絶対魔王サバト様の思い付き
「ねえサバト……。そんなに落ち込まないでよ」
智将アズールは、お姫様ベッドの上で体操座りをし、落ち込んで、いじけて小さくなったサバトの肩を叩いた。
「じゃって、じゃってワシ……すごく楽しみにしてたんじゃもの……それなのに、それなのに……」
「よしよし……」
サバトはしゃくりあげて、前の日からお菓子を買い込んで、新品のかわいいリュックに詰め込んで、眠れずに待っていた遠足が、雨で中止になってしまった幼児のように、えぐえぐと泣いた。
「なんで、なんでじゃ、アズール。なんで魔族以外の生き物は、あんなに弱いんじゃ?」
「そう言われてもね……」
アズールの口調は、いつもの気安い口調に戻っていた――さっきまではドキュメンタリー撮影用のカメラが城の至るところで回っており、「できるだけカッコよく喋ってほしいのじゃ!」というサバトの要望を受けて、口調を変えていたのである。
「言いにくいんだけどね、サバト。実はあの人達、地下のダンジョンの時点でかなーり苦しくてね。予定時刻を大幅に押しちゃったのもそのせい。地下10階のドラゴンのあたりでもう半死半生になっちゃって、ボクが回復魔法で復活させたりしてたんだよ。そこからお尻を叩いて何とか3時間で玉座の間まで到達させたというわけ……」
「……まじか?」
「まじ」
「えーうそー……」
サバトは力なく叫んで、大の字になって横になる。着慣れない一張羅のドレスの裾がめくり上がったのを、アズールはそっと摘んで直した。
「うーん、くそう……!」
彼女は唸ると、バッと体を起こした。スプリングの効いたお姫様ベッドがぽよよんと波打つ。
「きっと、きっと、『最強勇者養成所』の教育システムがなってないのじゃ! これからワシがイチから、抜本的に改革してくる!」
「サバト……」
彼はふわふわとしたショートボブの髪をくしゃくしゃと掻いた。
「養成所の訓練メニューは何度も見直したじゃない? ついこの間だだって、『これで完璧じゃあ!』って言ってたじゃないか」
彼のサバトの声真似はとても良く似ていた。愛を感じる、と言ってもいいくらいだった。
「うーん……じゃが……なにか、何か改善点があるはずじゃ。それを探しに行かねば……」
「ねえ、サバト」
アズールは床におろしていた両足を、ベットの上にあげると、サバトの真正面に足を組んで座った。
「サバト。もう気付いてるだろう? 他の種族が弱いんじゃなくって、君が強すぎるんだよ。そもそも、世界中に存在する『強さ』は一定なんだ。君がそうやって、強い勇者たちを倒せば倒すほど、少なくともその『強さ』の一部は君のものとなり、君のもとに『強さ』が偏在していくことになる。それを繰り返しすぎたから、今や『強さ』は君のもと偏り過ぎてしまっているよ?」
「じゃが……」
サバトはドレスの膝に顔を埋める。
「じゃが、ワシ、戦いたい……ワシ、強いから。戦ってると楽しいし、戦ってないと楽しく無いんじゃもの」
アズールは小さくため息を付く。それは、サバトと3300年付き合い、彼女の性格や考え方をよく理解したあとに出た、優しいため息だった。
「なんでそんなに戦いに拘るんだい? なんで戦いにだけ、特別な楽しさを感じる?」
彼はサバトの気持ちを引き出すように尋ねた。彼女はしばらく黙っていたあと、
「……他の種族には、可能性があると思うんじゃ。弱くて、すぐ傷ついて、すぐ死ぬが、じゃからこそ、ワシら魔族には持ち得ない何かがあると思うんじゃ。そう信じるんじゃ。じゃから、それを試すことのできる戦いは楽しい……」
「うーん……」
その気持は、最強の種族である魔族と、最長寿の種族であるエルフに神の血を足したミクスチャーとして、数万年生き続けて来たアズールにはよくわからないものだった。
「どうして弱くて、すぐ傷ついて、すぐ死ぬのに、可能性があると思うの?」
「……言えない」
それは多分、言語化できないという意味と、秘密にしたいという意味の両方なのだろう。こういうところでは、彼女はたまらなく意地っ張りなのを、アズールはよく理解していた。
「そうか……」
彼は体を起こして部屋を見回す。
