6−23 色々と精神的によろしくないもので
紫色の妙にドロドロとしているらしい川沿いに進むと、襲いかかってはこないものの、大勢の悪魔が物珍しそうに付いてくる。それに関しては織り込み済み、とでもいうようにハーヴェンは時折、こちらの様子を気にしつつも無言で歩みを進めているが。別の意味で異常な雰囲気が、却って落ち着かない。
(なぁ、ルシエル。攻撃してこないのは、いいものの……妙だと思わないか?)
(そうですね。ある程度の戦闘は覚悟していたのですが……。ただ、原因は私達ではなく……)
周りの悪魔の様子を見ている限り、彼らは私達が物珍しい反面、ハーヴェンに怯えている様子だ。いくら普段は温厚とは言え、ハーヴェンが魔界でもかなりの実力者であることに変わりない。だから、周りの悪魔達は私達に興味はあるものの、彼がいるせいでちょっかいを出せないでいるのだ。
(ふむ……少なくとも、ハーヴェン様に付いて歩けば、大丈夫なようだな)
(おそらく。ですので、魔界で迷子になることだけは絶対に避けなければいけません)
そんなことをヒソヒソやり取りしているのに、気づいたのだろう。ハーヴェンがこちらを気遣うように、声をかけてくる。
「……大丈夫か、お2人さん」
「は、ハイッ、大丈夫ですっ!」
「うん、私も大丈夫」
「そうか。このままもうちょい行けば、川が黒く変色するポイントに出る。で、そこから更に進むと、ヨルムツリーが根を下ろしている沼になっていて、沼を抜けきった先が魔界の最奥であり……ルシファーの玉座がある場所だ」
「玉座?」
「現在の魔界では、彼女が魔界最上位の地位にいる。以前はそこにマモンが座ってたんだが、ルシファーに負けたらしくてな。元々は真面目で高潔だったアイツの性格が捻れ始めたのは、それからだったりするそうだ」
「真面目……だったのか? さっきのあれが⁇」
「俺が闇堕ちした時には既に、壊れてしまった後だったみたいだが……マモンは強欲の真祖だからな。何もかもを手中に納めていないと気に食わないんだろうけど、実際はそれが不可能なことも多いのも、また事実で。魔界最上位から蹴落とされた挙句に、理想と現実を埋めることができなかった結果、凶暴かつ大法螺吹きになっちまったらしい。何かとお節介なベルゼブブも、なんとかしてやりたいなんて言ってたけど。そういう意味では、マモンも可哀想なのかも知れない。まぁ……今となっては、関わらない方がいい相手であることは、間違いないのだけど」
ハーヴェンがそんなことを説明してくれるが、声には明らかに悲しさが滲んでいる。原因でもあるルシファーが闇堕ちしたのは、間違いなくこちら側の都合だったろうし……知らなかった事とは言え、さっきは睨みつけてしまって、申し訳ない事をしてしまった。
「そう、だったんだ……」
「うん、まぁ。とは言え、これは悪魔側の事情だから、お前達が気にすることでもないよ。その辺の決着は大悪魔同士でしなければいけないことだろうし……彼らのすることには、俺が口を挟む余地はないだろう」
「その通りだじょ、エルダーウコバク。真祖の大悪魔はとにかく偉いんだじょ? その大悪魔のボクちんの領地で天使を連れ回すなんて、どういう了見なんだい?」
「あ〜、やっぱり出てきたか。このまま素通りできれば、と思ってたんだけどなぁ……」
さっきまでのしんみりした雰囲気を振り払うように、さも呆れた様子で首を振るハーヴェン。行く手には……青い顔をした子供の悪魔が立っている。取り巻きの悪魔数人に長い尻尾を支えさせ、パラソルを持たせているが、この様子はもしかして……?
