8−12 お揃いの相手
「もう……色々とどうすればいいのか、分からなくなってきた……」
俺が奥のソファに身を投げ出すと、遠慮がちに別のソファに腰を下ろすリッテル。そうして彼女の周りを固めるように、同じソファに3人もちょこんと座っているが。……どうして、4対1なんだよ。構図がおかしいだろうが。何で、リッテルは隣に座ってこないんだ?
「……何だよ」
こちらの様子を窺っている視線が気に入らなくて、思わず不機嫌な声を出しては……すぐに後悔する。そう言えば、今朝も嫌われたばっかりなのに。これ以上、嫌われるような事をして、どうするんだ。
「……色々と迷惑をかけて、ごめんなさい……」
「……別にもう、いいし」
「そう……あのね、マモン。えっと……」
「まだ、何か?」
「うん……さっきのハンスさんとのやり取りで、いくつか気になったことがあって……」
「あ?」
ハンスって……あぁ。さっきのイロモノ、そんな名前だったな。この様子だと……やっぱり、あいつの事が気になるのか。
「……マモンは今日、どこに行っていたの?」
ん? 俺がどこに行っていたか……だって? なんで、そんな事を気にするんだか。ハンスとは初対面だし、俺はアスモデウスとはつるむ事もないけど……。
「ベルゼブブとダンタリオンの所に行ってた。来週、真祖の会合があるらしくてな。それで、確認と根回しに」
極力正直に答えたつもりだが、尚も引っかかるものがあるらしい。リッテルはこちらを疑るような顔で、口を噤んでいる。
「気になる事があったら、言ってみろよ。もう……怒ったりしないから」
「マモンには……私以外にも誰かいるのかな、って思って……」
「どうして、そんな事を気にするんだ?」
「どうして、って……」
あぁ、なるほど。……ハンスがそんな事、言ってたな。それをこいつは気にしているのか。
それにしては何故か、とても悲しそうな顔をしながら、モジモジと視線を落とすリッテルの様子が腑に落ちない。彼女の表情が何を示しているのか、分からないが。変に嘘で誤魔化しても仕方がない気がする。
「分かっていると思うが、俺は悪魔なんだけど。決まった相手がいるかについての答えはノーだが、その辺の感覚はお前達とは違うんだよ。それこそ、今まで数えきれない程の相手はいたけど。だからと言って、関係はその場限りだし。俺はこう見えて、人間年齢で2800年くらい生きてるもんで。抱いた女の顔なんていちいち覚えてないし、人数を指折り数えたこともねーし」
「……そう、よね……」
「まぁ……今は忙しくて、つまみ食いする気も起きないけどな」
さも下らないと、ヒラヒラと手を振ってみるものの。俺の女性遍歴がまずまず気に入らないのか、リッテルの疑り深い顔が更に険しくなった。
「まだ何かある、って顔してるな? 他には? 一体、何がそんなに気になるんだ?」
「それじゃぁ……あなたの言うお嫁さんって、どういこと?」
「え?」
「……さっき、そんな事を言っていた気がしたけど。……気のせいかしら?」
俺、そんな事言ったか? え? いつ……? どの辺だ……?
さっきまでの出来事を、頭の中で必死に逆回しにしても……思い当たるポイントが見つからない。えっと……。
「あ、確かに言ってましたよ〜」
「人様のお嫁さんに手を出すのも無礼だ、って」
「マモン様、しっかり言ってましたよぅ」
「……⁉︎」
不覚にもグレムリンにまで指摘されて、出ないはずの冷や汗が出ている気がする。俺……まさか無意識にそんな事、言ってた? ちょっと待て。何、やらかしてんだよ! まだ今朝のことすら、謝ってもいないだろーが!
「マモン?」
「あ、えーと……。それは勢いというか……何というか……」
「……そう、勢いだったの。そんな大事な事でさえ、簡単に嘘が言えるほど、悪魔っていい加減なのね。……知らなかった」
みっともなく言い訳をしたもんだから、殊更、彼女を傷つけてしまったらしい。ボロボロと涙を流して、悔しそうにリッテルが唇を噛み締めている。俺が泣かせたことになるんだよな……これ。どうしよう。この状況……どうすればいいんだ?