お伽話で、眠りについたお姫様が閉じ込められた城に絡みついた薔薇のような、巻き蔦の装飾が施された、真っ白い、大きな鏡台。薄いピンクのクッションを使った小さなソファー。クマとタヌキと、小さなドラゴンのぬいぐるみ。本棚に並んだ、異世界の少女漫画の数々。少しだけ香っている甘い香水。レースの天幕の付いたベットの真ん中に小さくうずくまっているこの部屋の主が、実は三千世界最強の絶対魔王サバト様なのである、という馬鹿げた設定を除けば、そこはまるきり、可愛い物が好きな、育ちのいい女の子の部屋だった。
「ねえ、サバト。少し気分を変えよう。そう、もう100年くらい、何か別のことに打ち込んでみようよ」
「うーん……またそれかぁ?」
確かに、それはデジャヴ感のある提案だった。
「なあ、アズール。確かに貴様はワシの気持ちがよくわかっておる。たまに、心を読まれとるのかと思う時があるくらいじゃ。実際、貴様が、この100年を待つ間に、気晴らしにやってみようと提案してくれた小型犬のブリーディングは、極めてよくワシの性にあっていたと思う。ワシって、凝り性じゃからな」
凝り性じゃなくて、君は可愛い物が好きなんだよ、というのは言わないことにした。
「じゃが、それも極めてしまうと退屈なもんじゃ。ここ20年くらいはなんか、変な『勘』のようなものが働いて、交配しなくとも結果がだいたい分かるようになってしまった。底が浅いというか、戦いほどの面白さは感じない」
「極めた……ね」
アズールは再び部屋を見回す。今度はさっきより1メートルほど上に目を走らせる。天井の角に沿って、数々の品評会で彼女が獲得した表彰状、トロフィーの数々、チャンピオン犬との写真が並んでいる。ブリーダーのワールドランキングで1位になった時に、当時育てていた犬達と中庭の真ん中で撮った写真の笑顔が眩しい。「勘」が働く、というのも、まんざら本人の思い込みではないのだろう。数多の部族に分かれる魔族の長である「魔王」の中でも、更に「絶対」的な魔王である「絶対魔王」になれる程のポテンシャルを持ってすれば、犬の将来を予測することは雑作もないことなのかもしれない。
「そうじゃ……」
ふっと、サバトが声を漏らした。そして、「そうじゃ!」「そうじゃ!」と繰り返して、クッションの効いたベットの上に、魔力を使ってひょいと立ち上がった。
「アズール、でかした! やっぱり貴様は最高の智将じゃ!」
「あ……、うん……恐悦至極にござりまする……」
「これはいい、これはいい考えじゃぞ!」
サバトはベットの上でぴょんぴょんと跳ねる。
「い、一体何なんだい?」
サバトは、ベットに腰掛けたアズールの体が浮くほど跳ね上がると、浮き上がったピンクの髪の毛に半分顔を隠して言った。
「ワシは『勇者』のブリーダーになるぞ! いい素材を見つけて、トレーニングして、交配させて、また育てるのじゃ! 犬と一緒じゃ、きっと楽しいぞ!」
それはぱっと聞くとかなり非人道的な発言だったが、アズールの耳には、サバト様にしては珍しく、割りと的を得ているように聞こえた。
小犬とは違って、エルフや半獣人、人間は生まれてから成人するまでの期間が長い。それは、能力を見極めて、交配させ、次の世代をうみ出すというワンサイクルがより長くなる、ということだ。ざっとエルフで100年、人間で30年、半獣人で10年といったところだろうか。彼らの能力というのは多岐に渡るから、「戦闘」に特化したものに絞っても、極めるまでには何百年、何千年かかるかもしれない。
……この場合、「極める」というのは、おそらく、サバトが倒される、ということを意味しているのだけれど。
そしてそうした中長期的な考えの他に、智将アズールの頭には、もう一つ、ある考えが浮かんでいた。
「よし! そうと決まればアズール、“魔族”は急げじゃ! ポテンシャルが高そうな最強勇者候補生を片っ端から集めるのじゃー!」
その慣用句が魔族的に間違っているのか合っているのかよくわからなかったが、とりあえずアズールは頷き、「御意」と言った。
跳ね上がるサバトのスカートの裾の中に、水色と白の縞パンが見えた。