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氷の城  作者: 壱百苑ライタ
13/14

何も無い部屋

十四、何も無い部屋


 足を踏み入れた其処は、何も無い空っぽの、ただ広い部屋だった。

 簡素な壁、簡素な床、壁の一面は全て窓硝子で、そこから激しく吹き荒れる吹雪が見える。アヴニールはその部屋の中央まで歩いて行くと、ぐるり、その部屋を見渡した。

「空っぽの、部屋………」

『あはは! 馬鹿だなアヴニール!』

 急にパッセの声が響き、アヴニールは驚いて振り返った。

『どうしてじゃがいもがそんな形になるんだよ!』

 そこにはパッセがじゃがいもの皮を剥きながら立っていた。

『うるさいわね! これでも上手くなった方なんだから!』

『これで!?』

 アヴニールが、パッセの横で苦悶の表情を浮かべじゃがいもの皮を剥いていた。恐らく丸かったであろうそれは、最早原型を留めないくらい細いスティックになっていた。

『これはもう皮の方が具だよ! むしろ芸術の域だよ!』

『からかわないでよ! どうせ不器用よ! どうせ私は料理へたくそですよ!』

 パッセはアヴニールがめちゃくちゃにしてしまったじゃがいもの皮とは思えない分厚さのものを上手に皮だけ剥き、切りそろえていく。

 その器用な様子をアヴニールは苦虫を噛み締めながら見つめている。

『それにしても、どうして急にシチューを作ろうと思ったの?』

 不意に、パッセが不思議そうに首を傾げた。

 するとアヴニールは言いにくそうに、もにょもにょと顔を赤くして口ごもる。

『アヴニール?』

 アヴニールはパッセに顔を見られないようにか、そっぽを向いた。

『だって、今日は私とあんたが出会った日でしょ? 何か、特別な事がしたかったのよ』

 アヴニールは耳まで真っ赤だ。

 パッセはまるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、それからまるで弾けた様に大声を上げて笑い出した。

『アヴニール、顔真っ赤!』

『う、うるさいなぁ』

『だって、アヴニールがまさかそんなこと考えてるなんて!』

 パッセの目尻には涙が滲み、それを指で拭いながら尚もパッセは笑いをこらえるのに必死そうである。アヴニールはそれを横目で睨むと『悪かったわね!』と頬を膨らませた。

『あーあ、アヴニールが怒った。その起こり方、子どもみたいだよ』

『パッセの真似しただけよ』

『ふうん』

 パッセはようやく笑いが収まったようで、ぶすたれているアヴニールをそう言ってにやにやと見上げた。

『アヴニール、ちょっと耳貸してよ』

 それからくいくいと、指でアヴニールを呼び寄せる。

 アヴニールは何かと不思議に思ったが、言われる侭に何の疑問もなくパッセに耳を近づけた。その、頬に。

『!?』

『これは僕からのプレゼントです』

 アヴニールは頬を押さえ真っ赤になってパッセから離れた。信じられないと言った風にパッセを見つめ動揺しているさまに、パッセはそれはそれは嬉しそうに、くしゃり目を細めて微笑む。