「……あれが羨望の真祖、リヴァイアタンだ。相手にする必要はないから、先を急ぐぞ」
「うむ? 挨拶はしなくていいのですか?」
「アイツに捕まると、色々と精神的によろしくないもので。さっさと立ち去るに限る」
ハーヴェンが彼を無視することを決め込んだらしいので、その場を立ち去ろうとするが……そうすんなり行くはずもなく。慌てた様子でリヴァイアタンがハーヴェンの行く手を阻む。
「ちょ、ちょっと待て! ボクちんは真祖の悪魔だじょ! 偉いんだじょ! その無礼な振る舞いは何なんだい⁉︎」
「用事があるのはお前ではなく、ルシファーだ。ここは素通りするだけなんだから、放っておいてくれないか。それとも……素通りにすら、文句があるのか? だったら、尻尾でお造りでも拵えてやれば、気が済むか?」
ハーヴェンが妙に高圧的な態度を取っているので、彼は全力で関わりたくない相手なのだろう。それにリヴァイアタンの口調が何となく、癇に障るのは私も同じだ。何だろう、妙にイライラする。
「ぼ、暴力はいけないよ、暴力は……。ただ、ボクちんとしては領内を勝手に通行されるのは、ちょっと……」
「……分かった。お造りじゃなくて、尾頭付きの舟盛りにすればいいんだな?」
「そうじゃなくて! 通行料を寄越せって言ってるんだじょ! 真祖の悪魔でもないクセに、素通りなんて……無礼にも程があると思わないのかい? しかも、キラッキラの天使まで連れ回して! 羨ましすぎるだろ! だから絶対的に偉いボクちんに、片方を寄越すんだじょ! ボクちんも天使を連れ回してみたいんだじょ‼︎」
キラッキラの天使、か。確かに、翼を出した状態の私達の姿は悪魔にしたら、輝いて見えるのかもしれないけれど……そんな事が羨望の対象になるなんて。大体……連れ回すって、私達に何をさせるつもりなんだ?
「だ、そうだ。お2人さん。……お子様真祖はそんなことを言っているけど、どうする?」
ハーヴェンも彼の主張に呆れているのだろう。明らかに疲れた様子で、こちらに話を振ってくる。それにしても……目の前の小悪魔は真祖であることをいい事に、通行料をせしめているのだろうか。その口調といい、その態度といい。ハーヴェンが彼と関わると精神的によろしくない、と言っていた意味が分かった気がする。
「……ハーヴェン、下がってて。真祖様とやらに、天使の怖さを思い知らせてやるから」
「権力を笠に着て、通り抜けるだけの者に通行料を吹っかけるとは。そんな業突く張りには、お仕置きが必要だな」
リヴァイアタンの言葉遣いが気に食わなかったのは、オーディエル様も同じらしい。そう言い合いながら……一致団結して、2人で武器を構える。
「あ、お2人さん……程々にな。そいつ、真祖の割には本当にメチャクチャ弱いから」
「だ、黙れ! エルダーウコバク! こうなったら……スケダラさん、カクマルさん! 懲らしめてやりなさい!」
ハーヴェンの一言に対し、妙に芝居掛かった命令を出すリヴァイアタン。彼の号令と共に、尻尾を支えていた2人の悪魔が襲いかかってくる。しかし……。
「……本当に、弱すぎて話にならんな?」
「全くだ。……ウォーミングアップにもならん」
「あぁぁぁぁ! スケダラさん、カクマルさん! 何で、一撃でやられているんだじょ⁉︎」
ほぼ一撃で撃沈させられ、既に下ごしらえ済みになっている手下の様子に、本格的に焦っているらしいリヴァイアタン。これで、ちょっとは天使の怖さが伝わっただろうか。
「さて、次はお前を捌く番か? ……三枚下ろしと微塵切りのどっちがいいか、選ばせてやるぞ?」
「あ、あぁ〜、暴力はよくないなぁ、エルダーウコバク……。でも、大人しく通行料を寄越すなら……それ以上は何も言わないじょ?」
「……ふんっ‼︎」
「アベシッ⁉︎」
完全に怖気付きつつも、真祖というにはあまりに情けない様子で……最後の最後まで通行料をせびるリヴァイアタンの頭に、コキュートスクリーヴァの背で垂直の一撃を加えるハーヴェン。その一撃に妙な声をあげながら、どうやら子供真祖は気絶したらしい。……心なしか、頭上に星が舞っているように見える。
「さて、と。気を取り直して、さっさと行くとするか。ルシファーのところまで、後ちょっとだから。魔界の居心地は悪いだろうけど、もうちょい我慢してくれ」
「うん、大丈夫。それにしても……勢いで真祖とやらを伸してしまったが、大丈夫なのか?」
「あぁ……あまり力尽くにする気もなかったんだが。ベルゼブブも了承済みだから、気にするな」
