7−32 ようやく気づいたか、このド阿呆が
「ただいま〜。リッテル、生きてるか〜? ……リッテル?」
ベルゼブブに指輪を作ってもらって、ちょっと上機嫌で家に帰ってみるけれど。俺のご機嫌を引きずり落とすかのように、家の中が妙に暗い。薄寒いくらいにトコトン静かで……どこを探しても、どこにも彼女がいない。まさか、神界に帰ったのか? ……と思いながら、慌てて辺りを見渡すと。獣の足跡が大量に残っているのにも気づく。……この大きさは……。
「これ……確か、ゴブリンの足跡だったっけか?」
ゴブリンは強欲の下級悪魔だが、徒党を組んで悪さをする傾向があり、トップに上級悪魔のゴブリンヘッドがいたりして、意外と手こずる相手だった記憶がある。かく言う俺も、ゴブリンヘッドを遇らうのも面倒臭くて、いいように物を奪われているもんだから……あんまりいい印象はないんだけど。
「って、そんな事を考えている場合じゃないか。これ、もしかして……リッテルがヤバい?」
家がもぬけの殻になっている時点で、彼女は攫われたと見て間違いないだろう。……ったく。こんな事なら、サッサと契約とやらをしておくんだった。ゴブリンの巣はダンタリオンの屋敷からほど近い、沼の辺りにあったはず。とにかく、今はそこに行ってみるしかないか。
(……あぁ、もう! どうしてこうも、思い通りに行かないんだろう! クソッ、マジでムカつく‼︎)
契約に気づけなかった自分に苛立ちを覚えつつ、急いで目的地に飛び立つ。いくら腕が鈍っているとは言え、ゴブリン共程度であれば、何とかなるだろうか。
急いでいる道中、何かが気になってふと下を見下ろすと……ダンタリオンの屋敷が見えて、屋根の群青色が目に入った瞬間、何故かズキリと胸が痛む。そうした後に腹の底から上がってくる、酸っぱい別の痛み。その違和感を必死に堪えながら、やっとの思いで沼のほとりに降り立つと。目の前には、陰気な洞窟が口を開けていた。確か、この先に入り口……と言うには、お粗末な柵があった気がするけど……。
(……リッテルはここにいるのか?)
流石に住人がいるということもあって、洞窟内の松明に火が点っている。お陰で意外と明るいけれど、その割には静かというか。俺が結構な距離を進んでも、誰も出てこない。
(まさか、外れ? いや、あの足跡は確かに……)
大型の猛獣の足跡。俺自身も含めて、強欲の悪魔は猫科の動物の姿を借りるものらしい。中でもゴブリンはライオンに近い姿になるが、猫なのは見た目だけで……動きはしなやかと言うよりは、愚鈍で重厚感がある。
そんな事を思い出しながら歩いていると、奥からようやく物音が聞こえてくる。物音を頼りにさらに奥に進めば、急に視界が開けるもんだから、明るさに面食らってしまうが。咄嗟に物陰に身を隠して、様子を窺うと……広間と思しき場所で、ゴブリン共が宴を開いているのが見えてくる。随分と楽しそうだが、何を遊んでいるんだろう?
(リッテルは……あぁ、いたいた)
イヤに眩しい景色に更に目をこらすと、奥の座敷に薄衣……多分、毛布だと思う……で必死に肌を晒すまいとしているリッテルが見えた。そして彼女の肩を馴れ馴れしく抱き寄せる、大柄の悪魔……ゴブリンヘッドが醜い面で何かを呟いている一方で、嫌がるように顔を背けるリッテル。……ハイ。お仕置き確定、っと。
「随分と楽しそうだな。俺も混ぜてくんない?」
「あ? お前……誰?」
挨拶代わりに、余興に混ぜてくれと言ってみれば。ゴブリンヘッドから、失礼にも程がある返事が飛んでくる。ったく。一応、俺はお前らの親だろうが。
「まぁ、俺はサボってたから……忘れられても仕方ないか。とにかく、その子は俺のなんだけど。返してくんないかな?」
「お前、頭がおかしいのか? こいつは手下共が用意してきた、上玉なんだよ。珍しい天使の娼婦らしくてな〜。羨ましいのは分かるが、他を当たれ」
「……今、なんて?」
「あん? えっと……お前、頭がおかしいのか」
「違う、その後」
「俺の上玉」
「もっと後」
「天使の娼婦」
「……テメー、ふざけてんのか? そいつはそんな端た女じゃねーんだよ!」
「ふ〜ん? そうなのか、天使ちゃん?」
