。
「せっかくだから聞かせてもらいてぇんだが……、その魔王だか魔女だかってのはどんな奴なんだ?伝記やなんかである程度は分かってるんだが、戦う可能性が万に一つもあるなら知りたいんだ」
「さっきの話を聞いて、知識もある。それで十分だ。それでも一言で彼女を語るなら…………、そうだな『愛と知識の魔人』が一番合うか」
「愛って言われてもなぁ、俺にはさっぱりだ」
「妻子持ちが何言ってるのか」
「いやでもよ、あの伝説が真実なら異常としか言いようがないだろう」
「だから魔女なんだよ」
ノゲシは理解できないとばかりに視線を天へと向け、車内に顔を引っ込めていった。馬車の中でもう一人と魔女の会話でもするのだろうか、と勇者は思考を巡らせるものの、きっと答えはでないのだろうという考えに至った。
幾ら言葉を尽くしたところで、真人間に魔女が理解できるとは思えなかったのだ。
彼が初めて魔女と出会った時、魔女は当たり前のようにプレイテリアの王の隣に立っていた。王は何か魔術で操られていたわけでもなく、人質が居たわけでもない。それは明らかな異物であったが、彼女は笑顔で王の隣で佇むばかりである。
プレイテリアの歴代の王には特別な加護があり、幻術や状態異常に対する絶対的な耐性を持ち合わせている。それに加えて千里眼を持ち、決して道を間違えることはない──はずだったのだが…………結果として国は滅んでしまった。
「答えがわからないまま千年が経ってしまったな……」
「答えっていうと?」
「神は何をしているのかってな」
「神、ね」
素っ気ない返事で視線を逸らした彼女は神という存在を信じていないようであり、それは勇者からすればもの悲しいものがあった。
かつては、勇者が生きた伝説となる前は確かに神という存在は居たのだ。人々の生活に深く根ざし、世界のルールは神に沿って流れていた。そんな時代が過去には確かにあったのだ。
・勇者フォウ・リーフ
魔王討伐の際に神が遣わした過去の伝説、その影。もしくは神の力によって動く死体。
かつてこの名で呼ばれた英雄は一人も居ないが、彼の語りぐさからどこの英雄かは判断が出来る。
生前の彼は太陽神、剣王と共に魔王を討伐し、その後姿を消した。死んだとも本来あるべき世界に帰ったとも伝えられているが、答えは出ておらず、彼も語ろうとはしない。
彼の本来の名前はいくつかあり、それぞれが想いを込めた名前で呼んでいたようである。本名は不明。