「えっと、あのさ。……確かに、さっきのは勢いだったんだけど。実は……」
「まだ何か……言い訳、するの?」
「こっから先は言い訳じゃないし! もうちょっと確かめてから、渡そうと思ってたけど……もういい! とにかく、左手を貸せ!」
「左手……?」
「そう、そっち!」
やっぱり格好がつかないまま、強引に彼女の手を掴んで。ポケットから摘み出した、金色の指輪を嵌めようとするけど。えっと、これを嵌めるのって……どの指だったっけ。真ん中の指だったっけか? 咄嗟のことに頭の中が真っ白になったまま、仕方なく……おずおずと彼女に尋ねる。
「リッテル、あのぅ……」
「……何かしら?」
「結婚指輪を嵌めるのって……どの指?」
「……左手の薬指だったと思うけど……」
「あぁ、そうなんだ……って! 違う! そうじゃない! 俺、超格好悪いし! 何なの、コレ!」
「マモン、それって……」
「もう、何でもない! 忘れろ!」
結局、渡すことができずに再び右ポケットに手を突っ込むと、情けなくて涙が出そうになる。どうして……俺は肝心なことも、ちゃんとできないんだろう。
「マモン?」
「えっと……何?」
「その指輪、もしかして……同じ物が2個あったりする?」
「だったら、どうするんだよ」
「いいえ、何でもない……」
彼女の力無い返事を聞いて尚、突き放すような言い方をしてしまって、心底後悔するが。もう、色々と手遅れかもな……。
(……完全に嫌われたかな。だろうな。そもそも俺、初めっから嫌われることしかしてないし……好きになってもらえる理由が思い浮かばないなんて、アホなのか? 俺、冗談抜きで、ただの間抜けだろうが……)
やっぱり、うまくできなかった。仲良くなれるように頑張ったつもりだったけど、それはあくまで「つもり」でしかなくて、結果は付いてこなかった。
一方で、グレムリン達はリッテルと仲良くしているし、この家にも居着いている。だとすると、この家の平穏な時間とやらには、俺の方が必要ないのかもしれない。……そっか。そうだよな。俺はいない方が……いいんだろうな。
「……しばらく出てくる。この家はお前達で好きにしてて構わないから。もう色々と……邪魔するつもりもないし」
「邪魔って……今からどこに行くの? ……夜は帰ってくるの?」
「どうでもいいだろう、そんな事」
どうせ、俺は邪魔者だもん。……もう、放っておいてくれよ。
「良くない……ちっとも良くない!」
「でもさ。俺がいても、空気が悪くなるだけだし……」
「誰もそんな事、言ってないでしょう?」
「そうは言われてないけど、明らかに顔に書いてあるじゃん。……無理に取り繕ってみても、俺を嫌いなのはよく知ってるよ。そうだよな。俺、お前を散々殴ったりしたし。ハナから許してもらえるはず……ないんだよな」
嫌われないように頑張れば、許してもらえるなんて思っていたけれど。結局、俺は勘違いしていただけなんだな。最初から可能性なんてないって事に……真っ先に気づくべきだった。
「そんなことないわ。だって、あなたはちゃんと優しくしてくれたもの。そこに損得勘定があったとしても……私は嬉しかったのは事実なの……。それが例え、上辺だけのものだったとしても……いいえ、それがきっと上辺だけのものじゃない事くらい、私だって分かってる」
もう、いいよ。慰めてくれなくたって。……分かってるフリなんて、しなくていいし。
「……でも、ずっと不機嫌そうじゃないか。その不機嫌は、俺が邪魔だからだろ?」
「違うわ。私が不機嫌な顔をしているのは、不安だから。あなたがいなくなってしまうのが、不安なの……。置いていかれそうで、見捨てられそうで。数えきれない女の人に混じって、私も忘れられてしまうのが……とても辛い」
「別に、お前も忘れるとは言ってないだろうよ……」
いや、こんなにインパクトの強いリッテルを忘れるのは、普通に無理だろ。忘れたくても忘れられそうにないから、辛いんだろうが。
「でも、長い年月の中で忘れられてしまうかも知れない。いつか来るお別れの後で、あなたは私を忘れて……他の人の所に行ってしまうかもしれない。私にあなたを縛る権利もないし、契約だってあなたがその気になれば、いつでも解消できる。……だって、あなたの魔力レベルは13もあるんだもの。レベル8以上であれば、精霊側からの契約の強制解除も可能なの」
あれ? そうなのか? 契約、俺の方から切ることもできるんだ。と言うか……こんな状況でなんだけど。魔力レベル13って、どのくらいのレベルなんだろう? 今ひとつ、ピンとこないんだけど。
「だから、あなたにとって私は簡単に切り離せる存在でしかない。……分かってる、きっとこれは私のワガママだし、欲張りだって事も分かっているの。でも、あなたが誰と会っているのかが気になって……」
……なんだか、話が見えないんだが……。俺が誰と会ってようと、リッテルには関係ないと思うんだけど。何がそんなに気になるんだ?