俺の言うことが信じられないのか、ますます卑下た表情でリッテルに詰め寄るゴブリンヘッド。そうされて、ようやくリッテルが口答えをする。
「……私は娼婦ではなく、強欲の真祖・マモン様のものです。お願いだから、彼の元に私を返して」
「ほほぉ〜……マモン様の……」
そこまで言いかけて、何かに気づいたらしい。ゴブリンヘッドがもう一度、俺に向き直る。そして縋るような表情で……更にリッテルに視線を戻す。
「今、マモン様って言った?」
「えぇ」
「マモン様って……もしかして最近、髪切ったりした?」
「えぇ。そうね」
「……で、あそこにいるの……ご本人様だったりする?」
「間違いないわ」
「……」
ようやく気づいたか、このド阿呆が。
「で、どう落とし前着けるんだ? リッテルを攫った事に関しては、まぁ……大人しく返してくれれば、まだ許せる。だけどな、攫った挙句に……下らない扱いをしていた事は何があっても許さない。……覚悟はできてんだろうな? この……クソッタレ共がッ‼︎」
「あ、相手がマモンだろうと、構うな! ここであいつの首を取って、強欲のトップに名乗りをあげるぞ! お前ら、やっちまえ‼︎」
俺相手に開き直ったらしいゴブリンヘッドの号令と共に、こちらに向かってくるゴブリンの群。宴の楽しそうな雰囲気が一転、ピリッとした緊張を帯びる。下っ端の数は数十人程度だが、後ろには少し大きめのゴブリンヘッドが4人。そして、最上座に1番偉い奴と思われるゴブリンヘッドが1人。下っ端は問題ないだろうが……上級悪魔5人相手は流石に、ちょっと本気を出さないとマズいか。
「……ったく、仕方ねぇな。来い、雷鳴!」
多少統率は取れてはいるみたいだが、やはり所詮は低脳の悪魔か。こういう場合、俺だったらリッテルを人質にするなりして、自分だけは助かろうとするけど。まぁ、こいつらにそんな知恵がないのは、幸いかもしれない。
「ヒエェ! ボス、あれ……噂の雷鳴七支刀ですよ⁉︎」
「あ、アレが、触ったらビリビリする魔剣なの?」
「そうらしい! 近づいただけで、感電させられるとか……」
鞘から抜いた途端、雷を落とし始めた雷鳴に既にビビりまくりの下っ端どもの口から、怯えた声が漏れ出る。噂の雷鳴七支刀、ね。確かに、大筋は合っているけど……こいつはそんなに生易しい得物じゃないぞ。
「一応、言っとくと。こいつを怒らせると、感電する程度じゃすまねぇぞ。そこんとこ、よく覚えとけ、よっと!」
そんなセリフを吹きながら、雷鳴を一振り。金色の刃から放たれる、眩い雷撃が地を這うように辺りを埋め尽くすと……攻撃範囲内の下っ端が、次々に焼き尽くされていく。光のスピードで迸る閃光に当然ながら、目の前の相手は成す術もなく。見れば……あっという間に、下っ端の半分くらいが消し炭になっていた。
「……あ? 歯ごたえがないって? 仕方ねぇだろ、下級悪魔なんてそんなもんだ。一丁前に贅沢言ってんなよ、こんな時に」
ゴブリン共はどうやら、雷鳴にとっても役不足みたいだな。
空気を読まずに、手元でガタガタ文句を吐かす刀を諌めながら、ゴブリン共に向き直る。一方で、ゴブリン共は雷鳴の仕打ちに、驚きを隠せない模様。俺が改めて睨み付けると、我先と散り散りに逃げ出した。あぁ、なんて言うんだろ。そんなチキンハートじゃ、魔界ではやってけないだろ……。
「たった一振りで、敵前逃亡かよ……。情けないにも程があるだろ……って、残念。俺の背後を取ったところで、そんな大振りの攻撃が当たるかっつーの」
「う、ウグゥ⁉︎」
混乱に乗じて、背後に回っていたゴブリンヘッドの一撃を雷鳴の柄で受け止め、振り向く事なく真後ろに一閃。その一手で、腕が切り落とされたのだろう。……生暖かい血飛沫と共に、悲鳴が俺の背中に被さってくる。
「ヒィヤァァァァ! い、痛いよ〜‼︎ 腕が! 腕がぁッ⁉︎」
「あぁ〜、あぁ。腕1本落とされたくらいで、喚くんじゃねーよ。ウルセェな、もう……」
大凡把握していた距離感で、背後の相手の胴体を縦に切断すると……ようやく静かになる。
今度は直接攻撃をかけて血を浴びた事もあって、満足げな反応が手元から返ってくるが。……俺的には、攻撃の力加減はあまり変わらない気がするんだけど。まぁ、それは……感覚の違いというヤツだろう。




