8−16 少なくとも筋肉は必須
「時間には間に合ったと思うけど……もしかして結構、待たせたか?」
「大丈夫だと思うよ、マモン。だって、まだ8分前だもの」
「あぁ、そう……。つーか、分刻みで時間を気にしてんのは、きっとお前だけだろうな……」
周囲の盛況ぶりを気にしているうちに……別人じゃないかと思えるくらいに様変わりしたマモンと、ダンタリオンと思しき悪魔が懐中時計を見やりながらやってくる。そうして、マモンが黄色い座面の椅子をその手で引くと、翼をしまいつつ……ちょっと不貞腐れた様子で腰を下ろす。
「あ、マモンもちゃんと来てくれたね〜。それに、ダンタリオンちゃんもご苦労様〜。今日は面倒かもしれないけど、ヨロシコ〜」
「えぇ、心得ておりますよ。非常に迷惑で面倒ですが、これも補佐役の仕事と割り切りますので。……ただ、暇な間は本を読んでおりますので、気にしないでくれると助かります」
「お前、さ。いい加減……本から少し離れろよ。一応、今日は大事な会合なんだけど」
「……私は本さえ読めれば、後はどうでもいいんだよ。仕方なく君の顔を立てるために来てやったんだから、それ以上は自分でなんとかしてくれないかな」
「ハイハイ……。結局、お前は立ってるだけなのな……」
配下のフリーダムさに頭を掻きながら、ため息をつくマモンだが。以前だったら、そんな無礼をかました時点で、すぐさま斬りかかっていただろうに。こう言ってはなんだが……今のマモンが真祖の中で1番、落ち着いて見えるのは気のせいだろうか。
「ね、ね。マモン〜」
「あ?」
「どう? その後、リッテルちゃんとは仲良くしてる?」
「……それ、ここで答えないといけないか?」
「だって、気になるじゃない〜。リッテルちゃん、お元気?」
「あぁ、まぁな。どっかの誰かさんが変な噂を流してくれたお陰で、俺の家が病院になりつつあるけど。……リッテル本人は元気だよ」
ベルゼブブが言っていたことは、嘘でもないらしい。不機嫌そうに答えはするものの、マモンはマモンでリッテルの面倒をきちんと見ているのは、間違いなさそうだ。
「そっか。リッテル、こっちで元気にしてるんだ。ルシエルも心配してたし、それを伝えてやれば……あいつも安心できるかな」
「ふ〜ん。ルシエルちゃんがリッテルを、ねぇ……。そういや、ルシエルちゃんとリッテルって、何があったんだ? リッテルがルシエルちゃんに負けたなんて、泣いてた事があったんだけど。お前……何か、知ってる?」
「あ、えっと……」
俺の呟きにマモンが予想外の話を振ってくるもんだから、答えに詰まってしまう。とは言え、リッテルはもう俺に執着していない気がするし、ちょっと説明してやれば……納得してもらえるだろうか。
「リッテルはルシエルの後を継いで、ルクレスっていう人間界の地域を担当していたらしいんだけど。……いや、色々と誤解を生みそうで、ちょっと話しづらいんだけどさ。元々、俺みたいな精霊が欲しくて……俺が初めて足を踏み入れた地域の担当になった事に、張り切ってたらしいんだ」
でも、張り切っていたのは良かったものの。リッテルの張り切る方向は、ちょっと方向がズレていた。ルシエルに聞く限りでは、肝心の仕事を放り出して、悪魔探しに夢中になっていたとかで……。
「そんな状況なもんだから。彼女の上司から、ルシエルを引き合いに出されて注意されていたみたいで。リッテルは何かと突っかかってきては……嫁さんの頭を悩ませていたんだよ」
「あいつがルシエルちゃんを気にしてたのは、そのせいか。仕事を失敗したなんて、言ってたけど……。ま、俺としてはリッテルがどんな奴だったかはもう、関係ないんだけどさ」
俺の説明に、とりあえずは納得してくれたのだろう。意外な程に、軽やかな反応を示すマモン。しかし、他に気になる事があるのか……アッサリと理解を示した割には、更に面倒な質問を投げてきた。