『僕を拾ってくれてありがとう。そして、これからもどうぞ宜しくお願いします』

 パッセは笑った。その笑顔はもう、出会った当初のような人を伺う笑顔ではない。

 それはパッセが心から嬉しそうに浮かべる笑顔。

『………こちらこそ、これからも私の傍に居て、私を助けてね、パッセ』

 だからアヴニールも微笑んだ。

 父や母が居た頃のように、無邪気に嬉しそうな笑顔を浮かべる。

 その笑顔を見止め、パッセは本当に嬉しそうに、優しく微笑む。

 アヴニールはそんなパッセに不意に歩み寄ると、その額の髪を指先でどかしながら、そっと。

『!?』

 丸くて小さな額に口付ける。今度はパッセが、茹蛸のように赤くなる番だった。

『早く大きくなってね、パッセ』

 そうして今度は、貴方がこうして私に口付けてね。

 パッセが消え、アヴニールも消えた。

 残されたのは寂しそうにそれを見つめていたアヴニールひとり。

「これは私の記憶………?」

 覚えている。幸せだったあの日々を。

 アヴニールは部屋を一歩進む。

『アヴニール、いってきます!』

『あんまり遅くならないようにね』

『夕飯作らなきゃだし、間に合うように帰って来るよ! 買出しだけお願いね!』

『はいはい』

 家で、パッセはそう言うと手を振って玄関を出て行った。

 学校で出来た初めての友達と遊ぶ約束をしたのだという。

 アヴニールはテーブルに座り明日の授業の準備をしながら、それを見送った。

 それからどれくらい経っただろうか、不意に玄関の外から泣き声が聞こえてきて、アヴニールは立ち上がった。

 そして玄関を開けると其処には、傷だらけで泣いているパッセが立っていたのだ。

 泥まみれの傷だらけ、転びでもしたのだろうか。

『どうしたのパッセ、そんなぼろぼろにして』

 とりあえず怪我の手当てをと、彼の腕を引こうとするとパッセは急にアヴニールに抱きついた。そしてわんわんと泣き始めたので、アヴニールは驚いたがとりあえず抱きしめ返し、その頭を撫でてやる。

