7−31 ちゃんと恋するお年頃
あれから、何日経ったろう。目覚めると、隣にはかすかな寝息を立てているリッテルが転がっている。
そうして、起きる度に昨日のは嫌われていないはず……とか遠慮がちに思いながら、彼女の頬に触れる毎朝が続いていた。それでも、少しずつ良くなっているのか……今朝は彼女の頬が温かい。
(でも、まだ油断はできないって事だよな。この先、どうすればいいのか聞いてくるか……)
根本的に、というのもあるが……一緒にいられるのであれば、その先もちょっと考えてみたい。今度こそ、ちゃんとできそうな気がするし……。きっとからかわれるだろうが、そんなの知った事か。
「……ちょっと出かけてくるから、いい子にしてるんだぞ」
眠っているのだから、聞こえていないだろうけど。なんとなく、声をかけてから出かける準備をする。
外に出れば、相変わらず真っ黒な空が広がっていて。……それでも朝を迎えた空気は、昨日よりも澄んでいるように思えた。
***
「ふぅ〜ん。マモンったら、そんなに天使ちゃんがいいの?」
「……お前じゃなくて、ベルゼブブに用があるんだけど……」
ベルゼブブの部屋には運悪く、またも先客がいる。しかも、その先客が選りに選って、噂好きのアスモデウスなのだから……俺もつくづく、運が悪い。
「聞いたわよ、例の話! ナニナニ、マモンも天使ちゃんにハマっちゃったの? しかも、飛びっきりの美人なんですって? ね、ね。うちにも遊びにいらっしゃいよ。それでうちの子達と、どっちが美人か比べてみない?」
「あのさぁ、リッテルはそういうんじゃなくて……。大体、お前の所は刺激が強すぎる気がするし……」
「まぁ、そうなの? ……フフフ。2人揃って、ウブなんだから。でもアレは結構マンネリ化するし、うちでテクニックを磨くのもいいと思うわよ〜」
「……ハイ、却下。ったく……互いによければ、テクニックは必要ないだろーが」
しかも俺達のやり取りに、ベルゼブブもこの上なくニヤニヤしているが。ベルゼブブよりも更にお喋り好きのアスモデウスにも話が行っちまった以上……俺の所にリッテルがいるのは、すぐに知れ渡ってしまう気がする。……この辺りも警戒しておかないと、いけないか。
「ま、それはそうとして〜。リッテルちゃんの様子はどう? 雰囲気からして、大丈夫だとは思うけど」
「うん、一応持ち直したみたいだな。……安心していいってワケじゃないんだろうけど、まだ死んでない」
「そっか。それはおめでとう〜。で、今日は何の用?」
「アスモデウスがいると、話しづらいんだけど……」
「あら、いいじゃない。私にも聞かせてよ?」
ベルゼブブには嘘をつけないから、ものすごくやりづらい。だけど、正直に話したところで、アスモデウスを追い払えるとも思えないし……仕方ない、俺が出直すか……? あぁ、いや。どうせ出直したところで、誰もいない保証もない。つるむのが好きなベルゼブブに相談を持ちかけている時点で、多少は我慢しないといけないか……。
「ベルゼブブは、さ。エルダーウコバクがどうやって、ルシエルちゃんを正式にお嫁さんにしたか、知ってる?」
「あ、そう言う事? そう言う事? そっか〜、マモンもちゃんと恋するお年頃だったんだね〜」
やっぱり妙に小馬鹿にされたような気がして、ちょっと後悔する。何で、魔界にはまともに相談できる相手もいないんだろう。
「ま、意地悪しても仕方ないよね。……う〜んと、ね。まず、ハーヴェンはルシエルちゃんと契約をして、彼女に絶対服従を誓ったみたいよ?」
「はぁ? 絶対服従……ってマジで? あのエルダーウコバクが、か⁇」
「うん。なんでも、ハーヴェンがルシエルちゃんに一目惚れしたみたいでね。どうしても彼女と離れたくないハーヴェンは苦肉の策として、ルシエルちゃんに全幅契約っていう、天使ちゃんが絶対優位になる契約を交わしたらしい」