「了承済みって……つまり、この事態は予測してたって事?」
「そういう事。リヴァイアタンは羨望の悪魔だから、とにかく目新しいものが羨ましい。お2人さんを連れていた場合、吹っ掛けてくることもある程度、予想済みだったんだが……やれやれ。相手があまりにも弱いもんだから、いじめている気分になるんだよなぁ、コレ。……特にリヴァイアタンは見た目が子供だし、結果は予想済みでも……結構、精神的に参るものがある」
彼が精神的によろしくないと言ったのは、弱いものイジメしている気分になるからか。そんな風に穏やかな理由を述べられると、単純に癪に障るとか思っていたのが、情けなくなる。
「ハーヴェンは優しいよね。実はちょっと魔界に来てから、怒りっぽくなっている気がして心配してたんだけど……ちょっと安心した」
「そう?」
「うん」
彼の肩に飛び乗って、何かを誤魔化すように彼の耳を掴むと……フサフサ加減がシックリと手に馴染んで、とても安心させられる。ハーヴェンは狐だと主張していたが、見た目で狐か狼かを見分けられる程、私は動物の種類には生憎と詳しくはない。しかし、肉厚な耳ですら私の顔くらいの大きさがあり、横顔はとても鋭く……やっぱり、狼に似ている気がする。
「何だかんだで、ここが1番、落ち着く」
「そか。でもな、ルシエル。今はちょっと、不味いんじゃ……」
そんな風に悦に入っている私を他所に、ハーヴェンがちょっと困ったように呟く。そして彼の視線の先には、キラキラした瞳で私達を見上げるオーディエル様の姿。しまった……! オーディエル様がいるのを、すっかり忘れてた……!
「おぉ‼︎ 『あなたの肩に愛を預けて』の光景を……こんなにも間近で拝めるとは‼︎ 何と感動的なのだろう! で、この上なく羨ましい‼︎」
手を合わせてこちらを見上げる彼女の様子に……ひたすらバツが悪い気分になるが、それはハーヴェンも一緒の様子。仕方なしに彼女に右手を差し出すと、おずおずとサービスを提案しはじめた。
「オーディエルさんもよければ……迷子にならないように手、繋ぎます?」
「い、いいのですか⁉︎」
「あ、うん。……そのくらいなら、いいよな?」
「……やだ」
「やだって……こんな状態で逸れでもしたら、大変だろう?」
「……うっ。だったら、ハーヴェンの人差し指だけなら貸してあげます。ちょっとだけですからね! ちょっと!」
「分かっている! では、失礼して……あぁ〜、なんて太くて逞しい指なのだろう。しかも、極上のベルベットのような肌触り……! ハーヴェン様はこのお姿だと、意外と毛深いと見える」
「え? あ、まぁ……俺はウコバクの亜種ですから……」
そんな事を言いつつ、毛深いと言われたことにちょっと驚いているらしいハーヴェン。
「……子分達に比べれば、モコモコ度合いは控えめだと思ってたんだけど……。もしかして……俺って、毛深いのか?」
そうして、しばらく無言で歩みを進めていたが……途中、そんなことを呟いているのを聞く限り、結構ショックだったらしい。でも実際、今の彼はフカフカの毛布のように毛深いのだし、変に取り繕っても仕方がない気がする。
「そうかもね?」
「いや、しかしだな……う〜ん、まぁ仕方ないか……。俺自身は尻尾以外は狐だしなぁ……」
「そう言えば、ハーヴェンの尻尾って、そこだけ異質だよな? 何か、理由でもあるのか?」
「いや? 特に気にしたこともなかったけど……俺自身は生前から水属性の魔法を使えたから、その影響かもな」
「フゥン?」
硬い鱗に覆われたそれは明らかにウコバク達のそれとも、狐のそれとも全く違う雰囲気を醸し出している。どちらかと言うと、竜族の尻尾に近い。そんな事を話しながらしばらく進むと、ハーヴェンの言っていた通りに川が黒くなっている箇所に差し掛かった。しかし……こうも器用にキッチリと色が変わるとなると、魔界の川の原理が気になって仕方がない。
「さて。ここまでくれば、あと1歩だ。2人とも、頑張ったな」
「い、いえ! とんでもありません! ハーヴェン様が守ってくれたのと、手を繋いでくれたのと、肉球とで……私、私……もう……!」
「あ、オーディエルさん。まだ、終わりじゃないですから。もう少し、緊張感を保っててもらえます?」
「フガッ! そ、そうでした! あと少しですね! 頑張りますっ‼︎」
既に緊張感が半分以上抜けているオーディエル様を他所に、ハーヴェンはさっきよりも緊張した面持ちをしている。彼の表情からするに、余程の難所が待ち構えているように思えるが。この先、何があるのだろう。