『どうしたの? もしかして喧嘩でもしたの?』

『だってあいつはアヴニールの悪口を言ったんだ!!』

 パッセは力いっぱいアヴニールを抱きしめた。

 アヴニールもその言葉には驚いたのか、目を丸くしたが直ぐに苦笑してパッセを撫でてやる。

『そんなことで喧嘩なんて、馬鹿ね。残念だけど村の人は、私のことあんまり良くは思ってないのよ。それは私がそういう態度を取って来たからで仕方のないこと………』

『そんなこと無いよ!!』

 パッセはアヴニールを見上げた。

 その表情はどこか必死で、アヴニールは戸惑う。

 夕暮れだった。少しずつ西の空に真っ赤な太陽が沈んでいく。

 橙色に照らされて、パッセは本当に悔しそうに言った。

『皆がアヴニールのこと、何も分かってないだけだ!!!』

 パッセはまた泣いた。アヴニールはどこか呆然とその様子を眺めていたが、太陽が沈みきり一番星が輝きだした頃、不意にパッセの体を力いっぱい抱きしめ返した。

『アヴニール………?』

『ありがとう、パッセ。私は、パッセがそう言ってくれるだけで嬉しいわ』

 アヴニールは優しく微笑んでいた。それからパッセの頭を優しく撫ぜる。

『これからは、少しずつ村の人とも仲良くしていくから。だからパッセ、協力してくれる?』

 パッセはそれを聞くや否や、先程まで泣いていたのが嘘のように嬉しそうな笑顔を浮かべた。

『勿論だよ! 一緒に頑張ろう!』

 二人は笑いあった。しかし程なくしてアヴニールははっと思い出す。

『………買い出し忘れた』

『え?』

 二人は顔を見合す。パッセは怒っている。確実に不機嫌そうな顔をしている。

 アヴニールはぽりぽりと頭を掻くと、良いことを思いつき満面の笑みをパッセに向けた。

『よし! じゃあ手始めにお隣さんに何か分けてもらいに行きましょうか!』

 また、その光景は幻のように消えた。

 アヴニールが一歩歩くごとに、アヴニールの中の記憶がその部屋にまるでそこに居るかのように映し出される。

 その記憶の中の景色、空気、匂い、全てが。

 アヴニールは立ち止まった。

「パッセ………」

 パッセとの思い出なんて、山ほどある。きっと自分が歩くたびにその記憶はここに映し出されるのだろう。

 けれども全ては記憶なのだ。

 パッセはもういない。

 もう、パッセとの思い出は決して増えない。

「早く大きくなって、私の背を追い越すって言ってたくせに」

 アヴニールは一歩前に進んだ。

『子ども扱いしないでよ! くそ、絶対にアヴニールより大きくなって今度は僕が頭を撫ぜてやるんだから!』

 また一歩、進む。

『本当に、アヴニールはしょうがないんだから』

 一歩。

『アヴニール! 早く行こうよ!』

 一歩。

『アヴニール』

 パッセの声。いつだって自分の横でしていた声。もう聞こえない。

 パッセが居たから、私は立ち直れた。

 パッセとの未来があったから、私は生きていこうと思えた。

 パッセが居れば前向きになれた。

 パッセが傍に、居てくれさえすれば、それだけで。

 私は幸せだったのに。

『 泣いているのかい 』

 ぞくり、背筋に寒気がしたが、アヴニールは最早それを怖いとは思わなかった。

 アヴニールは泣いていた。前を真っ直ぐに見つめた侭、ぽろぽろと涙は零れる。

『 ここに居れば、ずっとパッセの思い出を見ていられるぞ。けれど現実に戻ればパッセはもういない 』

 闇はアヴニールの周りをゆっくりと歩き出す。

『 まさか忘れた訳では無いだろう? 誰かが死ぬということ。その絶望を 』

 闇はなおもアヴニールの周りを回り続ける。

『 パッセは流行病で死んだ。お前と喧嘩をして、友人の墓で倒れた。友人から病をうつされて、苦しみ抜いてパッセは死んだ。それはもう起こったこと、取り返しは着くまい 』

