7−7 長くて大変な1日だったけど
「ルシフェル様は帰った?」
「うん。意外とここが気に入ったらしくて、また来るって言ってたぞ」
「そう……」
そんなことを言いながら、ハーヴェンが手慣れた様子でテーブルの上を片付け始める。今日は魔界に神界にと色々な事がありすぎて、精神的にも肉体的にもとても疲れた。
「今日は妙に、長かった気がする……」
「あ、そりゃそうだろうな。何せ、今の空間位置だと魔界の時間の進みは、人間界の約5倍くらいだし」
「……そうなのか?」
「まさか……今まで気づいてなかったのか? あれだけ魔界で移動して、色んなところに行ったのに……こっちに戻ってきたのは、昼過ぎだったろ?」
言われてみれば、確かにそうだ。ベルゼブブの屋敷にヨルムツリー。そして、最後にサタンの城に寄って……どう考えても、半日でこなせるスケジュールではない。
「と、いうことは……。現在の魔界の時間の速度は……神界の約25倍ってことか?」
「神界の時間は、そんなに進みが遅いのか?」
「うん。向こうで少し過ごしただけでも、こちらはあっと言う間に夕方になっているし……大体、人間界の5分の1位の時間の進み方だと思ってくれていい。実際、神界には人間界時計と神界時計が置かれていてな。救済の天使はその時計を目安に、世界全体の基準時間でもある、人間界時間で監視を行なっていたりするんだ」
「へぇ〜、そうだったんだ。まぁ、元々魔界は時間の進みがいい加減だから、あまり日付は気にしないし、基本的な物差しは……やっぱり時間の速度が安定している人間界時間で考えることが多いけど。……そんなに時間の進みに開きがあったんだな……」
私の説明に感心したような声をあげた後、片付けが終わったらしい彼が私の座っているテーブルの側に戻ってくる。そうして……さも当然のように、私を抱き上げた。
「さて、と。今日は久々に……Bプランと行きますか?」
「……う。そういうことなら……それでもいいぞ?」
「お? ルシエルは1人で入った方がいい?」
「……いや、えぇと……」
こういう時に拗らせたような態度を取ると、ハーヴェンはとにかく意地悪になることは織り込み済みだ。私としてはできれば一緒に入りたいし……悔しいが、素直にお願いしないと折角の時間がなくなってしまう。
「ハーヴェンと一緒に入りたいです……」
「……フッフッフ。よく言えました」
「ハーヴェンの悪魔……意地悪」
「へいへい。俺は意地悪な悪魔ですよ、っと」
少しオレンジ色がかった乳白色のお湯からは、柑橘系のいい香りが立ち上っている。相変わらず……2人で入るには広すぎる浴槽は、彼と離れていると何となく寒い気にさせるから不思議だ。
「……」
言葉にすると恥ずかしいので、無言で彼に抱きつくが。彼の方も変に茶化すことなく、抱きしめてくれるのが嬉しい。そんなことを考えながら、湯に沈んでいる彼の左太ももに手を滑らせる。
「……左足、ちゃんとくっ付いて良かった」
「うん、お陰様で俺も五体満足で帰れたよ。ありがとな。でも、あの程度でお前がそんなに心配してくれるなんて思いもしなかったな……。一応、魔界にしばらくいれば足くらいは再生するし、そんなに大したことでもなかったんだけど……」
「そういう問題じゃない! 私は……私は……自分に腹立たしかったんだ。お前に無理させることを気づけずに、痛い思いをさせてしまった。ちょっとでも気付いていれば、傷つかずに済む方法があったかもしれないのに……」
「そっか。でもさ、それなら……お前も大概だと思うぞ?」
「何が?」
「……俺だってお前がプランシーの前に飛び出した時、とても苦しかったんだぞ? 正直、プランシーがお前を打ちのめしていたら、絶対に許せなかったと思う。……俺はさ、お前の代わりに自分が痛い思いをするのは平気なの。頼むから、これからはあんな無茶はしないでくれよ。……俺の事は気にしなくて、いいんだから」
「やだ」
「やだ、って……。こういう時は、ちゃんと聞き分けてくれよ……」
「無理」
「いや、だから……」
「それはお互い様だろう? 私だって……お前が傷つくのは嫌だもの。気にしないなんて、絶対にできない。……だって……」
「うん?」
「これからもずっと、側にいてくれるんだろう? ……その約束をちゃんと守れるように、無理はしないで。お願いだから……。私はハーヴェンが傷ついたり、いなくなるのが何よりも辛いもの」
自分でも驚くくらいに素直に気持ちを吐き出すと、今度は彼の首に手を回して抱きつく。そうして彼の顔が自分の髪に埋められるように抱きしめられると、あれだけ重かったはずの疲れがゆっくりと抜けていく。広い浴槽で、くっ付いて入る必要はないと思うのだけど。一緒にいられる時間は私達にとって貴重なのだから、そのくらいの贅沢は許してほしい。
「……ハーヴェン、そう言えば。今日、ルシフェル様にいろんなことを教えて頂いたのだけど……」
浴室から、寝室へ。結局、移動の間もピッタリと一緒になりながら……眠る前のお喋りに興じているけれど。内容に関わらず、ハーヴェンはいつものように私の話に耳を傾けてくれる。
「あぁ、始まりの禍根とかいうやつか?」
「うん。……中身は天使と悪魔が生まれた時の話で。……ちょっと切ない話だった」
「フゥン?」
そんなことを言いながら、マナの女神とヨルムンガルドの男神の昔話を彼に伝える。そして、話が私の耐性のことに及ぶと、彼は驚いたような、それでいて嬉しそうな声を上げた。
「……こうやってルシエルと一緒になるの、無駄じゃなかったんだな」
「そうみたい……。でも、ハーヴェンはちょっと羨ましいと思ったでしょ?」
「何を?」
「……ゲルニカの事。彼らに子供が出来たって聞いた時、羨ましいって思ったんじゃないかな、って。……私は子供を産めないもの。だから正直、私の方はテュカチアが……母親になれる彼女がとても羨ましい」
「それは仕方ないだろ? いくら望んでも、無理なんだから。確かに……ちょっと羨ましい部分はあったけど。だからって、その程度でお前と別れる理由にはならないよ。……それじゃ、ダメか?」
「そう。……なら、十分かな……」
「にしても……ベルゼブブがヨルムツリーの実から生まれてたなんてなぁ。そういう意味では、あいつらはヨルムンガルドの子供ってことになるのか……?」
「どうなんだろう? 実から生まれた……って、卵みたいなものなのかな?」
「う〜ん。まぁ、何れにしても……天使も悪魔も最初の成り立ちはあんまり変わらない、って事か。……なんだろうな。ルシファーじゃないけど、これからはちょこっとずつ仲良くなれるといいな」
「うん。私もこれからは仲良くできればいいなと思うよ」
「そうだな」
そんな事を言い合いながら、互いに目を閉じる。長くて大変な1日だったけど。それでも、終わりに穏やかな時間があるのなら……大抵の事は頑張れる気がする。