絶対服従を誓うのが条件ってことなのか、それ。だとすると……天使を嫁さんにするのって、思っていた以上に大変なのかも知れない……。
「ん? って事は……悪魔も天使と契約できるって事か?」
「みたいね。で、ハーヴェンはそんな契約をして……人間界でルシエルちゃんにこき使われながら、3年間も押し倒すのを我慢してたんだって」
うっわ! やっぱり、メチャクチャ大変じゃないか。……俺にはそんなの、耐えられない自信があるんだけど。
「……あいつ、3年もよく我慢できたな。色々と……」
「でっしょ〜。僕もハーヴェンが帰ってきた時、あまりの服従っぷりに、笑いを堪えるの必死だったんだから〜。しっかも、ルシエルちゃんのために追憶の試練を受けるとか言い出すし。天使にどんだけ惚れてんの……って、その時は思ったんだけど。……僕もルシエルちゃんに会って、納得したかな。だってあの子、ハーヴェンの思い出の女の子にソックリなんだもん」
エルダーウコバクはもともと、人間だったと聞いてはいたけど。あいつがルシエルちゃんに入れあげるのには、そういう理由があったんだな。へぇ〜。好きだった女の子にソックリな天使に、一目惚れか。奴が禁欲生活に耐えられたのは、一目惚れ効果だろう……多分。
「ま、それはそうとして。そこまで頑張ったんだから、僕もあの子の恋を応援したくなってね。ハーヴェンの記憶のカケラで、ペアリングを作ってあげたの。それで、プロポーズして押し倒しちゃいな、ってさ。……まぁ、ルシエルちゃんはルシエルちゃんで、魔界にまで押しかけてくるような一途な子だったし、意外とすんなり了承してくれたみたいでね。この間やってきた時も、左手にちゃんとお揃いの指輪を嵌めてたよ」
「指輪を左手に、って何か意味あんの?」
「マモンはその意味、知らないの?」
「うん、知らない」
俺が正直に答えると、今度はベルゼブブではなくアスモデウスが話を始める。いや、お前は黙っててくれないかな。
「……ウフ。坊やはそういうところもウブなのね? いい? 左手の薬指にお揃いの指輪を嵌めるのは、夫婦の証なのよ? 人間達は指輪の有無で、結婚しているかをある程度、確認するらしいわ」
「……いや、俺はウブなわけじゃないんだけど。でも、それをしておけば……相手がいるって分かるんだよな? 他の奴から、ちょっかいを出されないのか?」
だったらば、是非に指輪を作ってみたいんだけど……。
「アッハハハハ! まっさか、そんなワケないでしょう? 結婚してようが、してまいが、情事は別なの! 完全に人の心を縛るのは、無理よ! 特に人間みたいな理性もギリギリの下等生物に、そんな分別があるわけないじゃな〜い! もぅ、何を必死になってるのよ? マモンも可愛いところがあるんだから……あぁ、おっかし〜」
「……真面目に聞いた俺がバカだったよ、全く……」
色恋には詳しいだけあって、このテの話題ではアスモデウスに勝てない。彼女は高笑いをしながら、面白そうに腹を抱えているが……あぁ、もう。俺、どうすればいいのか分からなくなってきた。
「アスモデウス。マモンは真剣なんだから、茶化さないの。ハーヴェンの結婚は人間の真似事と言っちゃえば、それまでなんだけど。それでも、ルシエルちゃんをお嫁さんとして、縛る効果はあるみたいでね。だからもし、リッテルちゃんとそんな関係になりたいんだったら、まずはハーヴェンと同じように契約をしてみたら? 彼女も了承してくれるようだったら、プロポーズするといいんじゃない?」
「……契約、か。それさえしておけば、リッテルの呼び出しに応じることもできるし……アリと言えば、アリか」