 不意に部屋に現れる、ベッドで苦しげに息をするパッセ。

「パッセ!」

 アヴニールはそのパッセに思わず駆け寄る。だが手を伸ばすと、その幻は消えた。

『 もう、どうしようもないのだ。もう助けることは出来ない 』

 次に部屋に映し出されたのは、うつ伏せで倒れているパッセだった。

 其の体には紫斑が浮かび、それはまるでパッセではないようだった。

 アヴニールはそれを見て震えだす。

「違う、違う………っこんなの、違う」

 うわ言のように呟く。パッセは動かない。最早同じ人間とは思えない哀れな姿でパッセは倒れている。

 それはパッセなのに、けっして動かない、人形と同じ。

 アヴニールはその場に崩れ落ちた。

 手を床につき、俯き、アヴニールは表情を苦悶に歪める。

 闇はその姿を本当に嬉しそうに眺め、その表情は愉悦に歪んでいる。

『 お前が生きる意味はなんだ 』

 闇がアヴニールの耳元でささやく。

『 何故お前は生きているんだ 』

 闇がアヴニールに覆いかぶさった。しかしアヴニールは動かない。闇は尚も続ける。

『 パッセなんか、死んだところで何とも思わないのだろう? 』

「何を………」

『 だからお前は生きていられるんだ、お前にとってパッセは其の程度の存在だったのだ 』

「違う!!!」

 アヴニールは叫んだ。そしてようやく、背後にまとわりついた闇を振り払う。

 しかし闇は僅かにアヴニールを離れただけで、今度は目の前に覆いかぶさるように広がった。

 アヴニールはその闇に呑み込まれる。

 呑み込まれた途端に、息が苦しくなる。まるで水の中で溺れている様に。

『 ならば何故生きる。パッセを失って何故なおも生きる。パッセ意外にお前に一体何があったのだ? パッセがいない未来に、何の意味があるというんだ? 』

 苦しい。アヴニールは完全に闇に包まれる。

 しかしアヴニールは、その状態で床を這えずるように動き出した。

 ずるり、ずるりと。

 アヴニールは苦しみから逃れようと這えずる。

『 無駄だ、逃げられはしないのに 』

 闇はなおもアヴニールに覆いかぶさった。

 目の前が闇に染まる。ほとんど何も見えなくなる。

『 分かっているのか? この先の未来を。お前が死ぬまでずっと、ずっと、気が遠くなるほど永い時間、それ全てに、パッセはもういないんだよ 』

 必死で息をした。意識が朦朧とし始めて、それから逃れようと必死で這う。

 何も見えない、真っ暗だ。

 それはまるで、自分の未来のようだ。

 もう二度と、パッセと共に過ごす時間は訪れないだろう。

 いくら生きても、他の誰に出会っても、それはパッセじゃないし、パッセにはもう会えない。

 ここを出て、現実へ戻れば、もう絶対に――――二度と、パッセには会えない。

 知っている。分かっている。

 父と母がそうだった。

 父と母には、二度と会えなかった。

 けれどパッセが居た。

 そのパッセが、もういない。

 苦しい、とても苦しい。闇から逃れようと、アヴニールは這い擦り続ける。

 そんなアヴニールを笑うように、闇は更にアヴニールを包み込む。

やがてアヴニールは闇になった。


 自分は何の為に生まれたのだろう。

 大切な人ばかりを失って、自分はどうして生きているんだろう。

 生きるとは何だろう。

 この上もなく大切な人たちを奪われて、奪われて、奪われて。

 孤独になるために、自分は生まれたんだろうか。

 胸を抉るような、喉が燃えるような、息が出来ないくらいに、苦しい苦しい。

 死ぬよりも辛いこの苦しみを味わい続ける為に、自分は生まれてきたのだろうか。


『 さぁ、私を受け入れろ 』


 アヴニールの視界は闇で染まった。もう、そこは闇だった。

 闇だけが広がる世界。そこにはもう闇だけしかない。アヴニールは瞳を閉じた。

 次第に何もかも分からなくなり、何も考えられなくなる。

 忘れていく。すると胸がすっと楽になった。

『 これでもう、幻を見ることもない 』

 消えて、なくなる。


 アヴニールの指先が、ぴくりと動いた。

 その指先に感じる、冷たい感触。

 それは水だ。アヴニールはその水に手のひらをつける。

 これは、何だろう。

『 なんだ? 』

 アヴニールを呑み込んでいた闇がゆらゆらと揺らぎ出した。

 アヴニールは瞼を開く。

 目の前にはやはり闇が広がっていた。

 けれどもその闇の向こう、微かに螺旋階段が見える。

 アヴニールは手に触れたそれを手のひらに掴んだ。

 水だ、そう思う。

――――これは、聖水だ

 闇が、晴れる。

『 なんだ!? 』

 急にアヴニールの体から弾かれた闇は、目の前で力無くしゃがみこんでいるアヴニールを忌々しげに睨み付けた。

『 まだ絶望していないのか? 』

 アヴニールは、立ち上がった。

 そしてとても静かな瞳で、目の前に立つ闇を――――自分を、見つめる。

「ここは、私の作り出した幻の世界」

 アヴニールは闇に一歩近寄る。

「ここは、私だけの世界」

 また一歩、アヴニールは闇に近づく。

 その様子に、闇は一歩後ずさった。

『 何を………? 』

「でも、だからどうだって言うの」

 アヴニールは言うや否や、闇に向かって走り出す。

『 な!? 』

「パッセと共に過ごした時間を、その記憶を、もう誰にも否定なんかさせない!」

 アヴニールは、闇に手を伸ばした。

 その指先についた聖水が、強く強く光り輝く。

『 やめ………っっ!! 』

その光り輝く聖水が闇に触れた瞬間、闇は弾ける様に光り輝く。その光は一瞬にして弾けたと思うと、アヴニールはその強い輝きで真っ白に包まれる。

「約束、思い出したよ。パッセ」

 光の中で、アヴニールは笑った。

 その視線の先に、パッセの幻を見ながら。


『絶対に、必ず、此処から出るんだ。いいね?』


 光が消え、アヴニールは階段を駆け出した。

 瞬間音を立てて城が崩れ始める。

 アヴニールは走った。壁や天井が崩れ逝く中、ひたすら走る。

 螺旋階段を降りる。

そして先程開かなかった玄関に手をかけドアを揺らす。

「駄目だ、やっぱり開かない………」

 そうこうしている間にも屋敷は崩れ始めている。急がなければ倒壊に巻き込まれ死んでしまう。いくら此処が夢幻の世界とは言え、そうなってしまって自分が生きていられるのかなど分からないし、保障も無い。

 扉を壊すか、だがそんなことをしている暇もなければ壊せるかも分からない。

「あ………!」

 ハっとした。

 何も外に出るのに玄関を使う必要などないのだ。外と繋がっていれば問題ない。ならばあそこだけ、唯一外に繋がったのをアヴニールは覚えている。

 走り出した。

 四季の部屋を通り過ぎ、細い簡素な通路を抜け、豪勢な部屋を通り、回廊へ出る。

 辿り着いたのは、礼拝堂。

 ステンドグラスが粉々に砕けた、礼拝堂である。

「………はは、嘘………」

 そこから見えた外の風景に、アヴニールは思わず笑ってしまった。

 吹雪は晴れていた。

 晴れ渡った、青空。

 雲ひとつ無い、蒼い、空。

「吹雪が、やんだ」

 そこまで来て、更に大きな音をたてて礼拝堂も崩れ始めた。

城の倒壊が近いようだ。キリスト像が背後で倒れる。

まるでこの世界ごと壊れていくように、足元までもが崩れ始めた。

 だから迷っている暇はない。

 もとよりもう、迷いなどない。


アヴニールは、駆け出した。


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