あとがき
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
この作品を書き終えて、最初に思ったのは「ずいぶん遠くまで来たな」ということでした。
この物語の前半部分を書いたのは、2007年のことです。
当時、私はニューヨークで生きる一人の男性と、日本で生きる一人の女性の物語を書いていました。
二人は1998年の横浜で再会し、別れ、それぞれの人生を歩いていく。そこまでは書けていました。
けれど、その先が書けなかった。
二人をどうやって再び出会わせるのか。そして、再会した二人を、どこへ連れていけばいいのか。
結末が見つからないまま、原稿は長い間、屋根裏にしまわれることになりました。
17年後、その結末を突然見つけることになります。
2024年9月19日。
大谷翔平選手が、ローンデポ・パークで「50本塁打・50盗塁」という前人未到の記録を達成した日です。
この日の舞台を見たとき、私はふと思いました。
「ここで、二人を再会させればいい」
2007年の自分には、もちろんそんな未来を知ることはできませんでした。
けれど、あの日マイアミで起きた現実の出来事が、17年間眠っていた物語の続きを連れてきてくれたのです。
だから第12章のタイトルを「マイアミの奇蹟」としました。
これはサッカーの「マイアミの奇跡」を意識して変えたわけではありません。
以前から私は、吉元由美さんの文章が好きでした。「奇蹟」や「切なさ」といった言葉を、とても自然に、そして綺麗に物語の中へ置いていく。その言葉の使い方に憧れていて、いつか自分の作品でも「奇蹟」という言葉を使ってみたいと思っていました。
それが、まさかマイアミで二人を再会させる章のタイトルになるとは、2007年の私は知る由もありませんでした。
この作品のタイトル『This is the TIME』には、長く聴き続けてきた二つの楽曲への想いを重ねています。
一つはB'zの「TIME」。失われた時間や、戻ることのできない青春への切なさを感じさせる曲です。
もう一つはBilly Joelの「This is the Time」。過去を抱えながらも「今、この瞬間」を生きることの大切さを歌った一曲です。
本作では、その二つの「TIME」の間を行き来するように、二人の人生を描きました。
遠回りも、別れも、喪失も経験したからこそ辿り着ける「その時」がある。
そんな思いを、このタイトルに込めています。
タイトルの『This is the TIME』には、「その時」という意味だけでなく「今こそ、その時」という願いも重ねました。遠回りをしたからこそ出会える景色があり、失った時間があったからこそ気づける幸せもあるのだと思います。
この作品には、私のこれまでの作品にはあまりないものがいくつもあります。
まず、主要な登場人物に名前があります。
私はこれまで、人物の名前をあえて曖昧にしたり、「彼」「彼女」として描いたりすることが多かったので、これほど明確に名前を持った人物たちが長い人生を歩いていく作品は、私にとって少し珍しいものでした。
そしてもう一つ、私自身にとって大きな「禁じ手」があります。
人が亡くなることです。
この作品では、9.11によって主人公が妻を失い、東日本大震災によって彼女も夫と二人の子どもを失います。
ただ、私は人が死ぬ瞬間を描きたかったわけではありません。
だから、直接的な死の場面は書きませんでした。
描きたかったのは、その人がいなくなった後の時間です。
「朝、『行ってらっしゃい』と言えば、夜には帰ってくる」
そんな当たり前だと思っていたことが、突然、当たり前ではなくなる。
大切な人を失ったとしても、時間は止まってくれない。朝は来るし、仕事にも行かなければならない。
食事をし、眠り、また次の日を迎える。
悲しみを抱えたまま、それでも人は生きていかなければならない。
この作品で描きたかったのは、死そのものよりも、
むしろ「残された人間が、その後をどう生きるのか」だったのだと思います。
そして、この作品を書く中で、私は何度も「時間」というものを考えました。
時間は人を待ってはくれない。
時間は大切なものを奪うこともある。
けれど、時間は奪うだけではない。
傷を少しずつ癒やし、人を成熟させ、過去を過去として受け入れる力を与えてくれる。
そして、ときには、遠回りした者同士を、一番ふさわしい「その時」に巡り合わせることもある。
2007年の私は、この物語を完結させることができませんでした。
けれど、17年後の2024年にマイアミという場所が現れ、そこに大谷翔平選手の50-50という歴史的な一日が重なり、さらに2026年になって、ようやく私はこの物語を書き終えることができました。
考えてみれば、この作品そのものが、主人公たちと同じように遠回りをしてきたのかもしれません。
書き始めたときには見えなかった結末が、時間を経た今になって見えるようになった。
だから今は、2007年に完成させられなかったことを、残念には思っていません。
あのときには、あのときの時間しか書けなかった。
そして今だからこそ、この物語を書けた。
「ずいぶん遠回りしたね」と言われたら、きっと私はこう答えると思います。
違うよ。
今が、その時だっただけ。
2007年に屋根裏へしまわれたこの物語が、長い時間を越えて、ようやくここへ辿り着きました。
そして最後に残った言葉は、やはりこれしかありません。
This is the TIME.