「しっかし、天使ってそんなに悪魔に興味があるものなのか? 確かに、リッテルも“優しい旦那さんを探してる”なんて言っていたが。でも……さ。あいつらは人間界に出ただけで、無差別に悪魔に襲いかかってきただろうよ?」
あっ、そうだよな。魔界に籠りっぱなしだったら、天使が「悪魔の旦那様」を求めてるなんて、発想は理解できないよな。
「うーんと、その辺も色々とあるけど……俺に関して言えば、彼女達も人間界で料理をするだけで、特に悪さをしない悪魔が物珍しくなったんだろうな。それに、天使は女しかいないってこともあって……色恋沙汰には、目がなくてさ。意外と頼りになる相手かもとなったら、悪魔の旦那様を持つのが目標みたいな子達が出始めたらしくて。それで……俺も天使の皆さんに、意図せずモテモテだったんだけど……」
俺が何気なく答えたものだから、円卓を囲っている奴らだけではなく、周りからも驚いたようなどよめきと、興奮したような歓声が聞こえてくる。あ、ここでモテ話をするのは……マズかっただろうか。
「だってさ、マモン〜。ハーヴェン曰く、悪魔は天使ちゃんにモテるみたいだよ〜」
「俺は別に、モテたい訳じゃねぇけど。……そこは、どうでもいい」
「そうなの? モテモテ、羨ましくないの?」
「今、モテるのは迷惑だな……約束もしちまったし」
「約束ぅ? 何それ、何それ〜?」
「……ここでこれ以上、話すつもりはねぇし。いい加減、俺のことは放っておいてくれないかな」
約束、か。多分、マモンが約束をした相手はリッテルだろうし、モテるのが困るというのは……俺もかなり同意できる部分があるのが、少し嬉しい。
決まった相手がいると、割り込んでくる奴は迷惑なだけのことも多い。おそらく、マモンが言わんとしている「迷惑」は、そういうことだと思うが……。
(……しかし、本当にこいつ……あのマモンだよな……? 随分と大人しい気がするが……)
マモンが約束をしたことはともかく、それを守ろうとしている事が意外というか。ここまで落ち着いている彼を目の当たりにすると、リッテルはどうやってこの荒くれ者を手懐けたのかが、気になって仕方ない。
「モテモテ、僕はちょっと羨ましいなぁ……」
一方でヤケに「モテモテ」に食いつくベルゼブブ。不真面目なこいつには、恋愛に関する機微を理解するのは、難しいんだろうな……。
「ベルゼブブ。一応、言っておくとな。天使達にモテるにはある程度、条件は揃ってないとダメっぽいぞ。彼女達は面食いで、逞しいのがお好きみたいで……。まぁ、俺は顔がいい訳じゃないけど。この姿の腹筋が目立つせいもあって、モテてたところがあるから。少なくとも筋肉は必須っぽい」
多分、自分達にはない特徴に惹かれるんだろうな。天使達は揃いも揃って、マッチョ好きな気がする。
「それと……契約無しの悪魔は今まで通り、警戒されるから。モテると言っても、無条件でオーケーじゃないと思う」
「そっか。そう言えば、そうだったね。いわゆる札無しの悪魔は、攻撃対象になるんだよねぇ。それで、プランシーちゃんも契約してから出てったっけ」
「えぇ、その通りですよ、ベルゼブブ様。カイムグラントはルシエル様を契約主に選んで、人間界へ飛び出していきました。以前であれば、考えられないことですが……時代は変わったのでしょう。我々とて、人間界に害を及ぼしに行くでもなし。主人がレディ・オーディエルとやりとりしている内容を見る限り……今の天使様達は、話せば分かってくれる気がします」
きっと転送交換日記の効果で、天使に対する敵意がかなり緩和されているんだろう。ヤーティがにこやかにそんな事を言ったところで、何故か満足げなサタン。この様子だと……文通だけとは言え、オーディエルさんとは上手くやっているのかも知れない。