「おやおや? マモンはリッテルちゃんのピンチに駆けつけちゃう感じ? ま、でも……あの子はもの凄く目立つし、そのくらいはしてあげてもいいかもね」
「そうだよな……」
そうか。契約をしておけば、余計な心配はしなくて済むのか。何で、もっと早く気づかなかったんだろう。
「帰ったら早速、リッテルに聞いてみる。なんだかんだで、相談に乗ってくれて助かったよ」
「そう? マモンがそれで良いんだったら、僕は何も言わないけど。そう言えば……マモンは指輪とかどうするの?」
「え? ……いや、別になくても良いだろ、とりあえず……」
指輪があっても、ちょっかい出されるんだろ? だったら、必須じゃないだろ。
「ノンノン! 女の子はロマンチックなのが大好きだし、リッテルちゃんもルシエルちゃんが指輪を貰ってるの、知ってると思うよ? 私には無いの? なーんて悲しそうにされたら、どうするの〜」
……あぁ、なるほど。そうなるのか。女心って、本当に面倒だよな……。
「ゔ……でも、どこで見つければ良いのか分からないし……」
「それじゃ、特別に僕が作ってあげちゃう。ほらマモン、折れた角を持ってるでしょ? よければ、作り変えてあげるよ」
「俺の角?」
「だって、どうせくっつかないんでしょ? 後生大事に持ってても、仕方ないじゃん。それだったら素材にもピッタリだし、作り変えてあげれるけど……どうかな?」
「あ〜……確かに。くっつかないんだよな、コレ。それでも良いかもな。それじゃ……頼める?」
そう言いながら、俺は手元に二陣を呼び出すと、柄に根付代わりにぶら下げていた角の破片を外して、ベルゼブブに放り投げる。雰囲気的に雷鳴の黒鞘に合っていたから、アクセサリーとしては気に入ってたんだけど。意味も無いガラクタだったし、指輪に作り変えてもらった方が有意義かもしれない。
俺がそんなことを考えていると、ベルゼブブは早速、手元で魔法道具を錬成しているらしい。大して待たされることもなく、跡形もなく形状を変えた指輪が掌に2つ転がっている。そうして、アッサリと渡してくるベルゼブブだけど……こいつのこういう技能は、ちょっと羨ましい。
「とりあえず、いつ渡すかは考える。一応、それなりの事はしてるけど……まだ嫌われていると思うし……」
「そうなの? まぁ、女心は繊細だからねぇ。タイミングを間違えたら、余計に嫌われちゃう気もしないでもないし。リッテルちゃんはマモンに対して、おっかなびっくりの所はあるみたいだから。僕もいきなりよりは、その方がいいと思う」
「だろう? ……その、俺さ。自分でも、訳分からないんだけど。……これ以上、あいつに嫌われたくなくて。……どうしちまったんだろうな……」
自分でも意外なくらいにすんなりと言葉を吐き出すと、ベルゼブブもアスモデウスも茶化す事なく、妙に嬉しそうな顔をしている。……その雰囲気が殊の外、気持ち悪い。
「と、とにかく、世話になったな。俺は帰る。今度はリッテルと一緒に来れれば、いいんだけど」
「そうだね〜。僕、いつでも暇だから。今のマモンであれば、遠慮なく来てくれて構わないよ〜」
「……今の俺? それ、どういう意味?」
「ふふ〜ん。どういう意味かは、自分で考えなよ〜」
「……ケッ、ハイハイ。そうですか」
何か、意味ありげな事を言われたけれど……結局、何もかもが分からないままだ。別に俺は俺だし。
(とりあえず……帰ったら、あいつの状態を確認して、契約をして……)
ベルゼブブの屋敷から俺の家は少し離れているけれど、途中に乱気流もないし、飛んでしまえば時間はかからない。そうして帰り道を飛びながら、ポケットに手を突っ込み、指輪を弄ぶ。……いつか、これをちゃんと渡せる日が来るといいんだけどな……。