「あなたが他の女の人と一緒にいるかもって、考えると……とても苦しいの……」
「えっ?」
いや、待て。誰が他の女の所に転がり込んだって、言ったよ……って、あっ。……さっき、相手は数え切れないって言ったばかりだな。もしかして、それで誤解されたのか?
「ハンスさんだって言っていたもの。魔界ではそれが普通だって。でも、その普通はどうしても……私には受け入れられない。……どうしても、耐えられないの……!」
えっと……これは誤解でも何でもなくて、ただ心配されているだけなのか? しかも、俺が他の女と一緒にいるのを心配するって事は……。
「お、おい、リッテル。もしかして、お前のそれは……嫉妬ってヤツ……?」
「そうね! きっとそう!」
最後は絶叫するように言いながら、更にボロボロと泣き出すリッテル。
泣きじゃくる彼女を前に、どうしていいのか分からない俺とグレムリンとで顔を見合わせるが。……しばらくして、変な気を回したらしい。グレムリン共が譲るように彼女の隣を空けると、元々俺が座っていた方に仲良く並んで腰を下ろす。……そこで見学する気かよ、全く……。
「あ、あのさ……。リッテル……」
「……」
「えっと。俺はお前に嫌われていないで……間違ってない?」
「嫌いだったら……こんなに悩んだり、泣いたりしないわ……」
「そ、そっか……」
嫌われていない。俺は意外にも、彼女に嫌われていなかったらしい。彼女の答えに少し安心しながら、隣に腰を下ろすと。俺にもたれ掛かってくるのを見るに……まだ可能性はあるっぽい。さっきのヤツを渡しても、平気って事なんだろうか。
(でもなぁ、あんなに格好悪く引っ込めたし……。今更、どんな顔して渡せばいいんだろう……)
出鼻を挫かれたもんだから、モジモジしていると。何かを催促する様に、リッテルが更にピッタリとくっ付いてくる。もしかして……待ってくれていたりするのか、これは。
「ゔ……俺、こういうのって、なんて言えば分からないんだけど……。俺はずっと忘れる気もないし、多分、どう頑張っても忘れられないと……思うんだよな」
「……」
沈黙しか返ってこないのが痛いのを堪えて、もう少し踏み込んでもいいのかと彼女を盗み見ると。こちらに視線を合わせる事もせずに、口元をキュッと結んでいる一方で……無言で更にくっついてくる。
「あのさ……俺、これからは他の女の所に行ったりしないし、そういう事もしない。だから、さっきの受け取って欲しいんだけど」
「さっきのって?」
ようやく詰るようなお返事を頂くと、俺は仕方なしにポケットに隠していたそれを取り出して、掌を開く。掌の上には、今の今まで死守してきた……俺のため息で少し曇っても、輝きを失わない2つの指輪が転がっていた。
「ベルゼブブに角の破片を作り変えてもらって……俺には、結婚指輪とやらの必要性はあまり感じられなかったんだけど。でも、なんとなくお揃いもいいかな、なんて……思っていたりする」
「お揃いの相手は……私で合ってる?」
「うん、合ってる」
「……そう」
素っ気ない返事の割には、ほんのり嬉しそうに片方を摘みあげると、俺の左手の薬指に指輪を滑らせた後、自分の左手も差し出すリッテル。そうされて、何もかもを取り繕うのをやめて、俺も素直に指輪を滑らせた。なんだろう……互いに同じ場所に同じ指輪が嵌っていると、どことなく暖かい気分になる。
「……ありがとう。私、一生大事にします」
「うん……俺もさっきの約束、ちゃんと守るよ」
そこまでして、キラキラした瞳でこちらを見つめている、グレムリン共の視線が気になりはじめるが。それすらも些細な事と言わんばかりに、全てを包み込むような満ち足りた気分になる。
この感情がなんなのかは、よく分からないけど。よく分からないなりに幸せなんだろうと、考えながら……相変わらず窓の外に広がる真っ黒い空を見つめる。そうだな。空の色が何色だろうと……今は関係ないよな。